今回の熊本大震災では、避難誘導によって多くの人命が守られた一方で、避難後に発生した爆発事故により尊い命が失われました。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』ではジャーナリストの引地達也さんが、この事故を通して見えてきた災害時の判断の難しさや、防災教育、そして今後の検証の重要性について考えます。
危険を感じる心は経験と教育でしか得られないから
7月28日に最大震度7の地震が発生した熊本県で、地震後に同県最大級の商業施設「イオンモール熊本」(熊本県嘉島町)で爆発事故が起き、店内で働く7人が犠牲になった。
白い煙が噴き出し、爆音とともに外壁が模型のように吹き飛ばされていく映像は爆発の凄まじさを伝え、その一瞬の出来事に巻き込まれた犠牲者、そして遺族にどのような慰めがあるのかと胸が締め付けられる。
報道によると、子供の夏休み中でもあり、当日は約3000人の利用客がいたとされたが、地震後は従業員が利用客を屋外に誘導した後、従業員も避難し、全員無事だった。
全員避難の完了までにかかった時間は約30分とされ、ここまでは、イオンが取り組んできた避難訓練やマニュアルが生かされたといえよう。
しかし、爆発が起こり、避難後に店内に戻った人たちがいた。
「戻れない」はずが、戻ることになったプロセスを責めたくはないが、次の命を守るためにも、検証は必要だ。
思えば2011年3月11日の東日本大震災が発災した時、私は千葉市のイオンの本社であるイオンタワーの最上階にいた。
昼過ぎからの会議室ではイオン側の3名、私も2名の同僚とともに次年度の計画に関する打ち合わせをしていた。
強い揺れは会議が始まった直後だった。湾岸地区に建てられた高層ビルは相当に揺れたが、窓越しの遠くに見えた大手電機メーカーの同じ高層ビルが崩れ落ちそうに左右に揺れたのを見た恐怖が勝っていたように思う。
同時にただ恐怖で固まっている同席した方々に私は「机の下に入って!」と叫び、這いつくばるように6人は大きな会議机の下で肩を寄せ合った。
私が言葉を発したのは、幼いころの宮城県沖地震を経験し、小学校や中学校で防災教育を受けてきたからか、また阪神大震災も目の当たりにしたことでの教訓が染みついているのか、どちらにせよ、経験が行動を決定したようだ。
この記事の著者・引地達也さんのメルマガ
この2011年3月の東日本大震災の後、防災教育はさらに広まり、避難の失敗で犠牲になった教訓、避難によって生き延びた奇跡とともに語られてきた。
その後も10年前の熊本の地震のみならず、大地震や水害や台風など、私たちに教訓を示す災害は毎年、何度かやってくる。
そのたびに地域は学び、またメディアは必要な情報を提示し、事例を分析することで、社会の防災意識は高まってきている。
今回、イオンでは、避難誘導を施設に入居するテナントの従業員らが行い、全員が避難してことは賞賛してもよいはずだ。
しかし、戻った方が犠牲になった。テナントの店舗を運営する会社は売上を戻すような指示をしたことが戻る理由だったようで、その指示が不適切だったとお詫びしていた。
この指示を過ちだと責めることは簡単だが、そのように至った認識と認識の周辺を検証して、次来る災害の備えにしたい。
避難誘導の失敗によりほぼ全校児童と教員が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校では司法の場で、検証が行われ、その瑕疵を明らかにし、それはその後の避難に影響を与えている。
イオン本社で発災直後の対応が分からなかった彼らは幹部となり、大企業を運営する、そして商業施設では客の安全を確保するなどの認識の上で管理・対応をしてきたと思うが、ガス爆発の予見可能性も含めて、今後、検証することは多い。
まずは次来る震災のために冷静に分析しながら命を守るための視点でこの事故を見なければならない。
まだまだ余震は続くし、周辺の活断層への影響も懸念される。
海底にある活断層が地震を引き起こすとなると、津波の心配もある。酷暑の被災に心痛めながら、命を守ることを社会で考えるために被災地の情報にはまだまだ注目する必要がある。
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