MAG2 NEWS MENU

首相も大臣も世襲ばかり。危機感も人材も足りぬ自民党が衰退させた日本

かねてより人材不足が問題視されていた自民党。8月10日に成立したばかりの第2次岸田改造内閣では早くも3人の大臣が更迭されるなど、その影響は深刻なものとなっています。何がここまで与党を劣化させてしまったのでしょうか。今回、毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは、その大きな原因は議員の「世襲」にあると指摘。彼らが幅を利かせ、非世襲議員が旧統一教会に頼らざるをえない自民党の現状を批判的に記しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

岸田内閣辞任ドミノと世襲

わずか1カ月の間に3人の閣僚が辞任に追い込まれた岸田政権。早くも「4人目は選挙運動員買収疑惑の秋葉賢也復興相か」という声が、まことしやかに囁かれている。

しかし「4人目」の可能性を考える前に、筆者は「3人目」の交代劇に、ある種の深い感慨を抱いた。政治資金問題をめぐって寺田稔総務相が更迭され、後任に松本剛明氏が就任したことである。

松本氏と言えば、自民党から一度は政権を奪った民主党の閣僚経験者であり、一方で父親が自民党で閣僚を務めた世襲議員でもある。政権にとって危機的なこの状況で、こういう人事をやれてしまうのは、岸田文雄首相の危機感のなさなのか、それとも自民党の人材難なのか。

いくつかのメディアが松本氏について「元外相」と紹介した。確かにその通りだ。しかし、松本氏が外相を務めたのは、自民党の政権ではない。民主党の菅直人政権である。

2011年3月、菅内閣で外相を務めていた前原誠司氏に、在日外国人から政治献金を受け取っていた問題が発覚。前原氏は同月6日に辞意を表明し、翌7日、副大臣だった松本氏が外相に昇格した。

政党が異なるとは言え、松本氏にとって今回の総務相就任は、またも前任者の辞任に伴うピンチヒッターという形になった。「何と因果な」と思ったのは筆者だけだろうか。

そして、自民党的な目線では、松本氏は自民党議員(それも閣僚経験者)の父を持つ世襲議員だ。

松本剛明氏の選挙区である兵庫11区は、中選挙区時代には剛明氏の父松本十郎元防衛庁長官と、戸井田三郎元厚相の二人が、自民党内で激しく争っていた。小選挙区制で初の選挙となった1996年、剛明氏は十郎氏の後を継ぎ兵庫11区からの出馬を目指したが、自民党はベテランの戸井田氏を公認した。戸井田氏は選挙期間中に急死し、次男の徹氏が補充立候補した。

剛明氏は無所属で出馬し、小選挙区で徹氏に敗れた。無所属候補は比例代表で復活できないため、剛明氏は議席を得られなかった。

次の2000年衆院選で、剛明氏は民主党から出馬。徹氏を破り小選挙区で初当選した。

中選挙区時代であれば、松本氏が無所属でも下位で当選し、自民党の追加公認を受けることも可能だったかもしれない。だが、1選挙区に1人しか当選しない小選挙区では、このやり方は取れない。松本氏が対立政党の民主党からの出馬に転じたのは、こういう事情もあったのだろう。

松本氏のように、小選挙区制導入直後の2000年代前半には、選挙区が空かず自民党から出馬できない保守系候補が、候補者の数が十分でなかった民主党から出馬するケースが目立った。「保守2大政党」を求める当時の政界の圧力のなか、自民党出身議員も数多く所属していた民主党からの出馬は、彼らにとって違和感が少なかったとも言える。

父親が元防衛庁長官ということもあったのか、松本氏は民主党内で、外交・安全保障に通じた政策通として、早くから頭角を表した。政権交代前の2003年には、当選2回で民主党「次の内閣」で防衛庁長官を務め、05年には当選3回で政調会長に抜擢された。

民主党が09年に政権を獲得し、松本氏が前述したような理由で急きょ外相に就任したわずか4日後、東日本大震災が発生。未曾有の大混乱のなか、松本氏は外相として、支援を申し出る諸外国との調整などに奔走した。政権内で大きな経験を積んだ松本氏は、そのまま民主党にいれば将来の代表候補に成長した可能性もあった。

しかし、民主党が下野した後の2015年、松本氏は同党が共産党との連携を深めつつあることへの違和感を表明して同党を離党。17年に自民党入りした。

松本氏のほかにも、細野豪志氏や長島昭久氏など、ほぼ同時期の2000年代前半に民主党から初当選した保守系議員が何人も、松本氏とほぼ時を同じくして、民主党を離れ自民党入りしている。

