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昭和の日に考えたい、激動の時代を支えた昭和天皇の「直き心」

昭和天皇誕生日である4月29日は、現在も「激動の日々から復興を遂げた昭和を忘れぬように」との思いを込め、「昭和の日」として国民の祝日に定められています。無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、64年間もの間、日本国を支えて来られた「昭和天皇」の軌跡を振り返りながら、日本人が後世に受け継ぐべき「直き心」について考察しています。

昭和の日 「直き心」の日本文明

4月29日は昭和の日」である。昭和時代には天皇誕生日であり、昭和天皇崩御の後はみどりの日」とされていたのを、2007年から「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」という趣旨から「昭和の日」とされた。

確かに昭和は激動の日々」だった。大東亜戦争という史上空前の大戦争で国内は瓦礫の山となったが、そこから世界第2位の経済大国へと奇跡の復興を遂げた。その激動の64年間、昭和天皇は国家を支えてこられた

この激動の中、特に戦前の御前会議などで大きな決断を求められた時、昭和天皇は、しばしば「もう少しやわらかいやり方はないか」と、事前にお尋ねになられた、という。

平らけくしろしめせ」(平安に治めなさい)というのが、皇室の先祖である天照大神が命じた所であり、歴代の天皇もそれを守って、「和(やわ)らげ調えてしろしめす」方法をとられてきた。「知(し)ろしめす」とは「天皇が鏡のような無私の心に国民の思いを写し、その安寧を神に祈る」という事である。「もう少しやわらかいやり方をと言われる昭和天皇の姿勢は皇室の伝統そのものなのであった。

「バブル景気」が生み出す「精神のバブル」

しかし、時代は昭和天皇のお気持ち通りには進まなかった。大正10(1921)年、大正天皇のご病気により20歳にして摂政宮となられた時、すでに日本国民は精神のバブル期に入っていた。京都大学教授・中西輝政氏はこう述べる。

大正時代を以降を振り返ってみると、日本がおかしな方向に進み出すのは「精神の膨張主義」に傾いたときであった。それは、対外政策上の膨張主義よりも深刻なものである。成功や繁栄のなかから生まれる、日本人の宿痾(しゅくあ、JOG注:持病)としての「精神のバブル」のことである。それは必ず、過度の物質主義、性急な進歩主義、そして模倣の個人主義をもたらす。

 

大正時代、第一次大戦によって起こったバブル景気により、日本人は未曾有の経済的豊かさに酔う。そして政治的には、日露戦争の余韻が冷めやらぬなか、「世界の一等国」として、さらにはアメリカやイギリスと「三大大国として肩を並べた」と考えるようになった。この錯覚が、日本の進むべき道を誤らせたのである。
(『皇室の本義』中西輝政、福田和也 著/PHP研究所)

この様子は、1980年代後半から1990年代初頭にかけて我々の経験した「バブル景気とそっくりである。当時、世界最強の経済大国として、日本企業はありあまるカネに物を言わせてアメリカの高層ビルや大企業を買いあさった。

そして未曾有の経済的豊かさから生まれた「カネがすべて」という「過度の物質主義」、グローバリズム・ゆとり教育・フェミニズムなど歴史伝統を無視した「性急な進歩主義」、家族や共同体を軽視し「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい」という「模倣の個人主義」。まさに「バブル景気、「精神のバブルを生み出していた

よもの海みなはらからと思ふ世に

戦前の「精神のバブルに抗する昭和天皇のもっとも悲痛なメッセージが、対米開戦を議する御前会議において、あくまで平和交渉を優先すべきとして、次の明治天皇の御製(お歌)「四海兄弟」を読み上げられたことであろう。

よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ

(四方の海はみな同胞と思っているのに、どうして波風が立ち騒ぐのだろうか)

