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歯科医も発見できず。説明の難しい歯の痛みに5年近くも苦しんだ話

身体になんとなく異変を感じて病院に行くと「どうしました?」と訊ねられ、自分でその症状の説明をしなければならない場合があります。ところが、痛みや違和感の説明は案外難しいもので、ときには原因が特定されないまま「しばらく様子を見ましょう」で終わることも。ある日感じた奥歯の痛みでそんな体験をしたのは、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さん。痛みを放置して約5年後に「それ見たことか!」と叫びながら同じ歯科医院に向かった経験を綴ります。

歯のこと

今日これからする話は全て私の身に起こった事実である。発端は5年前だ。ある朝、突然気付いたのである。物を噛むと、噛みしめると、左奥歯が痛い。上の歯とも下の歯とも分からぬ、ただ左の奥が痛いのである。いずれにしろこの痛さはただごとではない。紛うことなき歯医者案件である。こういうことは早く手を打たねば、その一心で歯医者に向かった。

その歯科医院には診察ユニットが4つあって、それぞれがパーテーションで仕切られていた。私は4番の椅子に案内された。お約束の質問が来る。「今日は、どうしました?」「実は…」と答える段になって自分がこれから伝えなければならないことが存外に面倒であることに気付いたのである。

「えーと、今は、こうして普通にしていると別に何ともないのですが…」
「はあ…」
「何かを噛むと、こう、噛みしめると左の奥歯が痛いんです」
「上ですか?下ですか?」
「分かりません」
「うん?」という顔を医者がしたので、すかさず語を継ぐ。
「今みたいに、上の歯と下の歯が離れている状態では何ともないんですけど、噛み合わせると痛い、めちゃくちゃ痛いんです。でも噛み合わせているから上か下かは分からないんです」
如何にも要領を得ない、といった顔で医者が言う。
「取り敢えず、レントゲンを撮ってみましょう」

小さなレントゲン室から出ると、どういう訳か、今度は2番の椅子に案内された。医者と二人でモニターに転送されたX線画像を見る。
「見たところ、何ともありませんね」
「先生、これ、右左・・・」
「あッ、逆ですね」
慌てて画像の左右を反転させる。こういうことがあると俄然医師の技量が疑わしくなる。
「やっぱり、何ともないですね」
「ですが、現実に痛いんですけど…」
「でも、どこかは分からないんでしょう?」
「まあ、そうですけど…」
「しばらく様子を見ましょう」
これでお茶を濁された。条件さえ整えば現実に存在する痛みを無視されたのだ。

帰り道、思った。
「様子を見ろ、だ?これ以上痛くなったら大ごとではないか。ちくしょう、俺も諦めが良過ぎた。ティッシュを丸めて噛んでみて、ほらほら今痛い、くらいには粘れば良かった」

家に着くと、物は試しといろいろな物を次々に噛んでみた。やっぱり痛い。ただ、どんな物でも痛い訳ではないようなのである。詳しく言えば、軟らかい物の中に混入(混在)した硬い物に当たると痛いのである。全体が均質なら少々硬くても全く問題ないのである。例えば、ご飯の中に時たま紛れている干乾びた米粒を噛むと激痛が走る、といった感じである。他にも、餃子の餡とパリパリの羽根、メロンパンの中と外の皮、食パンの内側と耳、軟中に硬あれば全てアウトである。

しかしながら食パンの耳でさえヤバいとなるとこの歯はいよいよ使い物にはならない。実に私はそれより4年と10ヶ月、ひたすら健側である右奥歯だけの片噛みで過ごすことになるのである。

カルテの保存義務期間である5年を前に、散々に悪くなった歯を見せつけて、あの時の落とし前をつけて貰おうじゃないか、と密かに闘志を燃やしていた矢先、思いもかけないことが起こった。

歯磨きの後、いつものようにフロスを掛けていたら、左下の奥から2番目の歯がポロリと欠けたのだ。フロスには何の手応えもなかったから、欠けるとか割れるとか言うより寧ろ崩れるといった感じだった。鏡で見てみると大きな臼歯の30%くらいが欠損している。欠片の方は干乾びたトウモロコシの粒のようであった。

それ見たことか!私は歯の欠片を小さなプラスチックの容器に入れ、勇んで歯医者に向かった。道中何度も心の中で「それ見たことか!」「それ見たことか!」と叫びながら。

思えば、私はバカである。自分の正しさが証明されるためなら5年にも亘る片噛みの不自由さに耐え、また今嬉々として欠けてしまった大切な己が身体の一部を持ち込んでまで相手をギャフンと言わせようとしている。本当にバカである。「それ見たことか!」というくだらない言葉に一体どれほどの価値があると言うのか。

医者が4年10ヶ月前のカルテなどまるでなかったふうに「じゃあ、治しましょう」と落ち着き払った声で言った時、案内された2番の椅子に座りながら胸の内でそんなことを考えていた。

せめてもの救いは、その医者がご丁寧に今度もまたX線画像の右左を間違えるという間抜けをやってくれたことであった。そんな昔のことなど向こうはとっくに忘れてしまっているに違いなかろうが、しつこい性質のこっちとしては随分と付き合いのいい医者だなと思うに十分な出来事であった。

image by: Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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