JALも圧力隔壁説を信じず?日本航空123便墜落事故の謎と闇 いまだ根強い撃墜説、「なんか爆発したぞ」から39年

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1985年(昭和60年)8月12日月曜日 18時56分28秒、羽田発伊丹行の日本航空123便が群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落した。乗員乗客524人のうち520人が死亡、生存者わずかに4人、世界最悪の単独航空事故だった。「日航機がレーダーから消えた」とのニュース速報テロップに日本中が震撼してから39年目の夏を迎える今なお、真相究明を求める声が絶えない本事故にはどのような闇が隠されているのか。あらためて注目したいのは、123便事故後の日本航空内部では「安全啓発センターを設置しただけで、事故の再発防止のための会議や具体的な教育や訓練を一切していなかった」との関係者証言だ。(無料メルマガ『1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』』より)

日本航空123便墜落事故に横たわる未解決問題

1985年に群馬県の御巣鷹山にJAL123便が墜落した事故について、陰謀論を主張する人がいます。JAL123便墜落事故について知るため関連書籍を3冊読んでみました。その結果、この本が一番真相に近いと思いましたのでご紹介します。

JAL123便墜落事故 自衛隊&米軍陰謀説の真相(杉江 弘・著 宝島社・刊)

この本は元JAL機長によるものです。JAL123便墜落事故の謎について、元JAL機長の見解を聞いてみましょう。

まず、事故現場に到着した米軍機を引き揚げさせたのは、誰なのか。なぜなのか、という疑問です。

現場を最初に発見したのは米軍であり、米軍の救助活動に、日本側が後から参加するという選択肢もあったはずなのです。米軍の救助を日本側が断り、その結果、現地で救助活動が開始されたのは、翌日の日の出後となったのです。

著者の推測は、各省庁の連携がうまくいかなかったのか、それとも何か表に出るとまずいものがあったのではと勘ぐりたくもなる、と歯切れの悪いものとなっています。つまり、米軍と自衛隊の間のやり取りが公開されていないのです。

当時の運輸大臣・山下徳夫は後日、「自衛隊のヘリが夜間飛行できず、危険を伴うので夜間降下できなかった」と答え、米軍とどのような話をしたのかについては言明を避けた(p125)

中途半端な事故調査と「圧力隔壁説」

次の疑問は、なぜ調査報告が行われる前にボーイング社が圧力隔壁を調査し、圧力隔壁の修理ミスが原因と主張したのか、ということです。

事故調もマスコミも調査はこれからという時なのに、ボーイング社が圧力隔壁だけを調査して事故原因を発表することの不自然さについて指摘することはなかったのです。

また事故調は、破壊された垂直尾翼が落下したと考えられる相模湾での捜索を十分に行わず、実験だけでボーイング社が主張する圧力隔壁破壊が原因として報告書をまとめてしまいました。

著者はこうした状況証拠から、なんらかの政治的な動きがあったのではないかと推測しています。日本の運輸安全委員会は、人事で国交省の影響下にあり、事実の解明と再発防止よりも、政治的に結論を出す可能性のある組織なのです。

相模湾での海底捜索を十分に行わなかった・・破壊された垂直尾翼などを海底から引き揚げて断面などを調べれば圧力隔壁の破壊によるものなのか、・・外部から衝突した結果か、明らかになるはず(p87)

事故の教育訓練をしていないJALは、圧力隔壁説を信じていないのか

興味深いのは、JAL社内ではJAL123便の墜落事故を受け、安全啓発センターを設置しただけで、JAL123便の事故の再発防止のための会議や具体的な教育や訓練を一切していないという著者の証言です。

また、事故調はJALや全航空会社に対して、同じ状況になったときの訓練の実施や義務化を勧告しませんでした。

著者は、その理由を事故後に機長や副機長がとった判断や操縦に批判的なことをいう行為が批判される空気の存在を指摘しています。そのうえで著者は「再発防止の議論」をしっかり行うことを提案しています。

しかし私は、実はJALも事故調も、圧力隔壁の破壊が事故の原因と信じていないのではないかと妄想してしまいました。

JALは現場のパイロットに、事故に関連した教育も訓練も行ってこなかった(p14)

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