日本中を衝撃とともに駆け巡った、ryuchellさんの訃報。多様性について積極的に発言していたryuchellさんの自殺報道は、さまざまな方面に大きな波紋を広げています。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では健康社会学者の河合薫さんが、訃報を巡るツイッターの荒れようを批判。さらに自身の経験や当事者の声を交えつつ、性的マイノリティの生きづらさについて考察しています。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
言えない、知られたくない、自分らしく生きたい。ryuchellさんの訃報と「根っこは同じ」こと
先週立て続けにSNSにあふれる「言葉」の数々に、ほとほと嫌になる出来事が起こりました。
1つ目は経産省に勤めるトランスジェンダーの職員への「女性用トイレの使用制限」の違法判決について、2つ目はタレントでモデルのryuchellさんの訃報についてのツイッターの荒れようです。
トランスジェンダー職員のトレイ問題と、ryuchellさんの訃報は全く別の問題ではありますが、私には「根っこは同じ」ように思えます。
2人ともこれまで「そこにあるのにない」ように扱われた問題に声を上げ、「これまでの当たり前が当たり前じゃない」と一歩踏み出した人。どちらも「私」たちの社会の問題でもあるのに、「自分が見ている世界」が全てとばかりに、憶測に基づく罵詈雑言が綴られていて呆れました。
トランスジェンダー職員のトレイ問題については、本日公開の日経ビジネスのコラムに書いたので、メルマガでは性的マイノリティの生きづらさについて取り上げます。
以前、お伝えしたかもしれませんが、私は数年前にHIV陽性者のための大規模な調査研究に、研究者のひとりとして参加しました。調査項目は、HIV検査、陽性告知、医療環境、暮らし、仕事、セクシャルヘルス、アディクション、人間関係、心の健康などで、私は「心の健康」の担当です。
その中に「自殺念慮」を問う項目を設けたところ、対象者1,100名のうち7割以上が「これまでに自殺を考えたことがある」と回答。そのうち「過去一年間に本気で自殺を考えたことがある」という人が約3割もいました。
自殺念慮とは、特別な理由なくまたは周囲の人には理解できないようなきっかけで「自殺したい」という思いにとらわれてしまう心理状態です。ストレスの原因から逃避するために自殺を手段に選ぶ「自殺願望」とは違い、能動的かつ具体的に自殺を計画しようとする傾向があることがわかっています。つまり、全体の3割、3人に1人が自殺念慮を抱いていたのです。
調査ではストレス対処力であるSOCも測定したのですが、一般の成人を対象とした調査に比べ、著しく低いことがわかりました。SOCは育った環境で育まれる力です。特に「信頼できる人がいるという確信」は、SOC形成に大きな影響を与えます。
これまで世界中のSOC研究者たちが調査した結果でも、SOCの高い人たちは一様に「私には信頼できる人がいる」とし、「自分の生活世界は信頼できるものだ」と考えていました。
なぜ、性的マイノリティが大半を占めるHIV陽性者に、SOCが低い傾向が認められたか?この点については先の調査結果だけでは特定することはできません。
しかしながら、自殺念慮の高さから推測すると、彼ら彼女らには心を許せる友人がいなかったのではないでしょうか。言いたくても言えない、知られたくない、でも、自分らしく生きたい…。そんな生きづらさを抱えて生きている。生きる力がいつ萎えるかもわからない、ギリギリの状態にある。なのに「場外から石を投げる人」があとを断ちません。
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また、10代のLGBTQを対象にした調査では、過去1年に48.1%が自殺念慮を経験したと回答したのです(NPO法人ReBit調べ)。
この調査には、以下のコメントが寄せられていました。
自認する性で生きられないことが死にたくなるくらい辛いことだと分かってほしい。何気ない言葉に沢山傷ついてるのを知ってほしい、気づいてほしい(15歳)
LGBTQの芸能人のことを「なにあれキモイ」と親が言っているのを見て、同じセクシュアリティでは無いけれど、嫌だなあと思った(16歳)
親に「お前そっちじゃないよな」など探りを入れられる度に「そんなわけない」と嘘をついて笑うことが辛かった。家の中でさえ、自分が自分でいられないことが辛かった(18歳)
これらの結果をみれば、いかに「最初に声」をあげることが勇気のいることなのか?どれだけの人が「勇気ある人の声」に救われるか?がわかるのではないでしょうか。
私はLGBTQの方たちに関わっていてわかったのが「何が偏見になってしまうのか、何が彼ら彼女らを傷つけてしまうのかわからない」ということでした。
理解できたと思っていたようなことが、一瞬にして打ち壊される経験を何度もしました。
そして、当事者の人たちの痛みを知れば知るほど、意図せず傷つけてしまうことに敏感になり、私は本当に寄り添えているのか?私の理解で本当にいいのか?自分は本当に偏見を持っていないのか?と、行動がぎこちなくなる。でも、そのぎこちなさや不安があるからこそ、当事者の人も色々と話してくれたように思うのです。
みなさんのご意見お聞かせください。
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image by : Dick Thomas Johnson from Tokyo, Japan, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons