日本人にはおなじみの「大学いも」。おばあちゃんの家で食べた、給食に出た、学校の帰りに買い食いした…みなさんそれぞれ思い出があるのではないでしょうか。どこか懐かしい食べ物を愛情込めて紹介する無料メルマガ『郷愁の食物誌』では、著者のUNCLE TELLさんが、自身の「大学いも」の思い出を語りつつ、「大学いも」という名前の由来についても紹介してくださっています。
大学イモとスイートポテト
大学イモ。油で揚げてミツをかけ、さらにゴマもついているあの大学イモ。
これはもちろん今も健在だ。でも作ってから時間がたち、冷え切って形も縮まり加減でベタっとしてるのは当然ながらうまくない。食べたいなあと思って食べてみて、それほどでもと感ずるのが多いのは、期待が大きすぎるためか。
はるか昔の高校時代 自転車で丘の上の松本はF高校に通っていた。帰り道、よく通った縄手の四柱神社の上土寄りの入り口に、このアイスキャンデーとかこの大学イモを売る店があった。名前は三松屋。
突き出た回りが板のガラスのショーケースのような中に大学イモが並んでいた。空(す)きっ腹の帰り道、「食いたいなあ、あれを食べたいなあ…」という思いを悲しいくらいに膨らませて、よくその店の前を通り過ぎたものだ。だがそういうせつない思いだけ覚えていて、思いかなって実際に食べた記憶は残っていないのである。
だから大学イモを見るたびにといえば、だいぶおおげさだけれど、そういうせつない思いをミックスした粗末なかまえのその店先の光景などを思い出すのである。
ところで、なぜこのイモのことを大学イモというのだろうか。『語源 面白すぎる雑学知識〈Part4〉身近にありすぎて知らない日本語』(青春出版社)という本や、ネットのウィキペデアなど、命名にかかるエピソードが紹介されている。
大正初期、東大の赤門前に三河屋という、ふかしイモの店があった。あるとき、この店でサツマイモを揚げてミツをつけて売ったところ、学生に大好評で飛ぶような売れゆき。以来、ミツ付きの揚げイモは三河屋の定番メニューになり、大学前で売っているイモということで誰いうとなく「大学イモ」という言葉が生まれたという。
また別の説によれば、大学イモには東大起源説と早稲田大学起源説の二説があり、現在の大学イモとはかなり異なる調理法によるものが東大、早大どちらかの大学前で売られ、それとは別に、ほとんど大学イモと同じような中華料理のデザートもあり、両者がどこかで一緒になって大学イモになったともいう。
ところで私は、今までなんとなく大学イモ=スイートポテトと思い込んでいたが、ネットを見たら、大学イモはふかしたサツマイモを油で揚げ、水あめ・しょうゆなどで味付けしたもの。それに対し、スイートポテトの方は、ふかしたサツマイモをつぶして裏ごしし、バター・砂糖・生クリーム・卵黄・ラム酒などを加えて型に入れ、オーブンで焼いたものとあった。そもそもの調理方法が違い、味も全く異なるという。
さてシニアを中心に松本の多くの人の郷愁の味でもあった大学イモの三松屋、その後、裏通りから縄手の本通りに出て長い間営業を続け親しまれきたが、2007年に閉店。2010年には別の場所(駅前大通り)に「いものかねさん」として復活、営業を開始したとネットに。三松屋の店主だった松井洋介さんの長男・宗規さんがレシピを受け継ぎ開業とも(※2012年に閉店されたようです。MAG2 NEWS編集部)。