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洋の東西に“怪僧”あり。ロシアの上流階級女性たちを虜にしたラスプーチンと鎌倉幕府打倒に絶大な力を発揮した文寛

「怪僧」と聞いて誰もが思い浮かべるであろう、ロシア皇室に強い影響力を持っていたグリゴリー・ラスプーチン。ところが我が国にも武家政権打倒に大きな力を発揮した、「日本の怪僧」たる人物が存在していたことをご存知でしょうか。今回の『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』では時代小説の名手として知られる作家の早見俊さんが、「ラスプーチン伝説」をあらためて取り上げるとともに、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の側近・文寛とその「恐るべき教え」を紹介しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:東西の怪僧

東西の怪僧

ロシアと日本で暗躍した聖職者についてご紹介します。

まずは、ロシアのラスプーチンです。

ロシア帝国の皇室を操った怪僧ラスプーチンは1870年前後にシベリアの寒村で生まれました。両親はごく平凡な農民です。幼い頃から弁が立ち、超能力を持っていると評判になりました。

人間ばかりか動物の病気も祈祷により平癒させ、紛失物を千里眼によって見つけ出し、人の死をも予言したそうです。18歳の時、聖母マリアの啓示を受け、20歳で巡礼の旅に出ました。

巡礼によって超能力を高めたラスプーチンは祈祷僧として故郷に戻りました。努力の甲斐あってか生来の超能力者ゆえか、預言者、祈祷僧としてロシア国内で有名になっていきます。

一方、ラスプーチンが強い影響を与えたロシア皇帝ニコライ二世の夫人アリクスは悩める皇后でした。彼女の実家、ヘッセン大公家は不幸な死を遂げた人たちが多く、呪われた家系とし知られていたのです。呪われた家の娘を皇后に迎えるとあって、ニコライ二世は周囲から猛反対されます。

ところが、当時の皇室には珍しくニコライ二世とアリクスは恋愛で結ばれ、反対を押し切って結婚したのでした。このためアリクスは周囲の目を気にしながら皇后としての日々を送り、待望の男子を産みます。

四番目の子供でした。皇后の責任を果たしたとアリクスが安堵したのも束の間のこと、男子アレクセイは血友病を患ってしまいます。医者も見はなす重病であったそうです。

そんな悩める皇帝夫妻の前にラスプーチンは現れ、祈祷によって皇太子の病を平癒させました。当然のこと、皇帝夫妻から厚い信頼と感謝を受けます。特にアリクスには信頼を超えて、すがられるようになりました。

それをいいことに、ラスプーチンは皇室に出入りし、上流階級の女性たちも手なずけていきます。「淫蕩の魔を身体から追い出す儀式だ」と称して女性たちとセックスをしまくりました。女性たちがラスプーチンを受け入れたのは彼に洗脳されたこと以外に、彼が巨根の持ち主だったというのが定説です。

が、異論もあります。彼はよく公衆浴場を利用していて、股間も目撃されています。目撃者によると巨根ではなく美根だったのだとか。巨根か美根か、どちらにしてもラスプーチンは一物も超人であったようです。

日本の怪僧文寛です。

文寛は後醍醐天皇の側近として権勢を振るったばかりか、鎌倉幕府打倒に絶大な力を発揮しました。絶大な力とは……なんと彼は●●●●で鎌倉幕府を打倒したのです。

彼が大成した、「真言立川流」は知る人ぞ知る●●●●宗教でした。元になったのは弘法大師空海が唐の国から持ち帰った経典の一つ、「理趣経」です。「理趣経」は●●●●を通じて即身成仏できると説いていました。

この「理趣経」の教えが鎌倉時代に至り、真言僧の最高位阿闍梨となった任寛(にんかん)によって●●●●至上主義の宗派「真言立川流」として開かれたのです。立川流という名称の由来は、任寛が武蔵国立川、すなわち、現在の東京都立川市を拠点としていた陰陽師たちに教義を伝え、彼らが広めたことにあります。

その教えたるや恐るべし。男の精液は白、女の精液は赤とされ、白と赤の和合水、つまり●●●●をして出た愛液を髑髏に塗り、金箔を貼り、魂を吹き込んで髑髏本尊としたのだとか。髑髏本尊を拝めば、望みが叶い、未来が予言できるそうです。

もっとも、髑髏本尊が出来るまでには、相当量の和合水が必要で120回も髑髏に塗る必要があったばかりか、毎夜香を焚き、真言を1,000回唱えねばならなかったのでした。快楽と共に修行を積まね髑髏本尊は得られなかったのですね。

ともかく、「真言立川流」を大成した文寛は後醍醐天皇に気に入られ、大いに暗躍をします。鎌倉幕府打倒を祈願したり、楠木正成、赤松円心を後醍醐天皇に紹介したりして倒幕に力を尽くしました。後醍醐天皇は、「真言立川流」の影響か、乱交を繰り返します。

文寛や近臣たちと酒宴を催し、肌が透けて見える薄着の美女を侍らせました。宴が盛り上がると、男女入り乱れての●●●●へと突入。後醍醐天皇と文寛は乱交を繰り返しながら鎌倉幕府打倒の策を練っていたのです。

果たして、文寛と後醍醐天皇は男女和合の成果、髑髏本尊を完成させたのでしょうか。

image by: Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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