受験生がこれまでの努力の集大成を発揮させる大学入学共通テスト初日、東京大学会場前で発生した刺傷事件。そのあまりの短絡性と異常性に日本中が衝撃を受けましたが、何が少年を犯行に走らせてしまったのでしょうか。今回のメルマガ『上杉隆の「ニッポンの問題点」』ではジャーナリストの上杉隆さんが、その背景に日本の「東大信仰」が影響していると指摘。さらにその信仰を「日本でしか通用しない気色の悪いカルト宗教」だと持論を展開しています。
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『東大王』というテレビ番組のある国の刺傷事件
1月15日の東大正門前での刺傷事件、容疑者の少年の犯行の動機は東大受験へのプレッシャーだったと解説されている。
大学入学共通テスト会場となっていた東京都文京区の東京大学前の歩道で高校生ら3人が刃物で切り付けられた事件で、警視庁に殺人未遂容疑の現行犯で逮捕された名古屋市の高校2年の少年(17)が「自殺する前に人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考えた」と供述していることが15日、分かった。「医者になるため東大を目指していたが、1年くらい前から成績が上がらず、自信をなくした」などとも供述しているという。(産経新聞)
事件そのものではなく、いつものようにメディア報道の観点から記してみる(注・日本のエリートバカをからかうような表現が随所にあります。気分を悪くされる東大卒の方には最初に謝っておきます。なお被害者の方の1日も早い回復をお祈り申し上げる気持ちに変わりはありません)。
この事件を受けて、多くのメディアや評論家たちが、一流高校の高校生が東大受験のプレッシャーに苦しんでいるという解説をしたり顔で行っている。驚きを禁じ得ない。大丈夫か?人を刺すようなやつを「一流」と言って……。
「東大信仰」を無自覚に披瀝しているコメンテーターたちは後を絶たない。テレビ番組などを見ていると絶望を通り越して笑ってしまう。「東大、すごいですね!」と目をキラキラさせているタレントたちは「日本型エリート」に支配された愚か者(バカ)にしかみえない。とくに『東大王』というクソ恥ずかしいタイトルをきっと誇らしげに番組名に冠している、東京放送(TBS)、大丈夫かよ?本当に(笑)。
そもそも「東大信仰」など世界人口の50分の1にも満たない、極東の言論鎖国国家(日本)でのみ通用する「宗教」にすぎない。
しかも、影響力からしても、もはや「カルト」だ。気色の悪いカルトだ。こういうと番組降板させられるので、テレビにしがみついている評論家はここで読むのを止めるのをお勧めする(笑)。
10年ほど前、茂木健一郎さんと「週刊ポスト」(小学館)誌上で一緒に東大批判を行ったことがある。その茂木さんが、1月18日、自身のTwitterでこう書いている。
もうさ、特定の大学をはやしたてるようなメディアの演出やめようよ。 某クイズ番組とか。インスタのメンタルヘルスに与える悪影響の議論と同じ水準できちんと批評すべきでしょう。
「東大無理」に心折れる 少年、面談引き金か 東大前刺傷https://t.co/2CMYU60TfL
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) January 17, 2022
もうさ、特定の大学をはやしたてるようなメディアの演出やめようよ。某クイズ番組とか。インスタのメンタルヘルスに与える悪影響の議論と同じ水準できちんと批評すべきでしょう。(@kenichiromogi)
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そういえば、TBSなどのテレビに出演していた頃、まだwikipediaも整備されておらず、相手が何者であるかを知るには、直接本人に聞くのが一番手っ取り早かった。そこで、初対面の挨拶や話題は、故郷や学歴ということになることが多かった。そう、銀座のクラブや西麻布のラウンジと同じである。
「早稲田?慶応?え、東大!すごいね」
「彼は、東大だから優秀なんだよね~」
東大信仰は、日本型エリートにとって居心地がいいのである。なぜなら、世界を俯瞰し現状を認識する能力の高くない彼らにしてみれば、「東大卒」は10代のころに手に入れた、自己承認欲求を満たす数少ない「成果」に他ならないからである。とくに、NHKとTBSは、当時から東大卒の比率が圧倒的に多かった。だから『東大王』などという…以下自粛。
よって、この二局の人たちと話すときは比較的容易に歓心を買う方法があった。「東大賛美」の言葉を羅列しておけばよいのである。もちろん、心にもない空疎な言葉だったので具体的な文言の記憶はありません。はい、すみません(笑)。
さらに、地方の公立大学である母校(都留文科大学)の名前でも出せば、彼らの機嫌はよくなるのだ。18歳や19歳のときの受験結果が何歳になっても通用するのである。良い国だ。日本の教育リテラシーがいつまでも高くならないのも頷ける。いや、失礼、低レベルに無自覚だから永遠に高くなることもない。ことばは難しい。
NYTで働いていた時のこと。特派員たちと大学時代の友人の話になったことがある。確か私の大学友人のひとりがタイムズに遊びにきたことがきっかけだったと記憶している。彼は日本人である。すると、ひとりの特派員が、友人の帰った後、私に他の彼のことを聞いたうえでこう言ったことを思い出す。
「なぜ日本人しかいないんだ。大学は世界中から学生が集まっているのが普通だろう。ぼくの大学友人たちだって、カナダ人(モントリオール)、インド人(ニューデリー)、スコットランド人(エジンバラ)、中国人(北京)、シンガポール人(シンガポール)とざっと挙げただけで各国にいるよ。日本の大学は日本人しか入れないのか?」
私の出身大学が特殊なのではない。当時は東大だろうが、早稲田だろうが、慶応だろうが、日本語でのテストが主流で、よって海外の受験生にとっては日本語という壁があり、結果、日本人しか存在しない大学というのが当然の状況であった。
しかし、世界は違うのである。シンガポール大学や北京大学が世界的なレベルになっているのと比して、東大が世界で誰も相手にされないほど低レベルであることをマスコミのエリートたちが知らないはずもない。なぜだろう。なぜ彼らは現実を知りながら『東大王』などという恥ずかしい番組を作ってしまうのだろう。もしかして、いや、信じたくないが、彼らは本当の◯◯なのかもしれない…(今回は伏字にしました)。
社会に出ても「東大信仰」を引きずった日本のエリートバカは無自覚ゆえに救いようがない。それはもう仕方のないことだ。だが、後生だから、これ以上純粋な国民を惑わすことはやめてほしい。さもないと、東大ごときで命を狙うようなバカがまた発生してしまう。
※ なお、筆者は東大信仰というエリートシステムを批判しているのであって、東大受験を目指している学生の個人的な努力を否定するものではありません。
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