人間がハンドルを握ることを前提として、100年以上にわたり進化を続けてきた「自動車」。しかしAIが運転を担う時代の到来は、その設計や生産方法のみならず、「車を所有する」という私たちの常識まで大きく変える可能性を秘めているようです。今回のメルマガ『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』では、『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』等の著作で知られる辻野晃一郎さんが、テスラ「Cybercab」を自身の目で見て実感した“自動車の再定義”について解説。さらに完全無人タクシーの日本上陸を見据え、AIとデータが主導権を握る新たな自動車産業で日本勢が直面する課題を考察しています。
※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです
米テキサス州のオースティンでCybercabの運用が始まる
今回は、前号で予告したCybercabについて取り上げます。
米テキサス州のオースティンで実運用が始まったという報道に接して、以下のようにXにポストしました。
Cybercabがテキサスの公道を走り始めたのを見て、「だから言わんこっちゃない」と思った日本人は大勢いるだろう。私もその一人だが、未だに「ものづくり大国」などと勘違いしている間に、テスラは生産革新も含め、もう日本メーカーの手の届かないところまで行ってしまったと感じる…。
— 辻野 晃一郎 (@ktsujino) September 9, 2026
● https://x.com/ktsujino/status/2097588510198988881
試乗動画はネットに溢れていますが、例えば以下のような感じです。
Here’s my first full Cybercab ride. This vehicle is a game changer. pic.twitter.com/tfSxQFvhka
— Sawyer Merritt (@SawyerMerritt) September 4, 2026
● https://x.com/SawyerMerritt/status/2095715234560274527
そのCybercabの実車が日本にやって来て、表参道で数日間展示しているというので、自分の目で確かめてきました。ドアやトランクを開放してくれる時と、開放してくれない時があるらしく、あいにく私が立ち寄ったタイミングでは開放してもらえなかったのですが、外観はじっくりと見ることができ、車内の様子も窓越しに確認することができました。
この2人乗りのロボタクシーには、ハンドルもアクセルペダルもブレーキペダルもなく、運転席という概念そのものが存在しません。
元々わかっていたことではありますが、実物を前にして改めて感じたのは、これは単なる「自動運転するEV」ではないということです。従来の車体に自動運転機能を追加した、というようなものではなく、最初から人が運転操作に一切介在しないことを前提にした乗り物として一から開発・設計し直されたものであり、人類が100年以上「自動車」と呼んできたものを根本から再定義しようとしている乗り物だと感じました。
象徴的なのがブレーキです。普通の自動車は、ブレーキペダルを踏むとマスターシリンダーがブレーキフルード(ブレーキ液)に圧力をかけ、その油圧を配管を通じて各車輪に伝え、ブレーキを作動させます。ところがCybercabには、そもそもブレーキペダルがないだけでなく、ブレーキフルードも油圧配管も中央のマスターシリンダーもありません。代わりに、各車輪のブレーキキャリパーに電気式アクチュエーターを配置し、コンピューターからの電気信号で直接ブレーキを作動させる「dry brake-by-wire」という方式を採用しています。
ステアリングも同様です。ハンドルと前輪を機械的につなぐステアリングシャフトを使わず、電気信号によって操舵する「steer-by-wire」という方式が使われています。つまりCybercabでは、「曲がる」「止まる」という自動車の最も基本的な機能まで、機械や油圧から電子制御へと置き換えられているのです。
これは単なるハイテク化というだけでなく、従来までの常識だった油圧配管やブレーキフルード、マスターシリンダーなどを使わないことで部品点数を減らし、車体を軽くし、組み立て工程やメンテナンスを簡素化する効果をもたらします。長い稼働時間を想定したロボタクシーにとって、こうした新しい設計は車両価格だけでなく、生涯にわたる運行コストにも効いてきます。ただし、電源・通信・アクチュエーター等の故障時に、どう安全性と冗長性を確保するのかという課題は生じます。
また、外板には色を素材自体に練り込んだ樹脂パネルを使い、従来の自動車工場で巨大な設備とエネルギーを必要とする塗装工程そのものを無くしています。部品点数はテスラModel 3のおよそ半分とされ、前後にはギガキャストで一体成形した大型部品を使い、従来の何十もの部品を組み合わせ、溶接していた生産法とは一線を画しています。ギガキャストを使った生産革新はこれまでのテスラ車でも早くから採用されていました。
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さらに重要なのが、「Unboxed Process」と呼ばれる新しい生産方式で、Cybercabではこれを本格導入しようとしています。従来の自動車工場では、フォード以来100年以上にわたり、車体を一本の長い生産ラインに流し、順番に部品を取り付けて完成させる方式が基本でした。これに対してUnboxed Processでは、車体をいくつかの大きなモジュールに分け、それぞれを並行して組み立て、最後に結合します。
テスラは、こうした生産革新によって、将来的には10秒未満に1台という驚異的な生産ペースを目指しています。すなわち、テスラが作り直そうとしているのは自動車だけではなく、「自動車の作り方」そのものなのです。
そして9月3日、このCybercabがついにテキサス州オースティンで一般客を乗せて走り始めましたが、懸念もあります。ハンドルもペダルもないCybercabが現在の米国の安全基準を本当に満たしているのかについて、米道路交通安全局(NHTSA)がテスラの自己認証の根拠を調査しています。前述したdry brake-by-wireやsteer-by-wireを含め、従来の自動車とは大きく異なる設計だけに、安全性と冗長性をどう確保するかは重要な課題です。
