100歳を迎える高齢の方も珍しくなくなりつつある日本。そんな国にあって、「認知症患者の増加への備えや覚悟も必要」と指摘するのは、マンション管理士で高齢者問題にも詳しい廣田信子さんです。廣田さんは自身の無料メルマガ『まんしょんオタクのマンションこぼれ話』で、認知症対策について市民と行政が忌憚なく話し合った、千葉県浦安市の取り組み事例を紹介しています。
認知症だと言える自分と環境をつくろう
こんにちは!廣田信子です。
先日、私の住んでいる浦安市の「地域包括ケア評価会議」に参加しました。「評価会議」と言うと硬いイメージですが、まったくそんなことはなく、行政・地域包括支援センターと住民が、ワークショップ形式で自由に意見交換する場です。同じ立ち位置で行政と市民が話し合い、お互いの役割を補完し合い地域包括ケアを進化させていこうというものです。
外部の専門家であるアドバイザーの方は、「この取り組みは素晴らしいもので、こういう場がある自治体は珍らしいんですよ」…と言われますので、まだまだ浸透していないのかもしれませんが、絶対に必要な場だと思います。
ざっくばらんに意見交換できる場があるので、浦安市は、行政と住民の距離が近くて、住民が行政にいろいろ要求するばかりでなく、自分たちも地域づくりに貢献しようという当事者意識が強いのだと思います。
自由に意見交換できる場があることと(形式的なものではなく、ほんとうに意見交換できる場です)、市民が当事者意識をもつことは、切り離せない関係にあると思います。
マンションでも同じことが言えます。マンション住民は、地域づくりやコミュニティに無関心だ…とよく言われますが、マンションの街である浦安市は、住民の参画・参加意識が強いので、マンション住民=無関心は成り立たないと、いつも思っています。行政も管理組合も、住民の当事者意識を高める工夫はまだまだあるはずです。
で、「地域包括ケア評価会議」の認知症に関するワークショップで、「自分が認知症になったら、周りに言えますか?」というテーマに対して、出た意見がとても参考になりました(一部を少しアレンジしています)。
【認知症だと言える理由】
- 身近な人に手助けしてもらいたい
- 自分のことを隠さず伝えた方が自分らしくいられる
- 認知症と分かった上で付き合ってもらうことで友好関係が続く
- 家族の負担を軽減するためにも周囲に伝えることが必要
- 一人ではどうにもできないのだから言うしかない
【認知症だと言えない理由】
- 先入観を持たれてしまうのがこわい
- 偏見を持たれるのでは…と思ってしまう
- プライドがあるので言えない
- 同情してほしくない
- 特別扱いされるのはいや
- そんな話ができるほど親しい関係の人がいない
- 70歳のころは現役で言えないが、80歳になれば言える
認知症になる可能性は誰にでもあるのですから、この中には、今から心掛けておくべきことのヒントがたくさんありますね。常に頑張った姿を見せて、時には上から目線の発言をしている人は、周囲の人に、自分の弱った姿を見せたくないし、認知症だと知られたくないと思うでしょう。そういう姿を見られたくないと、家に閉じこもってしまえば、余計に認知症が進行してしまいます。
コミュニティの中で、普段から自分の飾らない姿を見せていれば、いざというときも自然に話せるはずです。
そして、自分が、日ごろから弱い立場にいる人や、助けが必要な人に気を配っていれば、お互いさまで、自分がお世話なる立場になっても、自然に受け入れられるのだと思います。自分の困っていることを相談できる関係の人を、コミュニティの中で持てるかどうかが、とても重要だと再確認しました。
そして、まだ「痴呆症」と言われていた時代の名残りで、先入感や偏見を持たれて、かわいそうな人と特別扱いされ、普通の生活ができなくなってしまうのでは…という恐れを持っている人も多いのです。
その恐れをなくすためには、多くの人に認知症を正しく理解してもらい、認知症になっても、少しサポートすれば、普通に地域社会の中で暮らせるんだということを、あの手、この手で啓発していくことしかないでしょう。
そのために、小学生向けの認知症サポーター養成講座を実施したり、偏見をなくすために「徘徊」という表現を見直そう、そんなことも始まっています。
認知症への対応は、日々進化していますから、恐れず、長生きしましょうね。認知症の増加は、平和で100歳までも長生きできる社会になったことの現れなのですから…。
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