ついに、AI時代の波が高校国語の教育内容を変えようとしています。文部科学省が高校国語を従来の4科目から6科目へと再編する方針を打ち出し、論理国語偏重を見直して人間ならではの感性を育む狙いを明らかにしました。しかしその裏で、子供たちの読書離れは深刻化し、「読まない」が半数を超える事態に。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、著者で健康社会学者の河合薫さんが、AI時代における母語教育の決定的な重要性と、英語偏重で揺らぐ日本人の思考力崩壊の危機について鋭く切り込みます。
AI vs 母語
ついに「AI」が、高校国語の教育内容を大きく変えようとしていることがわかりました。
文科省は、生成AIの普及など急速に変化する社会に対応するため、高校国語の選択科目を、従来の4科目から6科目へと拡充し、科目構成を抜本的に再編する案を提示しました。
この背景には、AI時代に求められる論理的な表現力や、人間特有の感性を養うという明確な狙いがあります。入試対策などの影響で論理国語に偏った履修がされており、「読解力や表現力の育成」を軽視する高校が多い実態に軌道修正を求めたものです。
具体的には、文学作品などを読む機会を増やすことで、自らの考えを表現し、対話する力を育成、人間ならではの感性を育む学びを、実社会でのコミュニケーションや批評的な思考へと繋げていく方針です。
これにより、単なる知識の習得に留まらず、AIとの共存を前提とした「人間主体の知性」を確立させるための新たな教育の枠組みへと、国語のあり方も変わっていくということなのでしょう。
思考の土台となる「母語」
しかし、人間ならではの感性を育てるには、母語教育の徹底が不可欠です。
「学校の成績は国語力が9割」ともいわれるように、日本語の読解・記述力が不十分だと、数学の文章問題は理解できないし、論理構成が支離滅裂な解答しかできません。思考力も想像力も、母語の運用能力に支えられているのです。
そもそも言語は、単なるコミュニケーションのツールではありません。言語と思考とは互いに結びついており、特に母語の役割は果てしなく大きいのです。
母語により私たちは目に見えないものを「概念」として把握し知覚します。精神的な世界は言語がないと成立しません。目の前に何か見えたとしても、その何かを示す言葉がないと、それを理解できません。
小説でつづられる母語の名文を繰り返し読んだ経験が、日常生活で身につく経験や情報と結びつくことで、文章を理解する力が高まっていく。
例えば、日々暮らす場所であるという意味を「家」という語彙で概念化することで、形や色が違っても「家」と知覚することができる。
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小中高生「読書ゼロ」が52.7%の衝撃
ところが、英語教育第一主義により、なんとか小学校の国語時間は、英語よりも多い時数が確保されているものの、中学校では国語の時間が減らされ続け英語の授業時数が主役に躍り出ようとしているのが現状です。
中学校の国語授業時間は、1971年から2002年にかけて約3分の2に減少。特に「読むこと」の授業時間は大幅に削減されています。
ベネッセコーポレーションが、2024年に小中高生や保護者に尋ねたところ読書をしない(0分)との回答が52.7%で、15年調査時の34.3%から約1.5倍に増えていることもわかりました。一方、スマートフォンの使用時間は延びており、長いほど本を読む時間が短くなる傾向が認められたのです。
言語で表せる範囲がその人の認識世界であり、語彙が豊富であればあるほど知識は広がり、感情の機微も、複雑な人間関係も理解でき、世界が広がり、創造力も高まっていくーー。
思考の土台を築くべき時期に母語との対話を疎かにしてきたツケは大きく、基礎が揺らいだ状態で高校の科目を細分化したところで、それは砂上の楼閣を築くようなものです。
みなさんのご意見、お聞かせください。
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