「世界の一等国」などと国際社会を対立的・競争的に捉えて、威勢を張るのではなく、他国民にも同胞意識を持って接するのが、「和らげ調えてしろしめす」道であった。

終戦の際には、内閣の意見がまとまらず、昭和天皇の御聖断を仰いだ。その時のお気持ちを次のように詠われている。

爆撃にたふれゆく民のうえをおもひいくさとめけり身はいかならむとも

「身はいかならむとも」。国民の安寧のために尽くすのが歴代天皇の使命であった。ここにも「平らけくしろしめせ」という、天照大神の御神勅が息づいている。

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」

終戦後、昭和天皇が始められたのは、国民を見舞い励ますための御巡幸であった。沖縄以外の全国、3万3,000キロの行程を約8年半かけて回られた。立ち寄られた箇所は1,411カ所に及び、奉迎者の総数は数千万人に達したと思われる。原爆の惨禍の残る広島では、こう詠まれた。

ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなおる見えてうれしかりけり

平和の鐘が鳴り、復興に励む国民の姿に「和らげ調えてしろしめす」という道の実現を見て、喜ばれたのである。

「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代」とは、「精神のバブル」によって昭和天皇の「和らげ調えてしろしめす」志に反して大戦争に突入し、戦後はその御心に沿って世界史に残る復興を遂げた時代であった。

「直き心」

国家を「和らげ調え」るためには、国民一人ひとりが直(なお)き心」を持たなくてはならない。他人を押しのけても自分だけ豊かになりたい、とか、競争に勝つためには手段を選ばない、というようなとげとげしい心では、社会の波風はおさまらない。

自分のことよりも周囲の人々への思いやりを大切にする、とか、多少遠回りになっても正しい道を歩んで行こう、という心持ちを多くの国民が持つときに、国は「和らげ調え」られる。

このように国内を「和らげ調えてしろしめす」ために、天皇は国民の安寧をひたすらに祈る直き心の体現者でなければならない、というのが、皇室の伝統であった。古来から天皇の持つ「直き心」を「大御心」と呼んだ。

昭和20年9月27日、昭和天皇は占領軍司令官ダグラス・マッカーサーと会見し、「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります」と述べた上で、こう語られた。

戦争の結果現在国民は飢餓に瀕している。このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出るおそれがあるから、米国に是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充てて頂ければ仕合せである。
(『奥村元外務次官談話記録』)

これを聞いたマッカーサーは、次のように反応したという。

それまで姿勢を変えなかった元帥が、やおら立上って陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして御手を握り、「私は初めて神の如き帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの時は、元帥自ら出口までお見送りの礼をとったのである。

昭和天皇の直き心マッカーサーの心を揺り動かしたのである。

憲法学者・横田喜三郎の「うそ」

こうした「直き心」は、日常生活では嘘をつかない」事につながる。

かつて横田喜三郎という憲法学者がいた。昭和24年に『天皇制』という本を書いて、「天皇制は封建的な遺制で、民主化が始まった日本とは相容れない。いずれ廃止すべきである」という趣旨の主張をした。こういう主張をした人間が、昭和30年代に最高裁判所長官となり、最後は天皇陛下の前に出て勲一等を受けている。その過程では、東京中の古本屋を回って、『天皇制』の著書を買い集め、世に流布しないようにしたそうな。

横田氏の主張の是非はともかくとして、こういう姿勢に大多数の日本人は疑問を感じるだろう。最後まで「天皇制を廃止すべきという信念を抱いていたのなら天皇から勲一等を授けられる事は辞退すべきだ。それが自らの学問を貫くということである。

あるいは、以前の主張が間違いだったと考えを改めたのなら、堂々とそれを公言すべきである。それによってこそ、日本の憲法学の進歩にも貢献できたはずだ。

横田氏に良心があったのなら「うそ」をついたという呵責に苦しんだろうし、良心がなかったのなら、いつ「うそ」が露顕するかと不安に苛まされたろう。いずれにせよ、その心は平らかではなかったはずだ。こんな心持ちではいくら勲一等を貰ってもとても幸福な人生とは言えまい。「直き心」で生きていくことは、幸福への近道である、というのが、日本人の古来から智慧であった。

