米ワシントンのシンクタンク「ディフェンス・プライオリティーズ」が9月10日に公表した論文が、安全保障業界に衝撃を与えています。「米軍は第2列島線の東まで撤退すべき」とし、日米同盟の終了、そして2035年をメドとした日本の自主防衛への移行にまで踏み込む内容だからです。メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では、著者で作家の冷泉彰彦さんが、この論文の中身とその背景を冷静に読み解き、日米安保「後」を見据えた日本の「プランB」を考えるための留意点を提示しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
日米安保破棄論登場、日本のプランBはどうなる?リバタリアン系シンクタンクの正体
ディフェンス・プライオリティーズ(防衛上の優先順位)という、中規模の軍事外交シンクタンクがDCにあります。保守系かリベラル系かというと、どちらかというと保守系ですが、軍事タカ派というよりは、リバタリアン系、つまり相当程度に「小さな政府」を目指す立場です。リバタリアンというと、良く言われる「夜警国家観」というのがあり、それこそ警察と軍隊以外は政府は不要みたいな思想になるわけです。
このディフェンス・プライオリティーズというのは、さすがに、そこまでの主張をしているのではありません。ですが、軍事力は持つには持つが、それは「最大限」とか「無制限」である必要はないという立場のようです。どちらかといえば、アメリカの国益を「限定的」に考える立場であり、かなり極端な「孤立主義」にも近いようです。
具体的には、リバタリアン政治家の代表格であるランド・ポール上院議員が、コーク兄弟の支援を得て作った団体といえば、その性格はイメージできると思います。このディフェンス・プライオリティーズでシニア・フェロー兼軍事分析部長を務めているのが、ジェニファー・カバナー博士という女性研究者です。ハーバード大学で政府学を学んだ後、ミシガン大学で政治学・公共政策の博士号を取得しています。
カバナー博士は、前職のランド研究所では米陸軍の戦略研究部門を率いるなど、軍事介入、抑止、軍事力の配置、国防予算などについて研究してきています。現在もジョージタウン大学で安全保障研究を教えています。そのカバナー博士の関心分野ですが、少し以前までは「劣化する事実」という問題に取り組んでいたようです。
これは、米国社会において、事実や専門家による分析よりも、政治的な主張、感情、個人的な意見などが強い影響力を持つようになっている現象を指します。彼女はランド研究所でこの問題を研究する「事実の劣化に抗する」プロジェクトを立ち上げ、マイケル・リッチ氏とともに『劣化する事実』という本を2018年に出しています。この研究は、ニセ情報や社会の分断だけでなく、民主主義における「事実に基づいて議論する能力」の低下という問題を議論したものとされます。
2018年という段階ですので、リバタリアン的な純粋保守思想からは、トランプ主義の持っている「事実にもいろいろ」というような姿勢は危険に見えたのでしょう。基本的に、この時点では保守の側からの「右派ポピュリズムへの警戒」というのが彼女の立場であったと見ることができます。
「軍事に最高のコスパを求める」論者へ
一方、近年のカバナー博士は、米国の軍事力そのものに比較的慎重な立場を取ってゆこうという立場からの言論へとシフトしています。軍事力を強化すれば安全保障が自動的に高まると考えるのではなく、外交、同盟、経済、諜報、技術などを組み合わせて国家戦略を考える必要があると論じています。
言い方を変えれば、リバタリアン的な思い切り「小さな政府論」に立脚して、「軍事戦略に最高のコスパを求める」という姿勢といってもいいでしょう。2026年に入ると、米国の世界的な軍事的関与や欧州・アジア政策についても積極的に発言し始めています。
そのカバナー博士が最近言い始めているのが、日本にとっては大変な問題となる次の政策です。
「米軍は中国の言う第2列島線の東まで撤退すべき」
というものです。これは、9月10日に公表されたもので、この主張を展開した論文『第2列島線戦略』は、現時点ではディフェンス・プライオリティーズのトップページに堂々と掲げられており、安全保障業界では大変な話題になっているものです。
