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働くは「端(はた)楽(らく)」。この日本語に込められた深い意味

「正直、信頼、助け合い」を基本とする日本独特の商習慣、ジャパン・スタンダードですが、このために日本人は騙されやすく、シャープや東芝の問題にも繋がったと非難する声もあります。しかし、無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』の著者・伊勢雅臣さんは、互いを契約でがんじがらめにし、騙されたら即訴訟になるグローバル・スタンダードよりジャパン・スタンダードの方が優れた面が多いとの持論を展開しています。

道徳力と経済力

日本の商社がアラブ商人と取引を始めて数十年経つが、始めの頃は、アラブ人は日本人ほど騙しやすい連中はない」と見てきた。同じ手口で三井・三菱・住友と3回騙せるというのである。

ところが、しばらくすると日本の商社同士で「あいつは危ない、気をつけろ」と教え合うようになり、「札付き」という噂が立つと日本のすべての会社がその人を相手にしなくなった

長い時間が経ってみると、正直なアラブ商人は日本企業相手の取引を続けて金持ちになり、従来の騙し合いの商売を続けてきた人は、今もアメリカやフランス相手の食うか食われるかの商売をしているという。

あるアラブ商人は「商売の根本は正直にあることを日本人は教えてくれた」と述懐する。そんなことを日本人はわざわざお説教したりはしないが、取引をするかしないか、という行動で、何よりも雄弁に語ったのである。

ダイエーに育てられた香港のメーカー

中国商人相手にも同じような話がある。ダイエーの故中内功さんが創業して間もない頃、仕入れのために香港に行き、取引相手を求めて新聞広告を出した。30人ほど希望者が集まったので、求めている商品や取引条件を示した所、「我々、香港のメーカーはニューヨークやパリ、ロンドンのデパートと取引している。吹けば飛ぶような日本の会社に、品質面であれこれ条件をつけられたり、特別なものを作るつもりもない」と、けんもほろろで、潮が引くように帰ってしまった。

中内さんがホテルでやけ酒を飲んでいると、みすぼらしい身なりの56人の香港人がやってきて、「私達は取引する。どんな事でも言ってくれ教えてくれその通りにする」と口々に言ったそうだ。

安い下着でも縫い目が綺麗に揃っていなかったら、パリやニューヨークのデパートでは合格しても、品質にうるさい日本人客から見れば粗悪品だ。これらの香港メーカーが、ダイエーの指導に従って努力していくうちに、製品品質は目に見えて向上し、細かなデザインや誠実な対応などにも上達した。

それから十数年後、彼らはどんどん成功して、香港の商工会議所の主要なポストを独占するようになった。一方、ダイエーを馬鹿にした人々は没落していった。だから、中内さんが香港に行くと財界から大歓迎されたという。

ジャパン・スタンダードとグローバル・スタンダード

正直や信用をベースとした日本企業の商習慣、これを以下、ジャパン・スタンダードと呼ぼう。ひと頃はジャパン・スタンダードを「系列」や「談合」というマイナスのイメージで捉え、それに対置して「市場原理と公正な競争」からなる「グローバル・スタンダード」を説く人々がいた。

グローバル・スタンダードとジャパン・スタンダードの違いを明確に示すたとえ話がある。田舎者が市場に来て、あなたの店で帽子を1,000円で買った、としよう。そのお客がしばらくした後、戻ってきて、「市場の奥の方の別の店では同じ帽子を800円で売っていた。この帽子を返すから、金を返してくれ」と言ったら、あなたはどうするか。

グローバル・スタンダードでは、あなたの店には何の落ち度もない。ちゃんと価格も品質もすべて情報公開しており、相手も納得して買ったのだから、売買契約は完全に成立している。よく調べずに買ったのは客の自己責任である。いまさら返品に応ずる必要はない。このように情報公開自己責任契約からなる「市場原理」こそグローバル・スタンダードの本質である。

ジャパン・スタンダードならどうか。「よく調べずに買った方が悪い」とは言え、そういうミスはお互い様だ。あなたの方も知らなかったとはいえ、別の店で800円で売っているものを1,000円で売っていたのでは、さも客を騙していたようで申し訳ない気がする。返金に応ずるか、あるいは今からでも800円に負けて、差額の200円分をお返ししましょう、とでも言うだろう。この「正直信頼助け合い」の共同体原理がジャパン・スタンダードの根底にある。

グローバル・スタンダードはユダヤ・スタンダード

この話は、ユダヤ人たちが生きるための知恵を集めた大事典「タルムード」の中に出てくる。ここには商売や取引の実例がたくさん納められており、世界に冠たるユダヤ商人は、このタルムードによって育成されているのである。

