親から子供への虐待といえば、ネグレクトがよく聞かれますが、実はそれに次いで多いのが『教育虐待』というものなのだそうです。ネグレクトとまったく異なり、“子供のため”と親が思いすぎるあまりに起きうる虐待。そこで今回は、無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』の著者である真井花さんが、教育虐待とはどんなものなのか、どんな人がしてしまいやすいのかなど詳しく紹介しています。
教育虐待
さて、本日は善意が引き起こす恐ろしい罪のお話。
日本でも児童虐待の数が増加しています。
現在、問題になっているのが、親による
・教育虐待
という新たな虐待です。要するに、教育熱心すぎる親が過度な期待を子供に負わせて勉強させ思うとおりの結果が出ないと叱責する…というものです。
親が子供を虐待する場合、ネグレクトが典型とされますが、現在
・それに次いで多く
増加の一途を辿っているそうです。
これ、どういう理由なんでしょうね?
そもそも日本では
・子供は親の所有物的な思想が強い
とされています。まあ、かつては親子心中という究極の虐待がありましたし、それに対する社会の見方も「子供だけ残して死ねない」という親側の気持ちを気の毒がっていたんです。
最近でもヒッキーの息子を殺した元高級官僚の父親がいましたね。あれなど典型的だと思いますね。
そして、もうひとつが日本では人生上の出来事に対する
・自己責任論が強すぎる
ことです。自己責任論って
・成功したのは、努力して頑張ったから
・失敗したのは、努力が足りなかったから
ってヤツです。
これだと成功した人は人格的にも優れていて、失敗した人は人格までダメダメなヤツって感じがしますよね。まあ、能力主義と自己責任論は表裏一体のところがありますから、いわゆる先進国では同じような傾向にあるんです。
ところが、日本ではこれが他国より広く根を張っていて、人生でのなんらかの失敗・苦労・辛い状況に対して
・非常に無慈悲
なんです。辛いのはお前がとことん悪かった・怠惰だった・馬鹿だったからだ、仕方がないだろ我慢しろってことですよ。キッツイわ。
こうした精神的な土台があるので、真面目で能力の高い親たちが
・子供に幸せで豊かな生活を送ってほしい
・そのためには学力だ
・勉強させなきゃ
という順を追って、子供を勉強に追いたてるんです。まさに
・子供のためを思って
・まっしぐらに
教育虐待に走っていくんでしょう。悲劇だわ。背景にあるのは、失敗させたくない親心なんですね。
さらに、教育虐待に走る親は、親自身が学歴コンプを持っていることが多いとされています。こうなると、それはもう、切ないほど強い気持ちで子供の高学歴を望むのでしょう。
子供に過剰に勉強させてしまう教育虐待が増え続けているというお話でしたね。
教育虐待によって、子供は
・自信が持てなくなる
・学力が低下する
・意欲が低下する
などに陥ると言われています。なんか厳しすぎる躾ソックリですね。教育虐待で難しいのは、子供へのネガティブな影響だけでなく
・親に虐待の認識が無いため分かりにくい
ことです。親は教育熱心な親が多く
・ひたすらに子供のためだと信じている
ので、虐待だなどという認識は全く持てません。認識のないものって、その人の世界には存在しないわけですからそりゃ問題が表面化しずらいですよね。だから、親御さんは機械的に定期的に
・客観的な指標をチェックする方がいい
のではないかと思います。自分の主観、つまり「教育虐待なんてしていない」という考えに頼らずにね。
教育虐待になっているかもしれない判断基準として、たとえば以下のようなものがあります。
・子供のスケジュールに1週間空きがない
・夜遅い時間・休日まで塾・習い事をさせる
・成績が悪い・宿題をしないなどの理由で「こんなのもできないの?」とか机を叩いて怒鳴るなどする
・志望校や職業など子供の将来を勝手に決める
・子供を遊ばせない
などです。この虐待の態様が、過剰に勉強させることなんだから、当然っちゃあ当然ですが、子供の意思や意識を勉強だけに集中させようとする異常な熱意を感じますよね。時間的空間的に遊びや趣味から遠ざけ成績で叱咤激励する…。
教育虐待の原因が上記ような、子供を親の所有物と見がちな文化的な土壌と極端な自己責任論にあるとすれば、これは
・誰でもがやってしまう危険がある
のでしょう( ̄■ ̄;) そうだとすると、個人が気をつけようと思っているだけでは防げない可能性が高いのです。教育虐待をしてしまう親は、虐待の認識どころか
・迷いなく
・子のためにと思って
いることが多いのだそうです。つまり、完全な善意であり、自分の行動を自分では振り返ることができない精神状態なのです。
・子の進路を真剣に考えてやっているか とか
・子の適性に相応しいアドバイスをしているか とか
こういう質問に対して
・YES!!
と即座に答えてしまうようなタイプが最もアブナイのだそうです。その迷いの無さが危険なんだと。子育ての正解など、フツーの親は分からないまま暗中模索で進んでいくのに、それを「自分は正解の道を歩んでいる!」と躊躇せずに言えるってトコがアブナイ。
また、この判断基準は「真剣に」とか「相応しい」とか少し主観的な感じがありますね。それ自体が悪いわけじゃないでしょうが判断基準は
・できるだけ客観的なもの
の方が教育虐待に関してはワークするようです。悪い生活習慣がいつの間にか生活習慣病を引き寄せるように文化的習慣の悪い部分がいつの間にか文化的習慣病を引き寄せてしまうんでしょう。
親戚の子を高校受験半年前に引き取った後の夏休みは
・ほぼ教育虐待状態
でしたね。一日勉強漬けで、目一杯お尻を叩きましたね。私立も含めていかなる高校にも進学できないと教師にサジを投げられていた底辺中学生だったので、
・止むを得なかった
んですが、それは保護者側の考えでしょう。
当の本人は、高校なんてどうでもいいと思っていたようですから( ̄∇ ̄)。まあ、この状況で介入が虐待まがいの強制力を伴ってしまったのは仕方がないんですが…あの時点で上記の判断基準に照らせば間違いなく教育虐待でしたね。ホントに評価が難しいと思います。
増え続ける教育虐待。善意で子供を潰してしまう前に、たまにはチェックリストを眺めてみて。
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