12月3日午後10時27分、突如非常戒厳を発布しわずか6時間後に解除するという「政治的自爆」とも揶揄される行動に出た韓国のユン・ソンニョル大統領。野党が提出した大統領弾劾案に与党も賛成の立場を示唆したと伝えられますが、このような事態が容易に想像できる中にあって、ユン氏はどのような経緯で戒厳令を宣言するに至ったのでしょうか。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える教育関係者の日本人著者が、その一部始終を詳細にレポート。さらに韓国政界の現状を紹介しつつ、大統領に対する偽らざる心情を吐露しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:戒厳令の宣布と解除。20241205
韓国が揺れた夜。現地在住日本人が見た非常戒厳令の宣布と解除ドキュメント
3日夜、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領の非常戒厳宣言は、韓悳洙(ハン・ドクス)首相と大多数の国務委員が宣言直前まで計画を知らない状態で奇襲的に行われたという。
本紙(朝鮮日報)の取材を総合すると、3日夕方までも政府高官の大多数は戒厳宣言が出されるなど、その気配すら感じられなかった。この日の午前10時、政府世宗庁舎で韓首相主宰で通常の閣議が開かれ、その後、長官・次官らはそれぞれ日程によってソウルと世宗の政府庁舎や地方の出張先に散らばった。
韓首相は午後1時30分に政府世宗庁舎で記者団と懇談会を行い、来年の経済成長の見通しについて話し合った。
異常の兆しが現れたのは午後5時ごろだった。国防部長官(金容賢:キム・ヨンヒョン)と共に、戒厳法により大統領に戒厳宣言を建議できるイ・サンミン行政安全部長官はこの日午後「中央・地方政策協議会」等の行事に参加するために蔚山に行っていた。
イ・サンミン長官は行事が終わる5時30分まで滞在し、航空便でソウルに戻る予定だったが、午後5時ごろ突然退場し、列車便で急遽ソウルに向かった。このため、金容賢国防長官とイ・サンミン長官は同日、他の閣僚と違って大統領の非常戒厳宣言の方針を事前に知っていた可能性が取りざたされている。
警察庁のチョ・ジホ庁長は午後6時20分ごろ、ソウル市美根洞の警察庁庁舎から帰宅する途中、大統領室から「別途の命令があるまで事務室で待機するように」という趣旨の連絡を受けたという。チョ庁長は待機理由が戒厳宣言のためだという事実は知らなかったと主張した。
韓首相と一部の国務委員は同日夜遅く、大統領室に呼び出された。午後9時ごろ、韓首相とチェ・サンモク経済副首相、金容賢国防部長官、イ・サンミン行政安全部長官、趙泰烈(チョ・テヨル)外交部長官、金英鎬(キム・ヨンホ)統一部長官らが龍山(ヨンサン)大統領室庁舎に集まった。
この席でユン大統領は「非常戒厳を宣布する考え」という意を明らかにし、大多数が難色を示し反対意思を示したという。国務委員らは非常戒厳が宣言されれば経済に大きな衝撃が来る可能性があり、国民が納得しにくい可能性があり、手続き的・法的問題が生じる可能性があるなどの理由を挙げて反対意思を明らかにしたという。
しかし、ユン大統領の意思は確固たるものだった。ユン大統領は野党が監査院長と検事の弾劾を叫びまくっていることについて、「彼らがこのようなやり方で行けば後には判事まで弾劾すると言うだろうし、そうすれば司法府にまで問題が生じる」と大きな懸念を示したという。
現場にいたある国務委員は「大統領の考えがあまりにも強く、誰も意をくじくことができなかった」と話した。すると韓首相と国務委員は「戒厳を宣言するなら閣議を開いて審議しよう」と建議した。
国務会議の審議が終わるまで収まらなかった大統領の興奮
憲法と戒厳法、国務会議の規定によると、戒厳宣言は国務会議の審議を経なければならない。これを受けて国務委員らが急いで現場に来なかった他の国務委員らに電話をかけ、ソン・ミリョン農林畜産食品部長官、チョ・ギュホン保健福祉部長官らが続々と大統領室に到着した。遅れて到着した国務委員らも戒厳宣言に否定的な立場を示したということ。
閣議に出席する鄭鎮碩(チョン・ジンソク)大統領秘書室長と辛元植(シン・ウォンシク)国家安保室長も遅れて到着した。彼らは現場に来て戒厳宣布計画を知り、ユン大統領にもう少し考えてみようと懇々と引き止めたという。
