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忘れるな。たったひとつの「命」がどれほど大切なのかという事を

みなさんは日々、「命の重み」を感じていますか? 生きているのが「当たり前」になってしまっている日常のなかで、自分自身の命について考える時間なんて“0秒”だという人も少なくないと思います。無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』の著者で薬剤師・経営者でもある小原一将さんは、この「命の重み」について自身の考えを述べています。これを機に、命について考える時間を作ってみてはいかがでしょうか。

命の重み

命はお金よりも大切だとか、命より大事なものはないといった言葉はよく聞く。確かにその通りのようにも思う。そういった文脈の中で命の重みとは何かを考えてみたい。

私の「命」とは一つであり、私が所有しているものである。それは私の両親から授かったものであり、その両親が大切に扱ってきたものでもある。そう考えると私のものではありながら、両親のものであるとも言える。

所有者はもちろん私であるが、一定の口出しをする権利はあるように感じた。両親がいなければ私の命というものは誕生せず、そしてその命を今の今まで紡いでいくことができなかったからだ。

それは今の私の立場でよく理解できるようになった。命は自分だけのものではない。自分の上の世代に支えられ、そして自分の下の世代を支えなければならない。

昔はそういったことをほとんど考えたことがなかった。表現の仕方が正しいかは分からないが、命を雑に扱えた。自分が世界の中心にいて、好きなことをして、自分の思うように生活をして、今この瞬間だけを考えていればよかった。

命の重みを全く理解していなかったのだ。

命が大切だというのは分かっていたが、一人称でしか命というものを捉えておらず、自分の命が他人にとってどのような存在であるかを本当に理解はできていなかった。

つい先月に大学時代の友人が他界したと連絡を受けたことも、今回のテーマを考えるきっかけになった。特別、仲が良かったわけではないが、彼には妻と子どもがいることを知っていた。

「命の重み」というものは自分だけでは感じることが難しいのかもしれない。生まれたときから自分の命は自分とともにあり、片時も離れず命は側にあった。それは空気や健康と同じように、危機的なことが起こる、もしくは何かしら人生に大きな変化がなければ気づかないものなのかもしれない。

私の命自体に重みが増したというわけではないのだろう。その重さを実感し始めたと表現するのが正しいように思う。ただ、主観的に捉えるとそうなのだが、客観的に見ると重みが増しているのかもしれない。

命という物体があるわけではなく、概念であり主観的なものなのでその重さは誰が見るかによって変わるかもしれない。自分の命と言うが、自分から見た自分の命の方が適切であり、主観的な捉え方だけでは十分ではない。

命を別の角度から見る必要がある。生活にまた一つ、考えなければいけないことが増えた気がしている。

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小原一将この著者の記事一覧

■医師を目指して二浪したが実力不足のために薬学部へ。しかし、薬学には全く魅力を感じられなかった。哲学や心理学などの本を読み漁り、サークル活動やフリーペーパー作成など大学生活を薬学以外に費やした。 ■薬剤師資格を持たないまま卒業し、臨床心理士を養成する大学院へ進学。しかし、臨床心理学の現状に落胆。 ■薬学の勉強をし直して薬剤師資格を取得。薬局に勤務し今に至る。 人間とは何を考え、どのように行動するべきなのかを大学生活の4年間で考え抜いた。友情や恋愛、道徳や倫理などジャンルにとらわれないものを提供する。

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【著者】 小原一将 【発行周期】 毎月1,11,21,日

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