もちろん、現段階でCybercabの成功が約束されたわけではありません。しかし、ここでCybercabだけを見ていると、もっと大きな変化を見落とします。Google系のWaymoは、すでに米国で週50万回を超える完全自動運転サービスを提供していますが、完全無人での累積走行距離は2億2,000万マイルを超え、そこから膨大な実走行データを蓄積しています。Waymo自身が公表している分析によれば、同じ地域の人間のドライバーと比較して、重傷・死亡事故につながる衝突事故は94%少ないとされています。つまり、Cybercabに限らず、ロボタクシーは、もはや「未来の技術」の話ではありません。米国や中国を中心に、すでに巨大な社会実験が現実の都市で始まっているのです。
そして、そのWaymoが日本にもやって来ます。Waymo、GO、日本交通は、2027年中に東京で完全無人タクシーの商用サービスを開始することを目指し、段階的に100台規模まで拡大する計画を発表しました。自動車が自律走行するようになれば、社会は大きく変わります。スマホで呼べば無人の車が迎えに来ます。運転手がいないので24時間動けます。高齢者や免許を持たない人の移動の自由度も高まります。そして、深刻化するタクシーやバスのドライバー不足にも対応できます。
さらに利用料金が十分に下がれば、都市部では「そもそも自動車を所有する必要があるのか」というところまで話が進むでしょう。車通勤でもしていないかぎり、自家用車の稼働率は極めて低いといえます。駐車場代や車検費、税金、保険などの維持費も掛かる上、渋滞も多いので、コスパやタイパを気にする最近の若い人たちからすれば、車はすでに以前ほど所有欲を刺激するものではなくなっています。これからは、所有するモノというよりも、必要な時に利用するサービスという位置付けに変化していくかもしれません。いわゆるMobility as a Service(MaaS)の流れです。
では、日本はこのような変化についていけるのでしょうか。ここでは「使う側」と「作る側」を分けて考える必要があります。まず使う側では、日本も意外に早く変わる可能性があります。日本では2023年に道路交通法が改正され、一定の条件下で運転者のいないレベル4の「特定自動運行」を認める制度がすでに始まっています。政府も2030年度にバス、タクシー、トラックの自動運転サービス車両を1万台にする目標を掲げています。
したがって、「日本は規制が厳しいから自動運転が実用化されない」という指摘は必ずしも正確ではありません。問題は、制度を作ることと、実際に大量の車を走らせて事業化することの間に大きな乖離があることです。
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自動運転AIは、実際の道路を走り、膨大なデータを集め、失敗を分析し、AIを改善し、再び道路に戻すという学習ループを高速で回すほど強くなります。たとえばWaymoは、前述のように完全無人ですでに2億2,000万マイル以上を走行しています。この「走る→学ぶ→改善する→また走る」というループの規模と速度で、日本勢は大きく後れを取っています。
しかも、政府は自動運転実証に補助金を出し、2026年度だけでも37事業を採択しています。しかし、各地で小規模な実証実験を繰り返すだけでは、何億マイルという実走行データを蓄積する米国企業にはなかなか追いつけません。重要なのは「実証実験を何件やったか」ではなく、「どれだけ実際のサービスとして走らせ、どれだけデータを蓄積し、どれだけ速くAIを改善できたか」ということです。
一方、「作る側」については、さらに深刻です。世界最大級の自動車産業を持つ日本ですが、東京で最初の本格的な完全無人タクシーを走らせようとしている頭脳はWaymoです。もちろん日本メーカーも手をこまねいているわけではありません。トヨタはWaymoと2025年4月に戦略的パートナーシップについて基本合意し、新しい自動運転車両プラットフォームなどの協業を検討中です。日産もWayve、Uberと組んで2026年後半から東京でロボタクシーの実証を始める計画です。ただし、当初は訓練されたセーフティーオペレーターが乗車することになっています。
これからの自動車産業の主導権を決めるのは、もはやエンジン性能や燃費、組み立て品質ではありません。AI、クラウド連携、半導体、ソフトウェア、走行データ、配車プラットフォーム、そしてCybercabが示すような新しい生産方式までを統合する力です。
海外で開発されたAIを搭載した車を日本メーカーが製造し、日本のタクシー会社が運行し、日本人が便利に利用する…。それでも日本社会としては十分に恩恵を受けられるでしょう。しかし、自動車が日本最大の基幹産業の一つであることを考えれば、それで十分というわけにはいきません。
将来、Elon Musk氏がかねて構想しているように、個人所有の自動運転車を、オーナーが使わない時間帯にロボタクシーとして稼働させられるようになれば、車が個人に新たな収入源を提供する可能性もあります。しかし、個人所有車の参入が認められず、既存のタクシー事業者だけに営業権が認められる制度になれば、こうした新しい経済的恩恵が広く個人に及ばない可能性もあります。
これからの自動車は、いわゆる車屋さんが従来作ってきたものとは別物となり、フィジカルAIの1つのジャンルとして生産方式も大きく変わります。そうなると、「ものづくり大国」として過去に蓄積してきた経験やノウハウが必ずしも生かせるわけではありません。10年後、「自動車」という言葉はいったい何を意味しているでしょうか。自動車産業を誰が再定義し、誰がAIとデータを握り、誰が世界の移動を支配することになるのでしょうか。
Cybercabは、2024年10月にそのプロトタイプが初めてお披露目されてから、わずか2年弱で、限定的とはいえ実際に一般客を乗せて営業運行するところまで来ました。Elon Musk氏が我々に見せてくれているのは、まさに未来社会の一端なのだろうと思います。
※ 本記事は『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中 』2026年9月18日号の一部抜粋です。このほか、「今週のメインコラム」や「読者の質問に答えます!」、「スタッフ“イギー”のつぶやき」など、レギュラーコーナーも充実。この機会にぜひご登録をご検討ください。
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