本来なら子どもたちを守るべき教師たちの、信じ難い行動の数々を紹介してきた無料メルマガ『いじめから子供を守ろう!ネットワーク』。もう教育現場には、私たちが理想とする教師は存在しないのでしょうか。メルマガ著者の井澤一明さんは、「素晴らしい教師は今もたくさんいるが、残念な教師のいるところで悲劇が生まれている」と指摘するとともに、教師の道徳教育の必要性についても持論を展開しています。
教育は善悪から逃げてはならない
昨年も数多くの学校からお招きいただきました。お呼びいただいた先生方、生徒の皆様にも感謝いたします。何人もの校長先生や生徒指導の先生、担任の先生との会話を通して全国に子供たちのことを真剣に考え、工夫をこらし子供たちを成長させんとして力を尽くしている教師がたくさん、たくさんいるということに勇気づけられました。
一方、私達のところに入ってくる相談や、悲しいニュースには残念な教師の存在が関係していることも事実です。全国の教師に対する残念な教師の割合は一割にも満たないのかもしれません。しかし、この残念な教師がいるところに悲劇が生まれています。
昨年末に報道された国立の大島商船でのいじめ事件では、いじめに無関係な学生に対して、教員が5、6人で取り囲み、大声で怒鳴ったり、「正しいことを言わなかったら突き落とす」などと脅したり、机に物をたたきつけたりという考えられない行動が伝えられています。いじめを隠そうとするだけでなく、別人を加害者にしたてようとしたというまるでマンガにでも出てくるような、とんでもない教師達です。しかも、それが5、6人とは、学校挙げての組織的な隠蔽工作だといえます。
ここにある意味でのいじめ問題の根幹の部分があるように思うのです。前述の商船高専の事例で、学校としての方針が例え間違っていたとしても、教師は逆らえないという状況が起きていたように見えます。善悪が分からない、善悪の判断をから逃げる教員など、教師とは言えません。見えない空気に支配されてしまうという日本特有の悪弊を変えていく必要があります。隠蔽体質とも言われるこの体質を捨て去ることがいじめの悲劇を繰り返さないために、一番必要なことであると私たちは考えております。
そのために必要なことは、教師が「教師らしい教師」となることではないでしょうか。今年からは道徳が教科化されますが、子供たちへの道徳教育に先立ち、まずは、文科省、各教育委員会は、教師に対するモラル教育、道徳教育を通して、教師としての誇りある人間を育てていただきたいものだと存じます。
子供たちを守るためには大人の力が必要です。どうか、周りの子供達への温かい眼差しと、皆様のお力をお貸しください。本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。
一般財団法人 いじめから子供を守ろうネットワーク
代表 井澤一明
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