一時期は完全に低迷していたものの、今や完全復活を果たしたプロレス。試合会場には女性ファンの姿も珍しくありません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師でもある松尾英明さんが、自らプロレスを観戦し、肌で実感したそのエンタテイメント性について紹介しています。
プロレスから「受けの美学」の学び
1月4日に東京ドームで行われたプロレスを観戦してきた。初プロレス観戦である。ご存知の方も多いと思うが、私はエンターテインメント関係にはさっぱり興味がない。以前にもお伝えした通り、誘われたからである。チケットまで全て手配してくれて、有難いことである。
結論からいうと、何もかもが大変勉強になった。やはり、誘いに従って行ってよかった。
まず、あれだけの人を熱狂させる魅力があるということ。4万人近くの来場者があったらしい。セミナーを開催しますといって50人集めるのも大変なのに、桁違いの恐るべき集客力である。
次に、エンターテインメント性。観客を喜ばせるというのがどういうことなのか。そこに「お約束」の重要性がある。
関連して、主役と同等の悪役の存在価値の高さ。対戦相手への信頼感とリスペクト。相手を後ろから殴り飛ばして足で蹴っ飛ばして踏みつけて挑発ポーズをとっているけど、リスペクトなのである(この辺りはかなり一般的に理解しづらいが、そういうものなのである)。
特にあの、コーナーポストからジャンプしてのボディプレス等を「敢えて避けない」理由がよくわかった。避けると、相手が大ケガするからである。大ケガをして欠場になるということは即ち、次以降の大切な対戦相手を一人失うことになる。特に場外へのダイビングは大変危険なので、確実に受ける必要がある。敵である対戦相手も、大きな視点でいうと仲間だといえる。
また、エルボーや張り手も避けない。敢えて受ける。受けて受けて受けて受けて我慢してから、やっとやり返す。一緒にいたプロレスファンの方々の言葉だと「受けの美学」なのだという(翌日の話になるが、ここに関連して講師の俵原先生の教えが印象的であった。教師は子どもからの攻撃を「敢えて受ける」というこの「受けの美学」が足りない。避けすぎずに、敢えて受けまくる必要があるという。これは、カウンセリングマインドの考えにもつながる。なかなかに深淵である)。
プロレス自体で考えずに、多くの人が観る、映画に例えるとわかりやすいかもしれない。映画で悪役が倒されるシーンで、悪役が演技そっちのけで本気で戦って主人公を倒してしまったら、映画が成り立たない(というか、普通に撮り直しである)。そこで悪役がやっつけられる演技を見て「やらせだ」とかいう人はいない。観る側は何となく主人公が勝つことはわかっているけれど、完全には確信できない。たまに悪役が勝つという展開が、エンターテインメント的にあり得るからである。
つまり、八百長とかやらせとかとは、別の次元なのである。観客も審判も含めた全員での「お約束」であり、全員で作り上げる一つの作品なのである。
それも、ミュージカルの舞台やクラシックのコンサート等と同様に、その場の生の作品である。ある程度の筋書きだけが決まっていて、その枠の中で出演者同士が自由に掛け合う。観客はそこに興奮し、熱狂する。映画よりもより舞台芸術に近い、やり直しのきかない作品であるという点に共通点がある(出演者同士や舞台裏との信頼関係が大切で、そこを失敗すると大けがするという辺りも、舞台に近い)。
また、別の面も学べた。やはり、楽しむには知識である。90%の人が盛り上がる時のその波に、さっぱり乗れない。なぜ今この場面で盛り上がるのか、知識がなくてわからないからである(隣のプロレスファンの方の解説のお陰で多少はわかったのが救いである。通訳状態である)。
何事も、経験である。そして、何事からも、学べる。毎度思うが、師の野口芳宏先生の「誘われたら断らない」の教えは、本当である。次は、木更津の近くで行われる「気志團万博」なるものに行こうとお誘いを受けた。もちろん誘われたので断らないが、更なる未知の領域に実はちょっと怖気づいている自分である。
image by: プロレスリングHEAT UP - Home | Facebook