40年連続で「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」のトップ10に君臨する温泉旅館。そのスタートはお金も水も電話もないところからだったといいます。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では「日本の宿 古窯」の名女将がこれまでの歩みについて語ったインタビューを紹介しています。
95歳の現役名女将が語る
創業73年、山形かみのやま温泉を代表する「日本の宿 古窯」。
こだわり抜いた地元の食材を生かした郷土料理、名峰・蔵王連峰を一望できる天空露天風呂、心を込めたおもてなしなどが評価され、「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」にて、40年以上連続でトップ10を受賞しています。
しかし、かつてはお金も水も電話もない、徒手空拳からの出発だったといいます。
『致知』最新号では、幾多の苦労を乗り越え、不可能を可能に変えてきた創業者の佐藤幸子さんに、これまでの歩みと共に、古窯73年の歴史を貫いてきた精神について伺いました。
本日はその一部をご紹介いたします。
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この旅館を始めたのは戦後間もない昭和26年の夏、21歳の時でした。
私は昭和4年に山形で小さな旅館を営む家に生まれまして、幼い頃、母は仕事が忙しくてあまりかまってくれませんでしたから、旅館が好きではなかったんです。
ところが、縁あって結婚した相手がこれまた旅館の家の次男でした(笑)。とても仲良しな友達のお兄さんでね。
義母と義兄が招雲閣という旅館を切り盛りしていて、主人はサラリーマンだったので、旅館の仕事はしなくて済むと思っていました。
それも束の間、義母は身体の弱い息子、私の主人のことを案じて、「もしものことがあったらいけないから旅館の仕事をやりなさい」と言い、三百坪の温泉つきの土地を買ってくれたんです。
でも、土地だけで建物はない。「どうするんです?」と聞いたら、「あなたの実家から貰ってらっしゃい」と。
それで築二百年ほどになる実家の旅館を半分壊して持ってきたのが創業の原点です。最初は本家の屋号を借りて招雲閣別館としてゼロから出発しました。
もう古くて汚くてボロボロなんですよ。布団が足りなくて、私の持っていた着物を全部解いて縫ったので、1枚ずつ模様が異なる。
部屋は僅か7つ、お客様は10人でいっぱい。水道がないので、川から天秤棒を担いで運ぶ。電話もないので、一番近くの電話を借りに30分自転車を走らせる。
──まさに徒手空拳のスタートだった。
そして極めつけは義母からもらった金庫です。
ある日、「お祝いです」と言って、ピカピカの手提げ金庫を持ってきてくれたの。
「いくら入っているのかな、これでお米を買おうか、お酒を買おうか」と思いながら蓋を開けると、何も入っていない。
それで義母の顔をじっと見たら、こう言われました。
「一銭も入っていない金庫にお金を入れるのもあなた、これを捨てるのもあなた。すべて人のせいにしないこと」
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