昨年厚生労働省が発表した2017年時点の日本人男性の平均寿命は81.09歳、女性87.26歳とのことです。平均してあるこれだけの年数の人生を日数に直すと、82年と少しでちょうど30,000日になると、メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さん。この30,000日を10,000日で3分割して考えると、新たな人生観が見えてくると山崎さんは言います。それはいったいどのようなものなのでしょうか。
『人生三分の計』のこと
2017年時点で、男性81.09歳、女性87.26歳の平均寿命を誇る日本である。気付けば人生も随分長くなったものである。
とは言え、少しばかり違う尺度でこの数値を見直してみると印象も変わって来る。自分は男性であるから平均から言って82歳まで生きれば、まず上の部である。その82年という歳月を日数に直せば、切り良くちょうど30,000日となる。
人生30,000日。これだと何か短く感じはしないか。その過半数を使い果たした者として打ち明けて言う。人生は短い!
ここで改めて日数と年齢の関係を整理すると、
誕生後
10,000日目=27歳
20,000日目=54歳
30,000日目=82歳
というふうになる。
図らずも人生を10,000日ずつ綺麗に三分割する形となるのである。是非ともここに意義を見出したい。人生三分の計である。
まず、誕生後最初の10,000日は「学習」とする。
小中高は言うまでもなく、この期間にあってはとにかく学ぶ。一般的なコースで大学に進学したとしても卒業後4、5年はある。修士課程なら二つの、博士課程なら一つの学位は取得できる。それ以外の場でも、学習意欲さえあればどこで何をやってもいい。極論をすれば、学習意欲さえあれば何もやらなくてもいいとまで思う。引き籠りやニートの類も自分を社会から切り離して独りで何をか学ぼうとしている、と考えればそれなりの市民権が与えられて然るべきであろう。
次の10,000日は「実践」とする。
最初の10,000日で身に付けたものを基礎として、自らの手で道を切り拓き、具体的な成果を実績として積みながら歩んで行く。仕事の10,000日と言ってもいい。実際、27歳から54歳と言えばまさしく働き盛りである。
最後の10,000日は「育成」とする。
それまでの20,000日の経験を活かして、今まさに最初の10,000日を生きている若者たちを教え導くのである。言ってみれば、社会貢献、恩返しの10,000日である。
上記のことを、はたらきかけの関係性に着目してまとめると、
10,000日までは、誰かが自分を
20,000日までは、自分で自分を
30,000日までは、自分が誰かを
というふうになろうか。
特に今回、強調しておきたいのが最初と最後の10,000日についてである。
まず27歳くらいまでは誰もが皆学生なのである。それは教育の場にあっても、それ以外の場にあっても同様にである。学生と言うのに違和感があるなら、新人、部下、弟子、何でもいい。とにかく彼らは学ぶ人なのである。それ故、彼らに対するには厳格さと同時に寛容さをもって臨まなければならない。が、どうであろう。現実には前者も後者もおろそかにされてはいないか。
また最後の10,000日に関しても価値観の書き換えが必要である。そもそもこの10,000日は54歳から始まり82歳まで続く。つまり、この分割法だと老後や余生といった概念がなくなるのである。大体、老いさらばえたその後は病か死しかないではないか。余った生命とはまた随分な言い様ではないか。これではダメである。もっと積極的に世の中に関わらなければならない。54歳以上は誰もが人生経験的指導者なのだから若者に対して果たすべき役割は大きい。
勿論、人それぞれで事情や立場は異なる。しかし、このラスト10,000日の貢献があって初めて貸し借り無しの人生と言えるのではないだろうか。「若造のためになぞ誰が」とどうしても業腹なら、「情けは人のためならず」自分のために功徳を積むとでも考えればいい。
このように、10,000日×3の人生観においては、どの10,000日をとってみても大仕事であるということが自ずと分かる。それだからこそ一日一日、やりたいこと、やるべきこと、そしてできることをよくよく考えて生き続けていきたいものである。
その上で、幸運にも平均寿命より長く生きることが許されたならその時こそ、老後なり余生なりのあり方を改めて考えてもいいのではないだろうか。
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