「20年構想の矢先、無念」 用水路技術伝えた名工、中村さんの死悼む―福岡・朝倉

2019.12.06
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by 時事通信

整備を支援した用水路の前に立つ中村哲医師=2005年8月10日、アフガニスタン東部(ペシャワール会提供)

整備を支援した用水路の前に立つ中村哲医師=2005年8月10日、アフガニスタン東部(ペシャワール会提供)

 アフガニスタンで銃撃され死亡した医師中村哲さん(73)は、大干ばつが深刻化していた同国に画期的なかんがい用水路を建設したことで知られる。そのモデルとなったのが、福岡県朝倉市の「山田堰」。中村さんに技術の根幹を伝えるなど親交の深かった山田堰土地改良区元理事長の徳永哲也さん(72)は、「先月、アフガンの今後20年の構想を話し合った矢先だった。無念で悔しすぎて、言葉にならない」と同志の最期に声を振り絞った。
 中村さんは日本に帰国中、故郷の福岡で偶然山田堰の存在を知り、現地を訪れた。大がかりな重機を使わず、筑後川の水流に対して斜めに石畳を敷き詰めることで、自然に清潔な水を行き渡らせる。国内唯一の構造で、改修を重ねながら、江戸時代から230年近く継承されてきた。
 「私が初めてお会いしたときには、既に医者とは思えない知識と構想を持っておられた。信じられない人だった」と振り返る徳永さん。アフガニスタンに技術を持ち帰った中村さんは2003年、自ら工事を指揮し、7年がかりで約25キロに及ぶ荒れ地に用水路を導き、1万6500ヘクタールもの農地をよみがえらせた。
 中村さんは「これだけの歴史があるから、壊れにくく洪水にも強い。重機も使わず、現地の人たちでも維持していける」と山田堰の技術にほれ込んでいたという。難民や兵士になりそうだった住民らが農業で生活するようになり、口癖だった「3度の飯と家族の暮らし」という支援目標も徐々に浸透していった。
 徳永さんは先月、中村さんの帰国中に、新たな用水路計画を柱とした「アフガンの20年構想」を語り合ったばかりだったという。「まだまだこれからというところだった。ショックなんてものじゃない」と悲しみと怒りを抑えつつ、「現地で先生の遺志をつないでいくことに力を尽くしたい」と前を向いた。(2019/12/06-07:08)

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