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今もチラつく安倍氏の“亡霊”。こじれた諫早湾干拓裁判で最も責任が問われる輩

長らく争われていた諫早湾干拓事業をめぐる訴訟で、「開門無効」を勝ち取った現政権。この判決を識者はどう見るのでしょうか。毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは今回、全責任を問われるべきは安倍政権以降の自民政権として、その理由を解説。さらに判決確定後に現役大臣が口にした、国民に泣き寝入りを強いるかのような言葉を強く批判しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

安倍政権以降の自民に全責任。民主主義の根幹揺るがす諫早湾干拓判決

開門するのか、しないのか。国営諫早湾干拓事業をめぐり約20年にわたって続いてきた法廷闘争が今月、事実上決着した。「開門」「非開門」でねじれていた司法判断が、最高裁第3小法廷の決定によって「非開門」に統一されたのだ。「政治が地域を翻弄した」「分断修復に国は責任を持て」。報道ではこのような「一億総ざんげ」的な、安直なまとめの言葉があふれている。

これらのまとめが間違いだとまでは言わない。だが、こういう「みんな悪かったよね」的なまとめは、本来の責任の所在をあいまいにしかねない。一言で「国の責任」「政治の責任」と言ったところで、そこで言う「国」や「政治」とは何なのか、責任を問われるべきは何なのか、そういうことが不明確になってしまうからだ。

だから明確にしておきたい。この問題で最も責任が問われるべきなのは「安倍政権以降の自民党政権が開門に応じなかったこと」の1点だ。

今回の問題は、三権分立が確立しているはずのこの国で、時の行政が司法の確定判決に従わなかったばかりか、その判決の「無効化」を図ったという話だ。そして、結果として最初の確定判決を覆し、政権にとって都合のいい行政を実現させたわけだ。

これは「諫早湾干拓訴訟」という特定の政策課題として語ればすむ問題ではない。安倍政権以降3代にわたる自民党政権の強権的な政治手法は、こんなところにも表れている、という話なのである。

有明海の漁業者が開門を求めて起こした訴訟で、佐賀地裁が国に開門を求める判決を出したのは、自民党の福田政権当時の2008年6月。国は控訴したが、福岡高裁も2010年12月にこの判断を支持した。

ところが、この福岡高裁判決の段階で、政権は自民党から民主党の菅直人政権に移っていた。民主党は野党時代から諫早湾干拓事業を「走り出したら止まらない公共事業」の象徴として批判しており、菅氏は政治判断で上告断念を表明。開門を求める判決は、ここで「確定した」。

諫早湾干拓をめぐる問題の混迷について、菅氏の上告断念に責任を求める向きが、たまにある。「最高裁の判断を仰がなかったのはけしからん」というわけだ。

これはおかしい。司法判断をどの段階で受け入れるかについて、この時の手続きに瑕疵はない。自民党政権も、ハンセン病患者の隔離政策をめぐる訴訟で、当時の小泉純一郎首相や安倍晋三首相が地裁判決を受け入れて控訴を断念し、判決を確定させたことがあった。自民党政権の好きな言葉を使うなら「そのご批判はあたらない」だろう。

国民に「泣き寝入り」強いる現役大臣の発言

諫早湾干拓の話に戻る。

判決では開門開始の期限は、3年後の「2013年12月」に設定されていた。ところが、期限から1年前の12年12月、民主党は衆院選で大敗。自民党の第2次安倍政権が発足すると、安倍政権は司法に求められた開門の求めを無視した。「行政が司法の確定判決に従わない」という暴挙に出たのである。

敗訴が確定した国にとって、司法の判断が面白いものであるはずはないだろう。しかし、だからと言って「行政訴訟で司法が出した結論を当の行政が無視する」というのは、民主主義国家としてあり得ない。

それどころか安倍政権は、政権復帰後の14年1月、開門を命じた福岡高裁判決の「無効化」を図る訴訟を佐賀地裁に起こした。自らが敗訴した判決の「ちゃぶ台返し」を求めたのである。

この提訴の背景には、前年11月に長崎地裁が「開門差し止め」を命じる決定を出し、司法判断がねじれた事情があった。しかし「開門せよ」「開門するな」と司法判断がねじれた時に、どうして行政が一方的に、自らが負けた方の裁判について、その判決を「なかったことにする」ことを、平然と求めるのだろうか。その神経が理解できない。

第2次安倍政権以降の歴代自民党政権は、その後も裁判所が呼びかけた和解協議の場につくことを拒み続けた。「開門の余地を残した協議の席にはつけない」と。

まるで駄々っ子である。

そして、意外に注目されていないのだが、筆者があ然としたのは、最高裁判断が明らかになった2日、野村哲郎農相が記者会見で語った言葉だ。漁業者に対し「訴訟だけはもうおやめいただきたい。でないと、せっかくの宝の海が持ち腐れになってしまう恐れがある」と述べたのだ。

「訴訟だけはもうやめて」。それは、憲法で国民に認められた「裁判を受ける権利」を踏みにじるものだ。行政に不当な扱いを受けても、あとは行政がよしなにしてやるから、訴訟なんて水臭いことは言わずに泣き寝入りせよ、と言っているわけだ。

さすがにこれはまずいと感じたのか、野村農相は8日の衆院農林水産委員会で「紛争の一つの区切りにしたいとの気持ちだった」と発言を釈明したが、遅い。何しろ「裁判をやめていただかないと、宝の海が持ち腐れになる」とまで言っているのだ。

「あなたたちのためにならない」という国民への脅し

思い出すのは、沖縄県の基地問題で「名護市辺野古沖に移設しないと、米軍普天間飛行場(宜野湾市)に基地が固定されてしまう」という、政府の常套句だ。諫早湾問題も同じである。「政府の方針に従わないと、あなたたちのためにならない」という論法で、国民に脅しをかけているのだ。

こんなことが当たり前に行われるようになれば、誰も国を相手に訟なんか起こす気にならなくなるだろう。仮に国に勝訴したとしても、負けたはずの国が後から判決を覆すことも可能なら、誰も裁判を信頼できなくなるからだ。彼らの狙いはそこにある。

少し見渡してみれば、この10年余の自民党政権をめぐる話題はそんなことばかりだ。例えば「野党は批判ばかり」を国民に刷り込み「批判しない野党」を褒め上げることも、今騒ぎになっている、放送法の解釈変更によるテレビ報道への恫喝まがいの姿勢も、元をたどせば皆同じである。要は「政府(行政)から独立した立場で監視したり批判したりする立場の存在から徹底的に牙を抜き、政府のやりたい放題の状況を作り上げる」ということだ。その最たるものが、憲法改正による緊急事態条項の創設である。

こんな政治をいつまで続けるのか。諫早湾干拓問題の訴訟をめぐる歴史は、個別の政策課題を超えて、このように読むことも可能な話だということを指摘しておきたい。

image by: 首相官邸

尾中香尚里

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

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