母は強しといいますが、托鉢者の石川洋氏が幼少期に教えられた母からの言葉は素晴らしいものでした。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、そのエピソードを紹介しています。
私の生涯を支えた母の教え
本日は、托鉢者の石川洋氏が2006年12月号の『致知』で紹介された「一生愚痴は言うまい」というお話をご紹介いたします。
「一生愚痴は言うまい」石川洋(托鉢者)
母は相続すべき財産を放棄して、長男である私の嫡子権を守って田舎を出ました。
この時、母より先に、妹たちの手をしっかり握って最終のバスで町に出たのを覚えています。
しばらくして、何をどう調べたのか、親戚の責任者の方が私の通う小学校に訪ねてきましてね。
校長室で母もそこに同席していました。
祖母が「お母さんには悪いけれども、一緒に田舎に帰ろう」と私に話し掛けました。
その時に母は黙っていました。私は母の顔を見たのですよ。
言葉には出しませんが、分かるんですね。
「自分で決めなさい」という思いが伝わってくるんです。
母は人生のギリギリの問題は自分で決断しなきゃならない。結局は自分の覚悟で生きることを無言で教えてくれました。
この時、母に守られてのことではありますが、一つ試練を越えた気がします。小学校四年生の時でした。
戦争中はどこもそうですけど、食べるものに事欠いた時代ですし、ましてや父もおりませんし、小さな子どもを抱えながらの生活は、きょう食べる米もない状態でした。
それでも母は困った顔はしませんでしたね。
愚痴一つこぼしたことがないんですよ。
むしろ人がいいから、ちょっと余裕があると貯めたお金を困っている人に貸してしまって、もちろん返ってはきません。
近所のおばさんから「お母さんは食べ物がなくても、一つも愚痴を言わないで一所懸命やっているのだから、あんたたち甘えすぎたらいかんよ」と随分叱られました。
しかし私たちきょうだいは確かに甘えてはいたかもしれませんが、これ以上母に心配はかけられないと皆思っておりました。
少し分別がつくようになった中学二年の頃、「困ることがあったら言ってください」と母に言いましたら、それとは全然角度を変えた言い方で私を諭してくれましたね。
「明日食べるお米がないからといって愚痴を言わないよ」と。
「お母さん、なぜですか」
「あんたがね、大きくなって社会に出てそれなりの努力をして、何か責任のあるような立場になった時、私がいま、愚痴を言ったらおまえはその壁の前で必ず愚痴を言う。
だからおまえが壁にぶつかった時、『ああ、お母さんはよく愚痴を言わずに乗り越えたな、お母さんありがとう』、私はそう言われる母になりたい」
と言ったのです。
私は中学二年でしたが、母の孝養のために一生愚痴は言うまいと、この時決めました。
試練を乗り越えるなんて、何も分からない時でしたけれども、母の生き方が私に誓うことを教え、乗り越えることを教えてくれたんです。
※本記事は月刊『致知』2006年12月号より一部抜粋・編集したものです。
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