藤田菜七子元騎手が、スマホの不正使用で突然の引退に追い込まれた。だが、「公正競馬のために厳格な規則を設けるJRAと、その規則を平気で破る若手不良騎手」という報道の構図は本当に正しいのだろうか?
「藤田さんを悪者にするのは明らかに間違っている」
JRAの藤田菜七子元騎手(27=美浦・根本厩舎)が、外部との接触や通信機器使用を禁じられた「調整ルーム」内にスマホを持ち込み、LINEで厩舎関係者らと連絡を取っていたとされる問題。
前日の文春砲を受けてJRAは10日に騎乗停止処分としたが、その直後に藤田元騎手みずから引退を表明。11日には騎手免許が取り消され、8年半にわたる騎手生活が突然の終わりを迎えたのは周知のとおりだ。
世間では、あまりの“スピード引退”を惜しむ声があがる一方で、不正防止が重要な公営ギャンブルの性質上、JRAの規則を破った騎手への“厳正な処分”はやむを得ないとの見方が支配的。藤田元騎手が昨年5月、スマホを持ち込んでJRAから厳重注意を受けたさい、「他者と通信はしていない」と虚偽の説明をしていたことも影響しているようだ。
だが、競馬紙記者を経て現在は競馬プラットフォーム運営に携わる関係者はいう。
「藤田さんを悪者に仕立て上げるのは明らかに間違っていると思います。今回の引退は本当にショックです。彼女はJRAの自己保身の犠牲になったようなものですから。競馬サークルの人々の多くはそれをよく分かっているはず。大きな声で言えないのは、JRAを真っ向から批判するのは憚られるし、公正競馬の建前があるからにすぎません」
JRAの「自己保身」とは、具体的にはどういうことか?
「多くの競馬ファンは、調整ルームというものを都市伝説的に誤解しています。あたかも面会謝絶の監禁状態のようなイメージがあるかもしれませんが、実際の運用は想像以上にゆるかった。その状況を黙認してきたのは他ならぬJRAであるにもかかわらず『藤田騎手の“非行”を処分しました』なんてチャンチャラおかしい責任逃れということです。たとえば、夕食を電話注文してそれをテイクアウトしに外出、なんてことはザラですし、土日で競馬場間を移動する騎手はその間に通信しようと思えばできてしまいます。コロナ禍には、自宅やホテルを調整ルームとみなす『認定調整ルーム』という制度すらありました。いったい誰が家の中の通信をチェックしたんですか?JRAは、理屈の上ではやりたい放題の状況をずっと放置してきたんですよ」
JRAが黙認していた規則破り。他の騎手に問題が波及する恐れも
若い世代の騎手ほど、JRAの規則や調整ルームの制度が「やってる感」だけのバカバカしいものに感じられたかもしれない。あるいはJRAの側にも、よく言えば騎手たちへの思いやり、悪く言えば気の緩みがあったのだろうか。
だが、いざ文春砲を被弾したJRAは、組織としての責任を取らず、藤田元騎手個人に責任を押しつける形を取ってしまった。
「文春に藤田さんを“売った”1人はS厩舎のTです。藤田さんはこの夏にJRA職員の方と結婚したばかりですが、以前はこのTと交際していた。付き合っていた当時のLINEのやりとりをバラすなんて人として終わっているのは言うまでもありませんが、今後このような“告発”が他の騎手に波及していく可能性は十分にある。本当の問題はこの点にあるんです」
過去の「外部との通信」で人気騎手が“脅迫”される恐れ
中央競馬のレースの公正を確保するため、騎手は騎乗予定日の前日21時までに調整ルームに入らなければならない。外部との接触や通信機器の使用は原則として禁止する――たしかに、八百長やインサイダー情報の漏えいを防ぐために重要な規則ではある。
だが、それはあくまで建前にすぎず、少なくともこれまでは実効性に乏しいものだったようだ。
JRAが長年に渡って規則違反を「大目に見てきた」がために、「心当たりがある」騎手は数多く存在し、戦々恐々としている。前出の競馬関係者が指摘する。
「私はなにも、藤田さんを擁護するために、他の騎手も同じことをしていたじゃないか!とダダをこねたいわけではありません。そうではなくて、JRAが規則違反を黙認してきたのは事実でしょ?だったら、『騎手の誰某が規則違反をしちゃいました』というJRAの説明こそが虚偽にあたるのでは?ということを指摘しています。要するに今、リーディング上位を含む少なくない数のジョッキーが、藤田さんが“元カレ”に売られたように、外部の人間から脅迫されるかもしれない危険な状況に置かれているということです。『おまえ、あのときオレとLINEしたよな?スクショ残ってるぞ』なんて知り合いに脅されたら、それこそ新たな八百長の原因にもなりかねません。どこまで影響が広がるかまったく予想がつかない状況で、不祥事の責任を藤田さん個人だけに負わせるのは組織の対応として間違っている、ということを言いたいだけです」
文春が入手した藤田元騎手のLINEはたわいもない日常のやりとりで、八百長を疑わせる内容はなかったという。
だが、規則違反に関して「心当たりがある」騎手が他にも大勢いるのは間違いない。万が一にでも、過去の大レースでの八百長が疑われるような事態になれば、競馬界は大混乱に陥るだろう。
それでもJRAは「外部との通信」が新たに発覚するたびに、ジョッキーを淡々と騎乗停止処分にしていくつもりなのだろうか。とても藤田元騎手1人の問題では済まない話に思えるのだが――。
image by: nakashi, CC BY-SA 4.0, ウィキメディア・コモンズ経由で