https://www.defensepriorities.org/explainers/a-second-island-chain-strategy-for-asia/
内容ですが、5点に要約したものが掲げられています。
1)米国がアジアにおいて軍事力を用いて守るに値する中核的な利益は、2つしかない。第一は米国本土の防衛であり、第二は重要な経済市場や貿易ルートへのアクセスを確保することである。第一の目的を達成するためには、アジアに大規模な前方展開軍を置く必要はほとんどない。一方、第二の目的については、米国の利益を脅かす事態が起きる可能性に備えるため、規模を抑えた航空・海軍戦力を維持することは有効である。
2)米国の軍事的な関与と戦力展開を、危険な「第一列島線」から、より防衛しやすい「第二列島線」へと移す戦略を採用すべきである。そうすれば、米国が必要とする軍事力を削減するとともに、中国との戦争に発展するリスクも低下させながら、米国の利益を引き続き守ることができる。
3)米国は、この地域における防衛上のコミットメントを縮小すべきである。具体的には、台湾について明確に非介入の立場へと転換し、韓国、オーストラリア、フィリピン、日本との相互防衛同盟を終了させ、その代わりに、より限定的で柔軟な安全保障パートナーシップを交渉すべきだ。米軍のアジアにおける戦力配置も、これに応じて変更する必要がある。
4)米国は、アジアに展開している陸軍と海兵隊の大部分を撤収させ、航空戦力と海軍戦力も大幅に削減すべきだ。残る米軍部隊については、中国沿岸部からより離れた、攻撃を受けても生き残りやすい基地に集約する。そして、米国の経済的利益を守ることを任務とするとともに、米国が今後も太平洋地域への関与を続けることを示す役割を担わせる。
5)米国は、自らの意図について明確な計画を示し、同盟国および中国との意思疎通を慎重に行うべきである。こうした変更は、3年から8年程度をかけて段階的に実施する必要がある。大部分の変更は2030年までに完了させ、2035年までにはすべての変更を完了させることを目指す。
なかなか大胆といいますか、非常に興味深い内容であると思います。ちなみに、この論文の主旨ですが、「とにかく、この意見が正しいので賛同者を募る」という性格のものと考えたり、一種の陰謀ではないか、などという反応をするのはマズいと思います。
ここは冷静になるべきです。まずは「この論文は一種のアドバルーン」であり、主張を広めるのではなく、やや過激な内容を示して関係各方面の「反応を観測する」ツール、そんな受けとめが必要でしょう。
日本は「完全には切り捨てない」
ちなみに日本に関する具体的な提言もあります。これもまた、かなり刺激的な内容です。簡単に要約すると、
「豪州、フィリピン、韓国に対する責任はすぐに放棄できるが、日本は少し違う。完全には切り捨てない」
「日本が中国の勢力圏に入らないことを、アメリカとしてコスパ良く達成することはできる」
「尖閣などの岩礁防衛にコストはかけたくない」
「米国の関与により、日本のような豊かな国が防衛費を負担しないのはダメ。日米安保は、アメリカの国益からは逆効果になっている」
「適度のインセンティブを与えて、日本が中国の属国にならないようにしながら、米国としてコスパ良く支援しつつ、その支援を縮小してゆくべき」
「沖縄への駐留は台湾を放棄したら不要になる」
「2035年をメドに日本は自主防衛に移行。但し、東日本に少しだけ米軍を置くことは、長期的に続けるメリットはありそう」
「その場合は、中国のミサイル攻撃への防衛を共同でやることは考えても良い」
ということで、特にこの日本に関する部分はこれから相当に議論を喚起しそうです。
「与太話」と切り捨てられない3つの事実
それはともかく、それこそ「第2列島線までの撤退」というのだからといって、博士は中国の回し者だというような決めつけも良くないと思います。まずは、このカバナー博士、そして今回この論文をトップに掲げるシンクタンク「ディフェンス・プライオリティーズ(防衛上の優先順位)」の性格が重要です。反共主義を背景に持ち、リバタリアニズムを強く掲げる勢力から、この種のオピニオンが出てきた、これは無視できません。
