パワハラ問題などで物議を醸し、兵庫県議会で「不信任決議」が可決された斎藤元彦知事が、30日付で自動失職し、出直し知事選に臨む意向を固めたと報じられました。兵庫県政の異常事態に斎藤知事の辞職を求める緊急県民集会を開いてデモ行進を企画した、メルマガ『佐高信の筆刀両断』著者で評論家の佐高信さんは、今回の斎藤知事がらみで設置された「百条委員会」について、過去にあった静岡・富士宮市議会の百条委員会の設置を思い出したと語ります。この時の「主役」は、今年訃報が報じられた創価学会のドン、池田大作氏です。
兵庫・斎藤元彦知事「不信任案」で思い出す、百条委員会と池田大作
9月8日に兵庫県民会館で知事の斎藤元彦の辞職を求める緊急県民集会を開いた。
『お笑い維新劇場』(平凡社新書)を一緒に書いたジャーナリストの西谷文和らと企画したのだが、600人もの市民が参加し、その後のデモ行進にも300人が並んだ。
おねだりパワハラ知事の斎藤に対しては、兵庫県議会に百条委員会が設置され、斎藤が追及されている。
集会の中で西谷と対談しながら、静岡県富士宮市議会のそれを思い出した。
この時の主役は創価学会のドン、池田大作である。
主役というより主敵と表現した方がいいか。
自民大物が暗躍も「糾弾」された学会。“お庭番”が頼った反社の力
創価学会は日蓮正宗の信徒団体で、かつては富士宮の大石寺が本山だった。
その大本堂や墓地の造成などで巨大な利権が生まれる。
それを一手に引き受けて、“富士宮の小佐野賢治”と呼ばれた日原博がのしあがった。
静岡県議もやった自民党の実力者で、のちに脱税で挙げられる。
そのバックにいたのが池田大作の“お庭番”の山崎正友だった。
日原と山崎が組んで利権を漁っていたのが発覚して「日原造園、創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」が結成される。
デモまで起こって創価学会への風当たりが強くなり、山崎は地元の暴力団、後藤組の組長、後藤忠政に「何とかならないか」と相談する。
後藤組は山口組の中でも武闘派として知られていた。
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設置された百条委員会。「池田の名誉市民を取り消せ」の声も
池田の懐刀の山崎は「親分のことは池田会長に伝えてあります。池田会長も『くれぐれもよろしく』と言ってました」と頼む。
そのうち、富士宮市議会に調査のための「百条委員会」ができて、山崎を証人喚問に呼べとか、池田の名誉市民を取り消せといった話になってきた。
私はこの経緯を『自民党と創価学会』(集英社新書)で詳述したが、最も参考になったのは後藤忠政の告白録『憚りながら』(宝島社文庫)だった。
学会もしくは池田のボディーガードと言われながら、その後対立して池田を糾弾する側にまわった後藤の証言である。
この本を構成したジャーナリストの西岡研介が、その後について、こう書いている。
「富士宮市議会での百条委員会は1981年3月、いったん設置されたものの、公明党などの反対派の強烈な切り崩しによって同年12月、何ら機能しないまま終結した」
機能しないように後藤組がどう動いたかが『憚りながら』には赤裸々に書かれている。
私はこれを拙著『時代を撃つノンフィクション100』(岩波新書)に入れた。
大騒動になった「密会ビデオ事件」
1996年、新進党に統合された旧公明党の国会対策委員長として活躍した権藤恒夫は自民党の実力者の野中広務と会った際、「公明」代表の藤井富雄が後藤忠政と会っているビデオが自民党に届けられた、と打ち明けられる。
そのビデオで藤井は、後藤に亀井静香ら4人の名前を挙げ「この人たちはためにならない」と、受け取りようでは後藤に4人への襲撃を依頼したとして大騒ぎになった。
世にいう「密会ビデオ」事件である。
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