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多摩川を車で渡る、それだけで楽しそうなキミ。俺に惚れてる?実は…

車や電車で走っていて海が見えたときに異様にテンションが上がる人がいます。海の近くに住む人にはない反応です。積もった雪を見てとてもテンションが上がる人がいます。雪国育ちの人にはない反応です。生まれ育ち、住む地域による特有の反応についてはまだまだ知られていないことがありそうです。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、そのことに気付かされたエピソードを紹介。知人女性が新二子橋を渡るときに楽しそうにしている意外な、けれども納得の理由を綴っています。

越えること

以前にも書いたと思うが、私は片道1000kmくらいだったら車で移動する。そういう次第だから電車にはほとんど乗らない。都心に向かう時もそうである。この移動方針のせいで今まで駐車場探しでは随分ひどい目にもあったが、その程度のことには動じもせず、1時間くらいの捨て時間なら安いものと敢えてそれを許容している。電車嫌いの車好きの典型である。

ただ最近、以前よりも駐車場を見つけるのが少しばかり困難になってきたように思うのである。きっとコロナのせいで自動車というパーソナルな移動手段が見直され始めた結果であろう。昔だったら「ここなら確実」という場所まで悉く満車という仕儀である。それでも、2時間くらいの捨て時間なら高いがまだまだ払えぬ話ではないとそれをも許容している。駐車場、ガソリン、車検、保険に加えて時間。車好きは案外高くつく。

どうせ高くつくならおすそ分け、という訳でもなかろうが、もともとが運転好きということもあって、私は結構な頻度で人を車で送って行く。1000km、1時間(今は2時間)を許容できる男にとって少々の遠回りぐらいは何でもないことである。もちろん「申し訳ないから」と遠慮する人もいるが最近はこれもコロナのせいか「ではお言葉に甘えて」の人が多くなってきたような気もする。

今年の1月から東京勤務となり私の担当になった北海道出身の女性(本年1月の「北の国の人たちのこと」で紹介)も「お言葉に甘えて」のうちの一人である。彼女は横浜市に住んでいるのだが、外回りの時はいつも私が最後ということもあって大体私の仕事場からは直帰している。私の方も割と横浜には用事があって行くことも多いのでついでという訳で送って行くのである。

さてこの女性なのだが、私の車に乗ると明らかにテンションが上がる。最初は「俺のことが好きなのでは」とちょっと疑ったほどである。しかし今までのどの会話のどの文脈をとっても100%それはあり得そうにないから、きっと「私の車」に限らず「車」に乗ることが好きなのだろうくらいに思ってしばらくは納得していた。

ところがよくよく観察していくうちに、このテンションの変化が局所的なものであることに気付いたのである。具体的に言うと、私の仕事場から横浜を目指す場合、大体国道246号(所謂「246」)を使うのであるが、ちょうど二子玉川辺りからテンションが上昇し始め、多摩川を渡るところでマックスになるといった感じなのである。

それである日改めて聞いてみた。「この橋を渡るのがそんなに楽しいの?」「いえ、この橋と言うより、県境を越えるのが楽しいんです。北海道では簡単に県境は越えられないから…」彼女はやっぱりいつもとは違うテンションでそう答えた。

確かにそうである。北海道は一島にして一道。道の境界を越えるには、飛行機で空を行くか、鉄道で海底を行くか、フェリーで海上を行くしかない。つまり結構な大ごとなのである。それを日常的に車で簡単にできるということが非日常的で楽しいという訳である。彼女が都内ではなく横浜に部屋を借りたのも毎日県境を越えて出勤したかったからであった。車でよりテンションが上がるのは、たぶん通勤電車よりもパーソナルな空間だからであろう。

そこで彼女に聞いてみた。「じゃあ、自転車や徒歩で越えるともっと楽しいんじゃない?」「ああッ!」いつもより一際大きな声でそう言った時の彼女の表情は、それはもう楽しげであった。

私も地理や歴史でいうところの北海道はそれなりに知っているつもりである。しかしその土地で生活する人の心のあり方までをも研究射程に入れることができる人文地理ともなれば少なくともその射程距離分は奥深いものとなるのは当然である。自分はまだまだこの国に住む人のことを人文地理的に何も知らない。そう思うに十分な出来事であった。

image by:Shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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【著者】 山崎勝義 【月額】 ¥220/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎週 火曜日 発行予定

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