その一方で、全くの「与太話」という切り捨てもいけないと思います。何故ならば、このカバナー論文の主張している内容は、実際の米政界や米軍の動きに重なる部分は大きいからです。例えば、この論文を、次の3つの事実と照合してみると、かなり「シャレにならない」深刻度を感じるのも事実だからです。
「イラン戦役への没入を続けるトランプ=ヘグセス路線の結果、現時点ではアジアにおいては、米海軍の航空母艦のプレゼンスが空白化している」
「金正恩との個人的関係をアピールするトランプは、朝鮮戦争の終結と、在韓米軍撤退を企図していると公言している」
「トランプ後継最有力といわれているヴァンス副大統領は、アメリカの狭義の国益という言い方を時折しており、例えばウクライナはこれに入らないなどと公言している」
この3つの事実はランダムなようでもありますが、この3つの問題とカバナー論文を重ねてみると、やはり「何かが動いている」的な緊迫感は否定できないものがあります。カバナー博士の言う、2030年までに実施して2035年までに完了というのも、2029年に始まる「次の大統領の任期」が、2期務めて2036年末に事実上終わるという期間に重ねて言っているフシがあります。
そう考えると、仮にヴァンス政権ができて2期やるとしたら、この種の「アジアにおける米軍プレゼンスのリストラ」を大きなテーマにしてもらいたい、そんな意図も透けて見えるように思います。その場合は、それこそトランプ政権のような「思いつき」で「飛躍ばかり」の政策ではなく、組織立った動きとして出てくる可能性も否定できません。
とは言え、先に申し上げたようにこの論文は「あくまでアドバルーン(観測気球)」だというのは間違いありません。これから、各方面の反応を見てゆくことは、カバナー博士としても興味深く見ていくつもりなのでしょうが、日本としても同じように各プレーヤーがどんな言動をしてくるのかを、見ていく必要があります。
日米安保「後」のプランBを考える
今週はここまでにしておきますが、以降、この論文に関する本格的な議論をするために、どんな留意点があるかを考えてみたいと思います。
a)米軍撤退に対する日本の「プランB」というのは常識的には、EUとの関係を強化し、韓国、フィリピン、ASEAN、豪州との連携も強化。自由、民主、法治を軸に集団安保的な結集をすることになるのが自然。
b)その場合にNPT(核拡散防止条約)体制の堅持は、極めて重要になるので日本の核武装はせず。反対に域内に新たな核保有国が出現するのも絶対に阻止。
c)第二次大戦の戦後秩序を根本から崩すのは得策でない。特に英仏豪とASEANとの関係は決定的に重要で、であるならば「靖国保守主義」はあきらめる必要。
d)統一朝鮮の出現は、統一の混乱を反日エネルギーに向けられると危険なので、不賛成が基本。
e)中ロ離反策は何としても必要。そのまま応用はできないにしても、キッシンジャーに学ぶべき。
f)経済衰退、人口減、移民政策行き詰まりというシナリオとの連立方程式になる。
g)仮に「プランC(対中国宥和)」があるなら、それは中国の権威主義の軟化を伴う必要。これはほぼ絶対条件。
h)カバナー論文で、どうやらアメリカ「保守」のホンネは透けて見えてきた。ならば、左派はどうか? DSA(民主的社会主義者=民主党左派)が持っている左派的な反戦論とか反軍事の態度をどう評価したらいいのか? どんなアジア戦略になっていくのか?
いずれにしても、これまで避けてきた「プランB」、つまり日米安保体制「後」の生存戦略に関する議論を本格的に進めていかなくてはならない時代が来た、今回のカバナー論文については、そのように受け止める必要を感じています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2026年9月15日号の抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。今週の論点「911追悼行事が示す25年の歳月」、人気連載「フラッシュバック81」もすぐに読めます。
この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ
image by: 首相官邸