下野後の民主党が自らの存在意義を模索するなか「自民党との違い」の強調に傾くのは必然と言えたが、民主党の存在意義を「自民党とさほど違わない」ことに置いていた保守系議員にとって、党が居心地の悪いものになっていったことは、理解できないこともない。安易に自民党にくら替えできたのは、民主党時代から「政党ではなく個人の力で当選を重ねてきた」という自負もあったのだろう。

しかし、政権選択をかけて事実上「与党か野党か」の二者択一を迫られる形の衆院選において、2大政党の片方からもう片方へと政党を安易に移動するのは、有権者の負託をあまりにも軽く考えていると言わざるを得ない。

だいたい「保守2大政党なんて成り立たない」ことを理解していない段階で、まず政治センスがない。自らの政治信条に従い、自民党からの公認を得るため臥薪嘗胆するということもなく、ただ安易に「早く国会に議席を得たい」というだけの理由で、敵対政党からの出馬を選ぶ政治家の目指す政治とは何なのか、という気にもなる。

保守系に色分けできる議員は、立憲民主党や国民民主党など、現在の野党陣営にも何人も残っている。しかし、その多くは(すべてとは言わないが)「自民党とは違う社会像を目指す」「政権交代で政治を変える」ことを明確に意識している。厳しい野党暮らしに耐え、政権奪回という「いつ来るかも分からぬ機会に備えて」いる。安易に自民党入りなど考えたりしない。

筆者はそういう政治家の方に信頼を置く。

ともあれ松本総務相の就任は「対立政党に幹部級まで育てられた人材に頼るほど、今の自民党には人材がいないのか」ということを感じさせるに十分だった。あれほど「悪夢の民主党政権」と口を極めて罵っていたのは、一体何だったのだろう。

しかし、このケースは特殊事例ではある。「自民党の人材難」をより明確に示すのは、やはり「世襲」の方だと思う。

今回の報道で驚かされたのが、松本氏が「伊藤博文の子孫」だったことだ。何というビッグネーム。松本氏自身が伊藤博文から代々続いた世襲というわけではないが、一般的なの世襲議員に何か「箔付け」されたような気持ちにもなる。

ビッグネームと言えば、松本氏に後を譲る形で更迭された寺田氏も、義理の祖父は池田勇人元首相。岸田首相が率いる派閥・宏池会の創設者である。

寺田氏に先立ち「2人目の辞任」となった葉梨康弘前法相も、葉梨信行元自治相の娘婿。信行氏も父親の地盤を継いでいるから、3世議員ということになる。「1人目」の山際大志郎前経済再生担当相は世襲議員ではないが、世襲でなかったからこそ、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との深い関わりを必要としたのかもしれない。

このタイミングで発売された中川右介氏の著書『世襲』(幻冬舎新書)は、歴代の首相の「家族関係」を軸に戦後政治史を描いている(ほかにも企業や歌舞伎界の世襲の実態も描いているのだが、とりあえずここでは置く)。

これでもかと言うほど、政治家の世襲に次ぐ世襲の話が延々と続く。頭では分かっていたつもりでも、心底うんざりさせられる。特に「岸信介・佐藤栄作・安倍晋三の一族3名だけで、戦後77年のうち20年も政権の座にあった」という一文にはめまいさえ覚えた。

その「戦後政治世襲史」の最後を飾る岸田首相自身も3世議員。そして首相は10月、この状況で長男を首相秘書官に起用した。

この本は政治家の世襲について「長く政権を握り続け、政府と一体化している自民党固有の現象と言っていい」と指摘。「いまの日本が経済的・外交的に衰退しているとしたら、その原因のひとつは、21世紀になってから世襲政治家が増えたことにある」「政治家の子でなければ国会議員になれず、なれたとしても大臣、総理大臣になれないとなったら、有能な人は参入してこない。いまの政界は、この状況にある」とも記している。

「親ガチャ」の勝ち組である世襲議員が幅をきかせ、世襲でない議員が旧統一教会に頼らざるを得ない。岸田首相は早くも、年内にも内閣再改造することを検討しているようだが、こんな党内環境のなかでは、何度改造を繰り返しても、失敗するのは目に見えているのではないか。

image by: yu_photo / Shutterstock.com

尾中香尚里

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け