石破茂氏が第102代内閣総理大臣に指名され、石破内閣が発足した日本。石破総理が命名した「納得と共感内閣」は、果たして本当に世論の納得、共感を得られるのでしょうか? 今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、健康社会学者の河合薫さんが石破内閣の問題点を挙げています。
「機会」は作るもの
自民党の総裁選挙で勝利した石破茂氏が、第102代内閣総理大臣に指名され石破内閣が発足しました。「納得と共感内閣」と石破総理は命名しましたが、現時点で、納得・共感しているのは、壁の内側だけ、のように思えてなりません。
13人が初入閣とのことですが、「昔の名前で出ています」的な空気満載で、フレッシュさもなければ、トキメキ感もない。しかも、女性閣僚はたったの2人です。
昨年、第2次岸田再改造内閣が発足した時は、女性閣僚は上川陽子外相ら5人。2001年4月発足の小泉内閣、14年9月発足の第2次安倍改造内閣と並んで「過去最多タイ」でした。
といっても、20年以上前の水準に戻っただけでしたし、副大臣・政務官は初めての「女性ゼロ」。大批判を浴びる事態になりました当時、石破氏が主張したのが、候補者や議席の一定割合を女性とする「クオータ制」の早期導入です。
ところが、今回の9人が出馬した総裁選で意見を求められた石破氏は、「クオータ制導入も一つの選択肢」とトーンダウンし、「最終的には女性がしかるべき比率で自然に選ばれる環境を整えることがのぞましい」と発言しました。
はて? 全く逆です。
クオーター制のゴールは「機会の平等」です。自然にまかせていても、女性がちっとも増えないから、その現状の壁をあけるために「機会を作る」のがクオーター制導入であり、クオーター制導入がきっかけとなり、「最終的には~~」以降の発言、すなわち「機会の平等」が実現します。
では、機会とは何か?てことになるわけですが、
1.他者から正当に評価される機会
2.能力発揮の機会
3.昇進の機会
4.新しい仕事にチャレンジする機会
などが、政治家も含めた働く人にとっての「機会」に相当します。
「機会がある」ことは、個人のモチベーション向上につながり、「機会がない」ことは、モチベーションを低下させます。私がこれまで行った調査研究でも、機会は極めて重要で、「機会」を与えられていない人は、仕事への満足感が低く、心身健康が不良で、将来への不安が強い傾向にありました。
この記事の著者・河合薫さんのメルマガ
「機会」とは「光」だと思うのです。
クオーター制を批判する人たちは好んで「能力」という言葉を使いますが、「能力」は光が見えてこそ、育まれる力です。
これまで昇進の機会がなかった女性たちに門戸を広げることは、女性たちのモチベーションを高め、能力を引き出す手段になります。
一方、機会の欠損は差別であり、差別をなくすためには機会の平等が不可欠です。
しかしながら、どんなに「差別をなくせ!」「機会を平等にせよ!」と声をあげたり、啓蒙運動をおこなったところで、差別を根絶するのは難しい。そこで生まれたのが「ポジティブアクション」でした。
米国のリンドン・ジョンソン元大統領の演説がきっかけとされ、人種差別を禁じた1964年成立の公民権法の精神を基本とし、これに実効力を持たせるため主として大統領令に基づき推進されてきた「差別を積極的に是正する措置」がポジティブアクションです。
具体的には「数値目標の設定」であり、「クオータ制」であり、「法律での規制・罰則」の制定です。
階層上階の人たちは「ポジティブアクション」の真意をわかっているのか。残念ではありますが、・・・わかってない・・・そう思えてなりません。
結局、我が国の階層上階の人たちは、「義理と人情」の世界から抜けられないのです。改革より安定を、献身より保身を、変わることより変わらないことを選択し続けている。「組織を変えたきゃ、若者、よそ者、ばかものの視点を生かせ!」とは組織論の鉄則ですが、我が国のリーダーたちは、自分たちが「よそ者」を排除していることにも気付けていません。
いや、もっと正確にいうと、権力の外にいる時には見えていたものが、権力を手にした途端見えなくなってしまうのでしょう。
すでに、石破新総裁は、首相に就任後衆院選を「10月27日投開票」の日程で行うと表明するなど、手のひら返しの素早さには呆れますが、いつになったら日本は世界に追いつけるのか? 石破政権はただの泥船なのか?
今後の動きに注目したいと思います。みなさんのご意見も、お聞かせください。
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