26日に招集される臨時国会で野党から追求されることとなる、日本学術会議6名任命拒否問題。政府はこれまでどおりの姿勢で逃げ切りを図る構えですが、このような問題が起こるベースには、我が国で進む「学問軽視」という風潮があるようです。今回、健康社会学者の河合薫さんは自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で、これまでも研究者の声は都合よく消されてきたとしてその実例を提示するとともに、学問に敬意を払わぬ国の行く末を不安視しています。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
都合よく消されてきた「研究者の声」
未だに納得できる説明がない「日本学術会議新会員の任命拒否」問題。
さまざまなメディアで、さまざまな人たちが、あれやこれやと賛否両論意見を発信しています。
「そう!そのとおり!」と納得できるものもあれば、「何、それ?」と全く賛同できない意見もある。それ自体はいいのですが、何よりも残念なのは、政府も含めてかなり多くの人たちが、「学問」に謙虚な気持ちをもっていないと深く感じさせられたことです。
そもそも学術会議の会員になったからといって、「俺は学術会議の会員だぜ!」などと威張るような研究者にお会いしことはありませんし、会員に任命されることで学者の地位が高まるわけでもない。
なのに、あたかも学者たちが「名誉を欲しがっている」「税金を無駄遣いしてる」かのごとくバッシングする人たちの多いこと、多いこと。学問に対する敬意が欠けている。…そう思えてなりませんでした。
実際、これまでも「研究者の声」は、都合よく消されてきました。
たとえば「過労死ライン」は月100時間とされていますが、検討会で研究者たちが示したのは「60時間」です。
当時、私は大学院生で、恩師が出席する厚労省の検討会を見学していました。研究者側の意見は、すべて「エビデンス」に基づいています。国内外の論文をレビューし、自らも研究を行い、量的な調査だけでなく、質的な調査も行い、提言します。
しかし、決めるのはいつだって政権側です。
テーマによっては、結論ありきのものも少なくないのです。「働き方改革」もそうでした。最初から「働かせ改革」で企業側の論理ばかりが優先されました。
また、日本におけるEBPM(証拠に基づく政策立案)は、2016年の官民データ活用推進基本の制定、「骨太の方針 2017」の閣議決定を受けて始動していますが、欧米に比べると中立性を欠く部分が多く、つまみ食い的にエビデンスが利用されていると問題視されてきました。
欧米のEBPMは、研究者はあくまでも政策立案に資するエビデンスを提供し、政策当局者がそれを利用した、「国民のための政策」を進めるのが基本です。
ところが、日本では主な担い手が“霞が関”になってしまっているため、いわゆる「御用学者」が重宝されてしまうのです。
皮肉にも、コロナの感染が拡大し、エビデンスの欠片もない「小中高一斉休校」を安倍前首相が指示し、大混乱になったことで、政策決定における専門家の意見が尊重されるようなりました。
しかし、「専門家のご意見を~」とエックスキューズをつけることで責任を「専門家」に転嫁。挙げ句の果てに「政策を専門家が決めてる」などと、批判が相次ぐことになりました。
「彷徨うポスドク問題」や、先進国の中で唯一、博士号取得者が減少しているという事実。あるいは、優秀な学生が海外に行ってしまうなど、日本では「低学歴化」が進んでいます。
これも「学問」に敬意を払わない国の動きが強く影響している。そう思えてなりません。
かつては「末は博士か大臣か」といわれ、その言葉は子どもの将来を期待して語られました。
しかし、今はそれも死語。
学問を尊重することが、優秀な学者を育て、それが国の力になっていくのに…。
みなさんの意見もお聞かせください。
image by: 首相官邸