このケースでのタルムードの模範回答は「返金する必要なし」である。双方が納得して取引が成立したのだから、「よく調べずに買った方が悪い」という、グローバル・スタンダードが回答になっている。

ただし、これは客がキリスト教徒の場合であって、「相手がユダヤ人なら返金してあげなさい」とある。キリスト教徒に対しては契約万能の「市場原理」をとり、同じユダヤ人どうしなら「正直、信頼、助け合い」の「共同体原理」を教えている。一種のダブル・スタンダード(二重基準)である。

ユダヤ人はヨーロッパのキリスト教社会の共同体に入れて貰えなかった。だからヨーロッパ大陸のそこここで孤島のようにユダヤ人だけの共同体を作り、その中では「正直、信頼、助け合い」で暮らしていた。しかし、生きていくためには周囲のキリスト教徒たちとの交易が必要である。ユダヤ人とキリスト教徒の異なる共同体の間ではお金によって交換可能な市場しか成立しない。そこに「市場原理」が生まれた。

これが人種・民族・宗教など、様々に異質な共同体がモザイク模様を織りなすアメリカ大陸で発展して「グローバル・スタンダード」と呼ばれるようになったのである。だから「グローバル・スタンダード」を「ユダヤ・スタンダード」と呼ぶ人がいる。

「共同体原理」と「市場原理」

グローバル・スタンダードとジャパン・スタンダードと、商売をする上でどちらが得なのか、比較してみよう。

市場に流れ者やよそ者の出入りが多く、客も見知らぬ人ばかりだったら、グローバル・スタンダードの方が有利である。200円まけてやる必要もないし、「別の店で800円で売っていた」という言い分自体が、見知らぬ客のウソかもしれない。

これがお互いに顔見知りばかりの共同体だったら話は逆で、ジャパン・スタンダードの方が得である。200円返してやったら、相手は今後もあなたの客を贔屓にしてくれるだろう。さらに喜んだ客が、あなたは正直者だと触れ回ってくれて、売上げが増えるかもしれない。

だから、ユダヤ人も自分の共同体の中では金を返してやれと共同体原理を採用している。アメリカでも戦前はアングロサクソン系の共同体的商習慣が残っていたので、たとえばマクドナルドなどは仕入れ先とは「口約束」で済ませていた。紙コップ1つ1セントで、100万個買います、という具合である。「Gentleman’s Agreement」と言う言葉があり、紳士は口に出した事はかならず守る、という共同体原理である。

このように長く安定的な共同体が続くと、そこでは「正直、信頼、助け合い」の商売の方が繁盛するので、「良店が悪店を駆逐して」商習慣全体も共同体原理が支配するようになる。

だから、ジャパン・スタンダードと言っても、それは日本人の民族的特性に基づく特殊なものというより世界のどの共同体にもある程度は見られる普遍的なものなのである。ただ日本人は数千年もこの日本列島で一緒に暮らしてきて、世界でも最も歴史の長い、安定した共同体を作ってきたのだから、そこでの「正直、信頼、助け合い」は世界でも最高レベルに発達したのである。

冒頭で紹介した二つの事例で見られるように、日本企業は正直信頼助け合いのジャパン・スタンダードを海外にも拡げて成功しつつある。これは通信技術や交通手段が発達して、世界全体が一つの狭い共同体になりつつあるからである。だから、今後は、ジャパン・スタンダードが地球共同体全体の新しいグローバル・スタンダードになっていくだろう。

効率的・創造的な「共同体原理」

社会全体から見ても、ジャパン・スタンダードの方が効率の良い面が多い。たとえば、いつ相手に裏切られるかもしれない市場原理では、お互いを契約でがんじがらめにしなければ安心できない。それでもうまく騙されたら、裁判に訴える。契約や裁判で、膨大なコストと時間が失われていく。優秀な人材が裁判官や弁護士となって、ゼロサム・ゲーム(勝者と敗者の損得を足すと常にゼロにしかならないゲーム)に費やされる。

ジャパン・スタンダードなら、なにか問題があったら取引先と一緒に知恵を出し合って解決する。それが新しいアイデアや技術革新を生む。契約や裁判にムダな時間を使うより、はるかに効率的・創造的である。

共同体原理の非効率があるとすれば、助け合いによって生産性の低い企業が淘汰されずに残ることであるが、そういう「社会主義的共同体」でなく、三井・三菱・住友といったグループ業が共同体の中で激しく競争する、という「資本主義的共同体」であれば、この問題は避けられる。

