60歳といえば還暦、赤いちゃんちゃんこを贈られる年齢ですが、例えば唐沢寿明さんや川崎麻世さんがその年齢に達しているとは到底思えないのが現実ではないでしょうか。そんな「謎」を解き明かしているのは、心理学者の富田隆さん。富田さんはメルマガ『富田隆のお気楽心理学』で今回、実年齢に0.7をかけるという人生100年時代の年齢換算法を紹介するとともに、現代を生きる高齢者の「宿命」について解説しています。
「磯野波平」世代に突入した心理学者が考える、実年齢に0.7をかけて分かること
以前にも紹介したことのあるかもしれませんが、現在を生きる私たちの年齢を昔の人たちのそれと比べる場合、実年齢の70%ほどだと考えるとちょうど良いという説があります。
昔に比べて、エントロピーが増大し、人生の時間が薄められていますから、その分を考慮に入れて、実年齢に0.7をかけるのです。
すると、現在60歳で還暦の人は42歳、70歳の古希の人は49歳になります。
換算してみると、ちょうど良い感じではありませんか。
「美魔女」などという言葉がちょっと前に流行りましたが、現代では、若々しく奇麗な50歳や60歳は当たり前になってしまい、見慣れたせいか、誰も驚かなくなりました。
中には、60歳を過ぎてヌードグラビアを出す女優さんもいて、これはこれでなかなかに魅力的なのです。
しかし、昔の年齢に換算すると60歳も42歳であることに気づけば、そこまで驚くことではないのかもしれません。
この要領で、後期高齢者の入口である75歳に0.7をかけてみると52.5歳、四捨五入して53歳になります。
『サザエさん』一家のお父さんである磯野波平氏の設定年齢は、明治28年生まれの54歳なのだそうですから、現在の後期高齢者は昭和20年代の波平さんと同じくらいの老け具合だということになります。
波平さんのヘアスタイルを思い出すと納得ですね。
私も「波平世代」。あの磯野家のお父さんと同じ世代に突入したわけです。
ちょっと頑固になって来たところとか、外見が老け始めたところ、その一方で「老人扱い」されるのを嫌うところ、等々、波平さんの特徴の多くが、今の自分に当てはまるようになってきました。
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【発達課題】
米国の心理学者エリクソン(Erik Homburger Erikson 1902-1994)は、人間の成長(発達)の段階を8つに分類しました。
それは、
- 「乳児期」(出生から1年未満)
- 「幼児期初期」(1歳から3歳未満)
- 「幼児期後期」(3歳から6歳未満)
- 「学童期」(6歳から13歳頃)
- 「青年期」(13歳から22歳頃)
- 「成人期」(22歳から40歳頃)
- 「壮年期」(40歳から65歳頃)
- 「老年期」(65歳以上)
という構成になっており、それぞれの発達期には、成長のために達成しなければならない「心理的課題」が存在するとエリクソンは言います。
たとえば、生まれたばかりの「乳児期」であれば、自分の面倒をみてくれる母親や家族に対する「信頼」の気持ちを確立する必要があり、これがその後の人間関係の基礎になります。
同様に、幼児期には「自律性」と「積極性」を、さらに学童期には「勤勉性」を身に付ける必要があります。
そして、青年期の課題は、「アイデンティティー(自我同一性)」の確立です。
つまり、自分とは何者かということを自覚し、将来いかなる存在になりたいかという意思を確立することが課題なのです。
22歳以降(現代では青年期が延長され、26~7歳以降?)の「成人期」は、職場や家庭で具体的な役割を担う時期であり、仕事仲間とのチームワークや、家庭でのパートナーとの親しい関係を築く必要が生じます。
仕事仲間ともパートナーとも信頼しあえる「親密性」を築くことがこの時期の心理的課題になります。
そしてアラフォーも過ぎ、いよいよ「壮年期」に入ると、人は自分がこれまで身に付けて来た職業上の、あるいは家庭生活に必要な「知識」や「技術」を「次の世代」に伝達し彼らの成長を援けるという「課題」を与えられます。
エリクソンはこれを「世代性」と呼びました。
人生の仕上げの時期である「老年期」においては、「死」が身近に迫ります。
「死」は、ある意味で、自分自身という「個」の存在と「世界」「宇宙」の「統合」です。
死を「受け入れる」ためには、自分自身のこれまでの人生を総括して、その「意味」を悟り、まずはそれらを「受け入れる」必要があります。
この心理的課題をエリクソンは「自我の統合性」と呼びました。
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【二重性】
これまで見て来たように、「人生100歳時代」の現代においては、エリクソンが8つの「発達期」を区分した時代に比べ、年齢設定は後ろの方に向かって延長されています。
「30歳でようやく一人前」と言われたり、結婚時期の遅れなどは、明らかに青年期の延長現象であり、同様に、仕事の「定年」も延長されようとしています。
先ほど紹介した、「実年齢に0.7をかける」ことで得られた仮の年齢に合わせて、発達課題の問題も考えた方が良いのです。
たとえば、30歳に0.7をかければ21歳ですから、現代の若者が30歳になって「一人前の社会人」つまり「成人期」に達するのは、ごく自然なことなのかもしれません。
ということは、75歳になり「後期高齢者」グループに参加する私は、エリクソンが活躍した当時の年齢に換算すれば53歳で「壮年期」の真っ只中、ということになります。
逆に言えば、壮年期に達成するべき「課題」を、まだやり遂げていないということなのかもしれません。
壮年期の課題は「世代性」であり、これまでの人生で学び取ってきた「知識」や「技術」を次の世代に伝達することでした。
聡明で先進的な企業では、定年後の世代を動員して、これまで蓄積した「社内文化」や年寄りの知恵?!を若年層に伝達するということに予算と人員を割いています。
個人差はあると思いますが、その人が健康なら、定年後も80代までは、こうした「伝達」の仕事に係わっていけるのではないでしょうか。
しかし一方では、「死」は否応なく私たち世代にとって身近な課題になりつつあります。
私個人も昨年までの数年間に、親しい友人を何人も見送りました。
新年に入ってからも、同級生の思いがけない逝去を知らされました。
私のような脳天気な者でさえ「次は自分かもしれない」とどこかで思っています。
世間一般で言われる「終活」も必要でしょう。
少なくとも、自分自身の人生を振り返り、生きて来たことの「意味」を納得することが求められています。
つまり、老年期の課題も同時に突き付けられているのです。
「壮年期」の「世代性」という課題はまだやり遂げておらず、その一方で「老年期」の「統合性」という課題にも向き合わざるを得ない、そうした「二重性」が現代を生きる高齢者の宿命なのかもしれません。
まあ、それはそれで悪いことではないと考えましょう。
課題が多いということは、それだけ天に「生かされている」ということの証拠なのですから。
(メルマガ『富田隆のお気楽心理学』より一部抜粋)
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