豊臣秀吉といえば大坂城——そんな常識的なイメージが、実は歴史的事実とは大きくかけ離れているとしたら?秀吉が政権の本拠としたのは、大坂城ではなく京都の聚楽第や伏見城でした。それなのに「安土桃山時代」という呼び名は本当に正しいのでしょうか。今回のメルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、著者の歴史時代作家 早見俊さんが、時代区分の名称をめぐる興味深い論考をお届けします。
安土桃山時代ではなく安土大坂時代なのか
都道府県別代表的歴史上の人物選出、というアンケートがありました。ご当地と所縁のある歴史上の有名人を都道府県別に選出した企画です。
織田信長が最多で、愛知、岐阜、滋賀の3県で選ばれていました。次いで徳川家康が静岡県と栃木県、坂本龍馬が高知県と長崎県で選ばれています。
家康は人質時代と大御所として晩年を過ごしたのが駿河国の駿府、現在の静岡市、神として祀られている日光東照宮があるのは栃木県だからですね。
龍馬は言うまでもなく土佐、高知を代表する有名人、空港は「高知龍馬空港」と称されています。長崎県は龍馬が率いた亀山社中、後の海援隊の所在地でした。
3人以外は各都道府県別に歴史上の人物が選ばれていました。
ちなみに東京都は勝海舟、京都府は紫式部です。
大坂の代表は豊臣秀吉
では、大阪府は、と言うと、当然ながら太閤さん、豊臣秀吉ですね。
大坂城と言うと秀吉がイメージされます。
実際、大坂城は秀吉が築城しました。しかし、秀吉が大坂城で過ごした期間は意外と短いのです。
秀吉は関白となり、豊臣姓を下賜されました。豊臣政権の政庁であり、秀吉の住まいは大坂城ではなく、京都の聚楽第でした。関白を甥の秀次に譲ってからは隠居城として伏見に城を築き、移ります。
通称桃山城です。
秀次は謀反の疑いをかけられて自刃、聚楽第も破却されました。
豊臣政権の政庁は伏見城でした。秀吉は伏見城を本拠に、「唐入り」すなわち明国制覇に乗り出して生涯を終えました。
「安土桃山時代」は正しいのか
大坂城の館長さんがおっしゃっていました。
わたしは、秀吉より長いこと大坂城におります。
明治時代以前の時代区分は政権の本拠地から名付けられていますね。
奈良時代、平安時代、室町時代……。
その点からすると、安土桃山時代ではなく、安土大坂時代、と呼ぶべきだ、という主張があります。
しかし、豊臣政権の政庁、本拠は聚楽第、伏見城であったことからして、やはり安土桃山時代が正しいのではないでしょうか。
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