「革命のためには嘘も暴力も許される」などと倫理性に欠けたマルクス主義にかぶれたばかりに、横田氏はこういう日本人本来の智慧を見失っていたのであろう。

「日本人的思考は超少数派」

しかし、横田氏の態度に疑問を感じる大多数の日本人の考え方そのものが、世界では超少数派のようだ。あるフランス在住の日本人女性が、こんな体験を書いていた。

外国人向け仏語教室で私が、「こちらでは大人でもスーパーでお金を払う前に食べたりしている。マナーが悪い」と言ったところ、そこにいたスペイン人、アラブ人、ロシア人などが「それのどこが悪い?」と集中砲火を浴びたのです。

 

私の友人も教室で「道でお金を拾ったらどうするか?」という質問に「警察に届ける」と答えたら、「ナイーブすぎる」「バカだ」「どうして警察が信用できる?」とこれまた集中砲火。

 

要するに多数決でいったら日本人的思考は超少数派なのですね。

この日本人女性の言う所の「日本人的思考」は、「直き心」を大切にしてきた日本の伝統そのものなのである(もちろん、それは日本人の独占物ではなく、他の古い共同体社会にも見つかるが、現代世界では超少数派」であることは間違いない)。

「日本のこころ」のあり方を示す「日本国の象徴」

こうした「直き心」を、中西輝政教授は日本文明の大きな特徴として捉えている。

日本ではつねに「正直できれいな心」「裏表のない心根」という、独特な心のあり方が求められる。さらには「素直で争いごとを好まない」「黙々と努力する」「約束を守る」などといった、「心の清潔さ」に大きな価値が与えられてきた。これを古い時代には「明(あか)き清き心」「直き心」と呼んだ。

 

これこそ日本文明の大きな特徴であり、このような「心のあり方」に重要な価値を置く文明はほかには見あたらない。…この国には、一人ひとりが自らの内面を大切にし、「心の清潔さを保つことこそ、幸福を招き、社会を平穏にするもとである」と考える、確かな伝統があるのである。…

 

そしてこうした「日本のこころ」のあり方を、目に見えるかたちでもっともはっきりと示すもの、それが天皇なのである。
(『皇室の本義』中西輝政、福田和也 著/PHP研究所)

日本のこころのあり方を目に見えるかたちで示す。これが天皇を日本国の象徴とすることであるとしたら、その「象徴」の意味はとてつもなく重い。

「日本が世界に良い影響を与えている」

「お金を拾ったら警察に届ける」と言う日本人が、スペイン人、アラブ人、ロシア人などから「ナイーブすぎる」「バカだ」「どうして警察が信用できる?」と集中砲火を浴びせられる。これが現代の国際社会の縮図であろう。

こんな国際社会の中で生きていくためには、「直き心」を捨て去って、嘘をついても、人を騙しても、自分の利益を守っていかなければならないのか。中西輝政教授はこう語る。

よく日本人は「外交下手」といわれるが、これは私の見るところ、深い意味で「仕方のないこと」なのである。なぜならそれはこの国の本質、日本文明の核心に関わる欠点だからである。そして深いレベルでは「外交下手」は、むしろ日本の誇りでさえある、といえるかもしれない。
(同上)

確かに相手国を騙して利益を得る外交も、短期的には成り立つだろう。しかし、相手国も馬鹿ではない。長年付き合っていれば、信頼できる国かどうかはいずれ分かってしまうものだ。

かつて読売新聞などが行った「アジア7か国世論調査」では「日本がアジアの一員として、アジア発展のために積極的な役割を果たしている」「日本が世界に良い影響を与えているという声が圧倒的だった。

我々は、もっと自信を持って我々なりの直き心を持って国際社会に対すべきではないか。それが波風の絶えない国際社会を「和らげ調え」る事につながるだろう。

そしてその「直き心」は過度の物質主義、性急な進歩主義、そして模倣の個人主義といった「精神のバブルから我々を目覚めさせ安らかな幸福へと導くであろう。

我々は有史以来、「直き心」を持って「和らげ調えてしろしめす」天皇を国民統合の象徴として戴いてきた国民なのである。

文責:伊勢雅臣

 

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購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。

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【著者】 伊勢雅臣 【発行周期】 週刊

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