結局、戒厳宣言案が国務委員に配布され、午後9時40分頃、ユン大統領主宰の国務会議が開かれた。国務会議の開議定足数である11人をかろうじて越えた状態だった。戒厳法によれば国防部・行政安全部長官は「国務総理を経て」大統領に戒厳宣布を建議することができるが、キム・ヨンヒョン長官がこの席で戒厳を建議したという。国務会議に出席したある国務委員は「ユン大統領が興奮状態で、審議を終えるまで興奮が収まらなかった」と伝えた。
ユン大統領はその後、午後10時23分、大統領室庁舎1階のブリーフィング室でカメラの前に座って戒厳宣布対国民談話を読み上げた。談話発表の便りに接した一部記者が庁舎に来ていたが、ブリーフィング室の出入り口は封鎖され記者たちは放送を通じて戒厳宣布の消息を聞いた。ユン大統領の口から「非常戒厳を宣布する」という言葉が出たのは10時27分だった。
その直後、金容賢国防長官は全軍に「非常警戒および対応態勢強化」の指示を出し、趙志鎬警察庁長官は警察庁幹部会議、崔相穆副総理は企画財政部幹部会議を緊急招集するなど、省庁別に戒厳宣言に伴う後続措置に取り掛かった。午後11時25分にはパク・アンス陸軍参謀総長が戒厳司令官名義で「布告令第1号」を発表した。政治活動を禁止し、国民の基本権を制限するという内容だった。
憲法によると、国会が在籍過半数の賛成で戒厳解除を求めたときは、大統領はこれを解除しなければならない。国会は戒厳宣言から2時間30分後の4日午前1時1分、非常戒厳解除要求案を出席議員190人全員が賛成で可決した。しかし、ユン大統領が非常戒厳を解除するまでには、これから3時間余りがかかった。
ユン大統領は午前4時26分から放送された対国民談話を通じて「国務会議を通じて国会の要求を受け入れ戒厳を解除する」とし「ただし未明の関係でまだ(国務会議の)定足数が満たされておらず、(国務委員が)来次第すぐ戒厳を解除する」と述べた。
この放送が実際に録画されたのは午前3時26分で、当時、韓首相をはじめ国務委員らは政府ソウル庁舎などで待機中だった。韓首相らは再び大統領室に集まったが、戒厳解除要求案審議のための閣議はユン大統領ではなく韓首相が主宰した。総理室は午前5時頃「4時30分に国務会議で戒厳解除案が処理された」と発表した。これで、6時間にわたる非常戒厳事態は終了した。
最後の切り札として残しておくべきだった戒厳令カード
これに先立ち、ユン大統領は3日午前11時、大統領府庁舎で韓国を公式訪問したサディル・ザパロフ=キルギス大統領を迎えて首脳会談を行った。この日、ユン大統領は「会談を早く終えて昼食を取ろう」と日程を急いだという。このため、ユン大統領が同日午前から非常戒厳を念頭に置いていたのではないかという声が出ている。
与党の高位関係者は「ユン大統領が戒厳宣布のために国務会議を開き、文書を整えて署名までし、戒厳解除要求案が国会で可決されるやいなや直ちに軍に撤収するよう指示し、戒厳解除案処理のための国務会議を招集した」として「法的手続きは全て守ったこと」と主張した。
それと共に「野党の人々が立法壟断で自分たちの有罪を無罪にし国を完全に麻痺させたが、戒厳はこういう亡国的な違憲・違法行為に対して大統領が取った最後の手段だった」と話した。[朝鮮日報参照]
民主党の横暴(詳しい内容は多すぎて今は書けない)がものすごいので、大統領が「戒厳令」を出したがるのも心情的にはわかる。しかし戒厳令カードは最後の最後の切り札として残しておくべきだった。こんな使い方をして、なんの意味もなく、否、今や大統領が弾劾されるか下野するかのどっちかしか道がないような状況をユン・ソンニョル自ら作ってしまった。ますます民主党の横暴が激しさを増してゆくであろう。
あいつらをしょっぴいて監獄に入れないといけないのだが、そのベクトルも限りなく色あせてしまった。これからは、犯罪者イ・ジェミョンや玉ねぎ男チョ・グクらのしゃしゃりでる映像を見ながら過ごさねばならないと思うと気が滅入る。テレビは一切見ないことにする。
ハン・ドンフンはじめ保守勢力がいろいろと頑張っているがどこまでやつらの横暴を抑えることができるやら。ボレロを聞いたりモーツァルトを聞いたりしながら、この憂鬱な空気に飲まれないようにしている。心を明るく積極的に保つことで日々をクリアーしてゆこう。
(無料メルマガ『キムチパワー』2023年12月5日号)
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