数々の球団を優勝に導き、多くの選手を育て上げてきた野村克也氏。今年2月に残念ながら帰らぬ人となりましたが、氏が遺してくださった「教え」は、そのどれもが示唆に富むものと言っても過言ではありません。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、野村克也氏が阪神タイガース監督時代の1999年に、「一流」「二流」に対する考え方や人間学の重要性について語ったインタビューを再掲載しています。
二流の思想では一流にはなれない
今年2月に逝去された野村克也氏。多くの名選手を育て、自らのチームを勝利へと導いた名将が阪神タイガース監督時代に語られた貴重なお話をご紹介します。
野村克也(阪神タイガース監督)
鈍感は二流の思想とイコールです。二流の思想では決して一流にはなれません。
野球は実に失敗の多いスポーツなのです。3割打者が一流の目安とはいっても、残りの7割はどうしたか。失敗しているわけです。
パーフェクトの10割に理想を求めたら、失敗だらけです。恥かしくて顔を上げられない。その羞恥心の感覚は人間を謙虚にせずにはおかない。謙虚であれば、人間、いろいろなものに気づくものです。鈍感ではいられません。
謙虚さこそが人間を一流に導く根源だと思います。ところが人間というのはしょうがないもので、3割近く打ったからといって、すぐに思い上がる。
だいたい自分の限界を自覚するというのは、大変厄介なものなのです。毎日精いっぱいやっている、体はもちろん頭も精いっぱいやっているという自覚がなければ、限界を引くことはできない。それを安易なところで自分はこんなものだなどというのは、不遜と言うべきです。
私が仕えた鶴岡さんをはじめ、三原、水原の戦後第一代の監督は、野球理論は何もありませんでしたが、人間教育はしっかりできた。だから名監督なのです。
そして、巨人がドジャーズ戦法を取り入れて野球理論が日本の野球界に芽生え、川上、西本といった第二代の監督が理論に取り組むと同時に、人間としての求道も怠らなかった。それがあって、日本のプロ野球は隆盛となっていったわけです。
そして、いよいよわれわれの代になる。これが人間教育などはさっぱり、というよりも、最初から放棄している。そして、野球は簡単だ、野球は選手がやるもので監督の仕事など大してない、と広言する手合いが幅をきかせている。
こんなのは草野球のレベルですよ。いやしくもプロ野球の監督のレベルではない。
人間学に通じていないリーダーは資格がないと言います。
集団と個人、その中で向上しようという人間、その人間の絡み合い、それに素質の世界にとどまらず、一段上の才能の世界を目指す技術的なせめぎ合い、言ってみれば人間学を総動員したぶつかり合いが醸し出すエキサイト、それがプロですよ。
観客はそのエキサイティングな雰囲気を楽しむために球場に足を運ぶのです。
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