ノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会が選ばれ、話題となったことにより、石破首相の「核共有」という言葉にも更に注目が集まりました。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、健康社会学者の河合薫さんが被爆国である日本に生まれたものとしての核への考えを語っています。
「唯一の被爆国」の立ち止まる勇気
ノーベル平和賞に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が選ばれたことで、政府の対応に関心が集まっています。
代表委員の田中熙巳さんは、石破茂首相が自民党総裁選で言及した「核共有」を論外とし、「政治のトップが必要だと言っていること自体が怒り心頭」と厳しく批判していましたが、政府は今一度立ち止まって「唯一の被爆国」としてやるべきことを考えて欲しいと思っている人は多いはずです。
政治家たちは「現実問題」という体のいい言葉を使って、曖昧な立場を取り続けてきました。しかし、せめて来年3月の「核兵器禁止条約」締約国会議にオブザーバーとして参加すべきだと思うのですが、なぜ、それすら前向きじゃないのか。
「核抑止力」といいますけど、核を保有していないと平和になれないのでしょうか。
核兵器を作ったのは人間です。そして使ったのも人間です。そうであれば、なくすことができるのも人間ですーー。
これは1歳10か月の時に、長崎市内で長崎市への原子爆弾投下に遭遇した和田征子さんの言葉です。
和田さんは訴えます。「核保有国とその同盟国は、その不誠実さと傲慢さのために、人類全体が核戦争の瀬戸際にあることを認識すべきです」と。
本当、その通りだと思うのです。しかし、政府も歴代の総理大臣も、何も罪もない人たちが一瞬にして「ヒバクシャ」になったことと、正面から向き合おうとしないのです。
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くしくもNHKの朝ドラ『虎に翼』が原爆裁判を取り上げ、その判決が下った回で「我々は本訴訟を見るにつけ政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」との判決文が読み上げられるシーンがありましたが、「貧困な政治が続いてる」。そう思えてなりません。
核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず-という非核三原則を唱え、ノーベル平和賞を受けたの佐藤栄作ですが、米国の「核抑止力」への依存を求めたのも佐藤栄作です。
一方、76年に広島の平和記念式典に参加した三木武夫は、同年6月に核拡散防止条約(NPT)を批准し、首相として初めて広島と長崎の両方の式典に参加しました。その際、「核兵器を全廃し、人類を核の脅威から解放することこそ真の平和への道」とスピーチを行っています。
日本は被爆国であると共に、原発の事故で低線量被爆を拡大させた国でもある。だからこそ「人」として、「当事者」として言葉を紡ぐ勇気が今こそ求められています。
核兵器を作ったのは人間です。そして使ったのも人間です。そうであれば、なくすことができるのも人間ですーー。
この言葉が紡がれた真意をきちんと考え、前に進む国であって欲しいと心から思います。
そのための「1票」が、私たちの手元にあることも。いい意味でも、悪い意味でも時代はかわるし、「私」が変えなきゃいけないのです。
みなさんのご意見も、お聞かせください。
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