2011年3月11日に起こった東日本大震災から、7年という月日が経とうとしています。今回の『メルマガ「ニューヨークの遊び方」』では著者でNY在住の著者・りばてぃさんが、3.11直後のニューヨークの様子を振り返りながら、「日米の強い絆」について紹介。さらに、石巻で被災して亡くなった英語教師・テイラー・アンダーソンさんの勇気ある行動についても明かしています。
思い出す「ガンバレ、日本!」の声
(1)311後のニューヨークの様子
今年も3月11日がやってくる。
東日本大震災から間もなく7年を迎えようとしている。
日本でも様々な関連報道が報じられていると思うが、毎年、この時期になると思い出すのが、あの震災直後のニューヨークの様子だ。
例えば、日系スーパーの店先では様々なジャンルのベネフィット・コンサートやアート展覧会、オークション等の日本支援イベントを告知するビラやポスターが無数に張り出され、その1つ1つを読んでいるとそれだけで胸が熱くなった。
ご参考:
ニューヨークに住む日本人のお母さんが立ち上がって募金活動を始め、ニュースになった例もある。
例えば、当時、3歳半の男の子と10ヶ月の女の子を持つNaoko Fitzgeraldさんは、被災者の方々への祈りをこめて日の丸(中央の丸の部分がハート型になったもの)をお子さんのベビーカーにつけてたところ、街角で見知らぬ方々からたくさんの励ましの声やお祈りを頂いたそうだ。
これをきっかけに、Facebookに日本の震災へ支援を呼びかけるファンページを立ち上げると、わずか数時間のうちに日本人、アメリカ人を問わず多くの賛同者が集い、「日系ニューヨーカーお母さん連合」(Japanese New Yorkers and Moms United)として募金活動が始まったのだ。
ある日、ユニオン・スクエアで開催された募金活動に実際行ってみたところ、そこには、みんなの思いがこもった手作りのポスター、手作りのプラカード、手作りの日の丸などがたくさん。
日本人、アメリカ人を問わず率先して協力する可愛らしい小さな子ども達の姿も・・・。
その思いに共感した地元ニューヨークの新聞やテレビ局も多数その様子を大きく報じていた。
ご参考:
様々な業界でクリエイティブな活動をするクリエイターが数多く住むニューヨークならではの現象も見られた。
あの当時、日本の被災地の方々へ向けた応援メッセージや追悼の想いを伝える動画もインターネット上に無数に登場したのだ。
例えば、イーストビレッジにある”The Neighborhood School”で開催された日本支援イベントの際に撮影された子ども達からのメッセージ・ビデオ。
このビデオでは、「頑張れ日本」って、子ども達はみんな、日本語で語りかけてくれていて、何度見ても心に響いてくる。
このビデオが作られてから7年。成長した子どもたちにお礼を伝えたいくらいだ。
ご参考:
●Ganbare Nippon! ニューヨークの子ども達からの応援メッセージ
その他にも、いかにもニューヨークらしく、老若男女を問わず多種多様な人種や民族の方々が登場し、日本のために寄付を呼びかけるとてもユニークなビデオも登場し話題となった。
しかも、このビデオには、亡くなられた一流俳優のロビン・ウィリアムスさんも登場し(1分20秒)「日の出国よ」(Rising sun)と呼びかけている。
このビデオの最後には寄付先の紹介もされており、赤十字やニューヨークのジャパン・ソサエティの他にニューヨーク市が直接寄付を集める窓口の情報も出ている。
遠く離れた外国の震災のために、市役所に窓口が作られていたのだ。
ご参考:
(2)テイラー・アンダーソンさん
また、震災関連で思い出すのは、テイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)さん。
以前、ブログのほうでも紹介したが、彼女は、日本のことを心から愛し、あの震災時に命がけで子どもたちを守ってくれた人物だ。
米国バージニア州出身で、小学生の頃から日本に興味を持ち日本語を学び始めたテイラーさんは、2008年、大学卒業後に「JETプログラム」に参加。小中学生に英語を教える先生として日本へ・・・。
彼女の赴任先は、東北地方、宮城県内で第二の人口を擁する市、石巻市(いしのまきし)。
外国人が珍しい東北地方の内気な子ども達に、テイラーさんは常に優しく接し、英語を間違えても恐れることはないのよと示し続けた。
彼女の勤務先は、主に石巻市の小中学校だったが、仕事とは関係なく、隣接する幼稚園でもテイラーさんは教員や園児たちと深く触れ合っていた。
園児がダッシュで彼女のもとに駆け寄りジャンプすると、彼女はそのままギュッと抱きかかえ、すぐさま園児が彼女の頬にキスをするのが園内の微笑ましい日常風景だったそうだ。
子どもたちはみんなテイラーさんが大好きだった。英語教育を通じ、多くの人と交わり続けたテイラーさんは、いつの間にか石巻を愛してやまないアメリカ人の一人として、地元でもひときわ人望の厚い存在になっていた。
そして、2011年3月11日、東日本大震災発生。
地震発生当時、テイラーさんは、おびえる生徒たちを校庭まで避難させ「大丈夫だよ」と声をかけながら励まし続けた。
アメリカ、特にテイラーさんの出身地の米国東部のバージニア州では、ほとんど地震はない。
たぶん、日本の子どもたちより、テイラーさんの方がよっぽど地震に慣れてないだろうし、ずっと怖かったはずだが、テイラーさんは、保護者が迎えに来るまで子どもたちの傍を離れなかった。
彼女は、まさに命がけで、子どもたちを守ろうとしたのだ。
多くの子ども達が、実際に、「テイラーさんに助けられた」「もしテイラーさんがいなかったら自分は助からなかったかもしれない」と語っている。
しかし、自分が避難するよりも子ども達の安全を優先したテイラーさんは、無事に子ども達を保護者に引き渡してようやく自宅に帰る途中、津波に襲われ、帰らぬ人となってしまった。
彼女は、公式に確認されたあの震災のアメリカ人初の犠牲者。
まだ、24歳だった・・・。
ご参考:
●東日本大震災時、命がけで子ども達を救ったテイラー・アンダーソン(Taylor Anderson)さんのお話
どんなに言葉を尽くしても十分に表現できない気がするが、こうして日本のために力を尽くしてくれる方々が存在したということを3月11日が来る度に思い出す。
image by: Shutterstock