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爆発事故は日本でもあった。45年前の新聞で比較する日中の経済成長

1970年当時の新聞を振り返ることで、今の日本の姿を検証する作業を長らく続けているという、米国在住の作家・冷泉彰彦さん。45年前の日本は“多くの点で現在の中国と重なる部分がある”と、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で指摘しています。

日本と中国、45年の時間差

このメルマガでは『フラッシュバック70』というコラムを連載しており、読者の皆さまからご好評をいただいています。毎週、45年前、つまり1970年の「同月同日」に何が起きていたのかを、新聞の縮刷版を見ながら回顧しつつ、45年の現代との比較をするという内容です。縮刷版については、プリンストン大学東洋図書館が所蔵している『朝日新聞縮刷版』を参照しています。

この連載ですが、当初は漠然と2つのテーマを意識していました。一つは、東西冷戦厳しい対立を続けていた時代の国際政治、そして日本の軍事外交がどんなものであったのかを検証することは、現代の国際政治や日本政治を理解する上で参考になるだろうという点です。この点に関しては、例えば今週辺りから45年前の中東情勢は激動の色を濃くしていくわけで、正に「忘れてはならない現代史」の再確認になっていると思います。

もう一つは、いわゆる学生運動左翼カルチャー全盛の時代と現代比較論という狙いです。こちらの方は、いくら学園に理想主義が暴力と混ざった複雑な屈折が溢れていても、その外側では大量消費社会が拡大する中で、良くも悪くも猥雑さと生命力に満ちたエネルギーが充満しており、その落差に面食らう方が大きいと言えましょう。

その一方で、3番目のテーマとして、45年前の「毎日」を追いかけていて感じるのは、当時の日本が「まだマトモ」であったという発見です。ITはほとんど原始的な時代なのに、ホワイトカラーの長時間労働はほとんどなかったり、その一方で黎明期のIT産業に関しては、日本はオフコンで世界を席巻するつもりだったし、多くの「サラリーマン」が、これからの世界は「コンピューター知識」がビジネスの死命を制するんだとして勉強に励んでいました。

そのような「真っ当さ」を日本は、少なくとも日本のメインストリームのエコノミーは、どの時点で喪失もしくは放棄したのか、これは今後70年代の中期から80年代にかけての時代を検証する中で答えを見出していきたいと思っています。

こうした点に加えて、意識せざるを得ないのが中国との比較です。

この1970年の日本を見ていきますと、多くの点で中国の現在と重なってくる部分があることに驚かされるからです。

例えば、この2015年の8月から9月には中国で「工場や倉庫の爆発事故」が多発しているわけです。8月13日には天津港での大爆発事故があり、死者は160人(公表されている限り)。更に8月31日には天津に近い山東省東営市の化学工場で爆発事故が発生、死者は13人。また本稿執筆中の9月7日には浙江省麗水市の化学工場で爆発事故が起きています。

このように立て続けに化学爆発が続くと「テロではないか?」とか「中国の管理体制はズサンだ」という話になるわけですが、実は45年前の1970年には日本でも似たような状況があったのです。「フラッシュバック」で取り上げたものと一致はしないのですが、一例を挙げますと、

4月……大阪市で2階建て工場が全焼。原因は「5-t-ブチルメタキシレン」のニトロ化反応中の攪拌機の再起動による爆発。作業者のパニック行動が異常な操作を誘発。

 

6月……福井県で化学製品貯蔵タンクが爆発。原因は「塩化ベンジル」の放置中の縮合反応。品質不良状態を放置したのが主因。

 

8月……大阪の化学工場で爆発事故が発生し、1名死亡、6名負傷。原因は「トルエンのスルホン化反応」の撹拌再開で爆発したもの。作業中に電気系統が故障、修理中後に作業再開したところ未反応物質が急速に反応して爆発。

(出典「失敗事例データベース」

勿論、この1970年に集中的に問題が起きたというのではなく、日本の高度成長時代には常にこのような「化学爆発事故」というのは起きていたわけです。ただ、日本の場合は、このDBにそれぞれの事故に関するレポートが掲載されているように、個々の事故に関して警察や消防の一次調査だけでなく、業界団体を挙げての、場合によっては大学なども協力しての「再発防止の研究」がされてきたわけで、「開かれた社会」ゆえにノウハウの積み上げと共有化が出来てきたということは間違いないでしょう。

この「開かれた社会」という点では、中国の場合は、相当な覚悟をしながら社会の構造的な改革をして行かなくてはならないわけですが、それはそれとして、45年前の日本では今の中国と同じような「ずさんな安全管理」が横行していたのは事実だと思います。

この45年ということですが、例えばオリンピックの開催ということで考えてみますと、日本の東京五輪が1964年で中国の北京五輪が2008年ですから「44年の差」があります。万博ということでは、日本の大阪万博が1970年で、中国の上海万博が2010年ですからこちらは「40年の差」。更に言えば、主導して作った「アジアへの投資銀行」の場合は、日本主導のADBが1966年設立、中国主導のAIIBが2014年設立ということで「48年の差」です。

そう考えると、日本と中国に関しては「高度成長」ということでは約45年の時間差があると考えて良さそうです。

image by: Copycat37 / Shutterstock.com

 

『冷泉彰彦のプリンストン通信』
著者/冷泉彰彦
東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは毎月第1~第4火曜日配信。
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