関東圏の人であれば一度は行ったことがあるイタリアンレストラン「サイゼリヤ」。その創業者はどんな人物なのでしょうか? 今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、サイゼリヤ創業者である正垣泰彦氏が自身の原点について語った記事を紹介しています。
サイゼリヤ創業者の原点
国内外に1500店舗を超え、年間来客数は2億人を上回るカジュアルイタリアンレストラン「サイゼリヤ」。
創業者の正垣泰彦氏は大学4年生の時、千葉県市川市に17坪・38席の洋食屋をオープンし、そこまで幾多の危機を乗り越え、今日の発展を築いてこられました。
その正垣氏に経営者の原点となるエピソードをお話しいただきました。(『致知』2021年12月号より)
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「サイゼリヤ飛躍の原点にある母の教え」
正垣泰彦(サイゼリヤ会長)
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1967年、大学在学中の21歳の時に千葉県市川市で洋食屋を始めたわけですけど、当初は食べ物屋なんてやりたいとも何とも思わなかった。
たまたまアルバイトをしていた飲食店のコック長から、「おまえ、食べ物屋をやってみないか。向いてるぞ」と言われたのがきっかけです。
サイゼリヤと共に生きてきた半世紀を振り返ると、これはエネルギーの仕業だなと思っています。
エネルギーがよりよい調和のためにこういう環境をつくってくれたんだなと。
好きとか嫌いとかは関係なくて、好きでも嫌いでも、いまやっていることが最高なんです。
いまある環境も、共に働いてくれているスタッフたちも、日常に起こる様々な現象も、すべて最高なんです。これ以上のものはない。そう思えるかどうか。
よく若い人が「自分の好きなことをやりたい」とかって言いますけど、それは自分中心に考えているだけだから、うまくいかない。
皆に喜んでもらいたいとか困っている人を幸せにしてあげたいとか世の中を変えたいとか、自分の利益じゃなくて誰かの役に立つことを優先して考えると、結果はよくなるんです。
かく言う私も店を始めたばかりの頃は欲の塊ですから、楽をしてお金をたくさん儲けたいと思っていました。
しかし、来る日も来る日もとにかくお客さんが全然入らない。
1日の来店客が6人だけということもありました。
当時の店は2階にあって、1階には八百屋さんとアサリ屋さんが入っていました。
狭くて見えにくい階段を上がっていかなきゃいけないのに、階段の入り口に荷物が置いてあるから飛び越えたりどかしたりしないと通れない。
深夜に店を開ければ集客できるだろうと営業時間を朝4時まで延ばしたところ、ならず者のたまり場になっただけ。
揚げ句の果てには客同士の喧嘩で石油ストーブが倒れ、店は燃えてしまったんです。
開店から1年9か月後のことでした。
立地は悪いし、ならず者しか来ないし、火事にはなるし……こんな店でいくらおいしいものを出してもお客さんは絶対に来ないと思っていました。店を辞めることも考えましたし、再開するにしても別の場所でやろうと。
ところが、ある時おふくろにこう言われたんです。
「火事に遭ったあの店はおまえにとって 最高の場所だから、辞めちゃダメ。八百屋もアサリ屋も、せっかくおまえのためにそこにあるんだから、逃げちゃダメ。もう一度同じところで頑張りなさい」
って。
お客さんが来ないことを立地のせいにしないで、お客さんが来てくれるようにひたむきに努力することが大切なんだと、おふくろは教えてくれました。
だから、立地が悪いのもならず者しか来ないのも火事になったのも、すべてエネルギーの仕業で、より幸せになるようにやってくれていたことに気づかされたんですね。
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