コロナ禍を境に中国で語られるようになった「潤日」なる隠語。中国人富裕層が自国から逃れる先として日本を選ぶこの現象を、我々日本人は好意的に受け止めていましたが、果たしてその解釈は妥当なものだったのでしょうか。今回のメルマガ『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』ではジャーナリストの富坂聰さんが、「潤日」の真実とその流れに生じている変化を丹念に検証。さらに中国富裕層の対日意識が転換しつつある背景を、制度や社会の変化を紹介しつつ解説しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:中国富裕層の日本脱出「潤日」は本当にサステナブルな流れなのか
なぜ中国富裕層は日本を選ばなくなったのか。「潤日」の真実と行方
コロナ禍が明けるか否か─。世界がその見極めに逡巡していたころ、「潤日」という隠語がにわかに中国から聞こえてくるようになった。
字面から想像しにくいが、「潤」は逃げ出す。「日」は日本を指している。日本への脱出だ。
日本に拠点を求めると一口に言っても、そんなことができるのは、資産に余裕のある一部の人々だ。だから「中国富裕層の日本への脱出」と説明されている。
そのころ、私の友人もたくさん日本にやってきた。日本脱出を相談されたこともあった。
彼らの動機の最も大きなものは中国での未来が信じられなくなり、資産を海外に移しておきたいというものだった。
本来ならアメリカを目指したいところだが、第一次トランプ政権下で激化した米中の対立や移住のコスト、そして遠いという問題が足かせとなり、近くて安い日本に熱い視線が注がれたのだ。
子どもの教育環境を変えたいという動機もあった。中国での競争が厳し過ぎるからだ。
潤日が話題になると日本のネットを中心に、中国の体制を否定し日本を礼賛する証左としてこの現象が使われるようになっていった。
だが「潤」は、私が中国を見続けてきた40年間の歴史を振り返っても、決して珍しい現象とは言えない。「潤」という言葉が新しいだけで、むしろ常に中国に付きまとう現象と言っても過言ではない。
天安門事件後には香港経由や留学という名目で「潤」し、香港返還時には、大量の富裕層が香港からカナダ、イギリス、オーストラリアに逃げ出した。また順調に経済発展を始めた90年代後半から2010年代半ばにかけては、汚職官僚が巨額の資産を持って海外に逃亡した。
汚職官僚はたいてい欧米を目指すため、日本とは縁の薄い「潤」だったが、そのパターンは長らく国外脱出の定番であった。
やり方はまず子供を留学させ、子供の世話をするという名目で妻が在留資格を取得し、最後に夫が体一つで逃げ出すというものだ。官僚が手ぶらで飛び出すため、「裸奔」と呼ばれた。
いずれの時代にも富を手に飛び出す中国人は一定数存在していたのだが、そういう人々が中国の核心部分なのかと問われれば、首を傾げるほかない。
私の友人の子どもたちも、本当に優秀な学生は普通に国内で進学し、共産党の幹部を目指している。
米中対立の中、今後の出世を考えれば長期間の海外留学さえ不利になるとされる時代にも、ちゃんとそんな選択ができる学生は少なくないのだ。
その膨大な人口が形成する流れと比較すれば、日本に逃げてくる富裕層は、「戦いのステージを忌避した」という意味でも、中国では特殊な人々となる。
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完全に勢いを失った「日本の不動産を買いたい」というニーズ
そもそも外国で資産を食いつぶす「消費」を主とし、「生産」から遠ざかるのだから、生き方も特殊だ。
お金はあっても、地元コミュニティとのつながりが希薄なため、寂しくなって、再び帰国を選ぶ者もいる。
この点でもサステナブルとは言えないのだが、本稿の指摘するテーマはそこではない。
実は最近、中国人向けに不動産を販売してきた若い経営者(中国籍)と話をして驚かされたのが、日本の不動産を買いたいというニーズは、もはや数年前に比べて完全に勢いを失っているという彼の指摘だ。
興味深いのは、そのきっかけは高市政権の誕生、もしくは高市早苗首相が11月7日に行った台湾有事に絡む国会答弁後の日中対立ではない、ということだ。
何がきっかけだったのか。
経営者によれば、その一つは日本政府が今年8月に打ち出した「外国人向けの『経営・管理ビザ』の要件の厳格化」であり、もう一つは、やはり同じ時期に行われた夏の参議院議員選挙で顕在化した排外的な日本社会の雰囲気にあるというのだ。
前者の「要件の厳格化」の内容は、主に「資本金の要件を500万円以上から3,000万円以上に引き上げる」ことであり、また「経営者の経歴や学歴の要件も新たに設ける」ことだった。
明らかに在留資格の取得の壁を高くしたわけだが、なかでも不評なのが、従来500万円以上で取得できた資格が3,000万円以上に引き上げられたことだという。
これを簡単に換言すれば「日本に、そこまでの価値があるのか?」となってしまったというのだ。
悪く言えば、「(円安も含めて)安いから来ようと思ったのに…」ということだ。
2,500万円の差が大きく風向きを変えたようだが、思い出すのは中国人旅行者の消費ニーズの変化の速さだ。
2015年ごろ、スーツケースを現地で買い足して「爆買い」していた中国人旅行者が、あっという間にモノ消費からコト消費へとシフトし、さらには思い出消費、いわゆる「インスタ映え」的なニーズに流れていった変化だ。
目まぐるしいという表現がピタリと来る変化だった。
中国国内で激しい競争に慣らされた彼らは、変化への耐性ができている。対応力も半端ない。風が変わればさっさと新しい方向へと舵を切るのだ。
現状、日本のライバルとして東南アジア移住に熱い視線が向けられているという。
いま日本では、日本語学校に入学した中国の学生が途中で親元に呼び戻されるケースも目立つようになったという。
(『富坂聰の「目からうろこの中国解説」』2025年12月21日号より。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をご登録下さい)
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