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Close-up of Japanese 1000-yen bill

「浪費癖」と「借金」にまみれた野口英世が、それでも周りから感謝されたワケ

千円札の顔となっている野口英世。彼が成し遂げた偉業は有名ですが、どのような人生を送ったのかについてはあまり知られていないかもしれません。メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、時代小説の名手として知られる作家の早見さんが福島にある野口英世記念館に赴いた際の体験を語っています。

野口英世と篤志家

先日、福島県猪苗代にある野口英世記念館を見学しました。親切な読者さんの紹介で館長にご案内頂き、野口博士の偉業に接することができました。記念館は今も大勢の来館者があり、筆者が訪れた時も修学旅行の生徒さんで一杯でした。

貧しい農家に産まれ、左手に大火傷のハンデイキャップを抱えながら、類まれなる努力と行動力で世界的な細菌学者となった野口英世博士の生涯は広く知られています。小学生の頃に読む偉人伝には不可欠、偉人伝以外でも渡辺淳一作、『遠き落日』を読んだ方も多いと思います。

館長は野口博士の小学校時代の学友であった八子弥寿平氏の御令孫でいらっしゃいます。八子家に伝わる野口博士の興味深いエピソードをお聞かせくださり、博士が帰国した際に遺された書も拝見することができました。

野口博士の負の部分、浪費癖と借金について様々な書籍で記されていますが、貸した人たちは返ってこなくても恨んでいなかったそうです。むしろ、みな、誇らしかったとか。

たとえば、映画『遠き落日』で猪苗代に帰郷した野口英世がお世話になった八子家を訪れ、土産の金時計を渡しますが、弥寿平氏の母親からこんなもの、と放り投げられるシーンがあります。

映画では莫大な金を借りておいてこんな物でごまかすのか、という怒りの描写でしたが、館長によると、これはフィクションだそうです。事実は金時計を貰い、八子家は感激したとか。その上、立派な書まで書いてもらい、感謝しかなかったのでした。

八子家の他、猪苗代の人々は、博士を郷土の誇りだと大歓迎したのです。

館内には有名な手紙、母親シカさんから博士に会いたい、帰って来ておくれと書き送った手紙、が展示されています。誤字混じりのたどたどしい文章ですが、それだけに息子への深い愛情が感じられ、目頭が熱くならない人はいないでしょう。

 

また、博士の学問上の業績を示す資料の他、趣味とした油絵、書なども展示されています。英語で書かれた論文、手紙の筆記体のアルファベットは印刷ではないかと思えるくらいに整然としており、絵画、書と共に圧倒されました。野口英世の超人ぶりを再認識した次第です。

帰国した際、故郷猪苗代ばかりか、文字通り日本を挙げて博士を歓迎しました。日本ばかりでなく、世界各地の講演会場、宿泊先にはその国の王侯貴族、政府要人が訪れ、盛大な歓迎会が催されます。

また、恩師血脇守之助が渡米した際、野口はつきっきりで世話をし、アメリカ大統領ハーデイングを表敬訪問しました。当時、いや、現在においても、アメリカの大統領に知人を引き合わせることができる日本の民間人など、滅多にいるものではありませんね。

野口英世は世界的名声を得た最初の日本人でした。

ところで、野口博士を支えたのは篤志家たちです。奨学金制度などなかった時代、向学心があり成績優秀であっても家庭が貧しくて進学できない青少年は珍しくありませんでした。そうした青少年を無償で援助し、進学の夢を叶えていた篤志家が日本中にいたのです。

見返りを求めない無償で野口博士を援助した篤志家八子家が金時計と書に感激し、放り投げるなどあり得ませんね。

小説でも松本清張、『砂の器』の和賀英良、山崎豊子、『白い巨塔』の財前五郎は篤志家のお陰で進学でき、音楽家、医学者として成功します。

情けないことに筆者はとても他人に無償で援助などできません。助けるどころか、野口英世の肖像が描かれた千円札に助けられています。

image by: Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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