明治以降の日本が「極東の小国」から半世紀足らずで世界5大国の仲間入りし、また戦後の荒廃から世界第二位の経済大国にのし上がったのも、「資本主義的共同体」の原理に因る所が大きい。

働くのは「端(はた)を楽(らく)」にするため

このジャパン・スタンダードも、日本列島に自然に生まれたものではなく、多くの人々の意識的な努力によって育てられてきたものである。たとえば、弊誌で今まで紹介した細井平洲、上杉鷹山、恩田杢、中江藤樹、山田方谷などの学問や行動、また数百年も続いてきた多くの長寿企業の実践を通じて形成されてきた

その中でも大きな足跡を残したのは、二宮尊徳であろう。尊徳は各地で疲弊した農村の立て直しを指導した。その数は600カ所にも及んだと言われている。尊徳の手法は非常に合理的で、武士の減俸をして支出を抑制し、減税によって農民の労働意欲を高め、新田開発を奨励し、販売戦略や生産性向上の指導まで行った。

同時に農民たちに「勤勉」と「貯蓄」を説き、お金が貯まったら、困っている人たちのために貸してあげなさい、と教えた。この積立貯金を「報徳金」と呼び、村々は「報徳会」を作って、自分の村が豊かになったら、次の村に貸してやるようになった。尊徳は働くのは自分のためでなく、「(はた)を楽(らく)」にするためだとまで説いた。

ヨーロッパでもカルビン派が勤勉と倹約こそ神の道だとして、彼らが資本主義を作ったという説があるが、それでも労働は自分が天国に行くための個人的行為である。働くのは世のため人のため、という尊徳のレベルまでは至っていない。

「企業は社会の公器である」

二宮尊徳の思想は、今も日本人の勤労観の根底に流れている。日本の企業経営者には「企業は社会の公器である」という考え方が根強い。グローバル・スタンダードでは、企業は株主の個人的な財産であるから、自由に売り買いできるものである。儲からなくなったら、売り飛ばしても良いし、会社を畳むのも自由である。それによって地域社会が廃れようが、従業員家族が路頭に迷おうが、資本家の知ったことではない

しかし、日本の健全な企業経営者は「事業を通じて世の中の役に立つ」「地域社会に貢献する」「顧客の信頼をうる」「従業員の生活を守る」といったことを使命だと考える。自分個人の利益を追求するのは恥ずかしい事で世のため人のために尽くすことが立派だと考えるのが、ごく普通の日本人である。

こういう考え方は欧米の優れた企業にも見られるが、ごく普通の一般大衆までこれを当然のように信じて、真面目に日々の仕事にいそしんでいる、という点において、日本は世界でも冠たるレベルにある、と言える。そして多くの国民が、こういう気持ちで日々の仕事に勤しむような社会が、経済的に発展しないはずはない。国土も狭く、資源も乏しい日本が、イギリス、フランス、イタリアを合わせたほどの経済規模を誇り、長寿世界一の生活ができるのも、「正直信頼助け合いのジャパン・スタンダードがあるからこそである。

日本企業の端楽(はたらき)ぶり

近代経済学の始祖はアダム・スミスであるが、彼以前の経済学は道徳哲学の一分野であった。道徳という心の中の問題から、投資や利益、効率などという金にまつわる問題に移っていった所から近代経済学は始まった。その発展に従って、道徳の問題はますます隅に追いやられついには数式を多用した理論経済学となっていった。

そこに出てくるのは利潤の最大化を狙う資本家や、「もっと賃金をよこせ」という労働者、少しでも安く良いものを買おうとする消費者しか出てこない。従業員の生活を守ろうと必死で働く日本の中小企業のオーナーや、それに応えてサービス残業も厭わない従業員、値段は高くとも社会貢献している企業からの製品を買う消費者などは出てこないのである。

こういう経済学などは他人事のように無視して、多くの日本企業は黙々とジャパン・スタンダードの正直信頼助け合いの仕事を続けている。その道徳力こそ、経済大国・日本の原動力なのである。

そして地球全体が一つの共同体になりつつある現在、日本企業は中国企業やアラブ商人たちにまで、その黙々たる仕事ぶりを通して、「正直、信頼、助け合い」こそ繁栄の道である事を教えている。これほど目立たず静かな、しかし根源的な国際貢献もない。二宮尊徳など、ジャパン・スタンダードを築いた先人たちも、これら日本企業の端楽(はたらき)ぶりに目を細めているであろう。

文責:伊勢雅臣

image by: Shutterstock.com

 

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購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。

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【著者】 伊勢雅臣 【発行周期】 週刊

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