いかに家事の効率化や省力化をしていくか、という方向を重要視してきたと言える現代の家事。しかし、無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』著者の真井花さんは、自身もそうした方向で家事をおこなってきたものの、今年は「本当にそれでいいのか」と自問自答したそうです。そのきっかけは、あるものが「削られる」ということに気がついたからだそうですが、その「あるもの」とは何なのでしょうか?
削ってきたもの
さて、本日は今年の反省を込めて、のお話。
いや~、もう数年来家事系メルマガを書いてきているんですが今年ほど
・これはマズかったんじゃないのか
と反省した年もありませんでしたね。
これまでずっと、まあ、この数年の話ですが、家事は
・効率化
・外注化
・時短・省力化
・軽量化
・最小化
の方向性でした。いかに短い時間で多くの家事をこなすのかというこですね。言葉やネーミングはいろいろ違いましたが、根本的にはこういう方向性で、ここは完全に一致していました。
それというのも、これまで家事には
・大量すぎる労力
が投入されてきたからです。しかも、その労力を提供する人が家庭内で偏っていたので、いや、はっきりいえば成人女性だけだったので、その大変ゆえに成人女性の社会的な生活を摩耗させるほどだったんです。このため、労力を省く方向で家事を捉え直していくのはとても重要なのです。いうなれば、家事の中にある
・ムダを削減
するということだったんです。
でもね。これが本当だったのかなと思い直しているんです。
数年、十数年前に比べて、家事の時短化、効率化は進みました。家電も改良されたし、個人のスキルも上がった。ノウハウもSNSなどでたくさん検索できます。ところが
・あんまりラクになってない
ですよね?いや、多分あんまりどころか全然なんじゃないでしょうか。
理由は簡単で、効率化が進んだ以上に
・やることが増えている
からです。これ、気がつきにくいんですけどね。かつてやらなかったのに、今はやるものだと自然に認識されてしまっている家事ってあるでしょ。ソレです。
・ハロウィーンの仮装衣装の準備
・子供の習い事のための送迎
・フローリングのワックスがけ
・ワンコの歯磨き
・ゴミの分類
・療養食の料理
などなど。これ以外にもデジタル機器関連はどんどん増えている家事のひとつでしょう。
本来、空き時間を作るために効率化してきたのに
・空いた時間に他のことをしている
んです( ̄∇ ̄) いや、あるある。分かる分かる。ダメダメ。
家事の中で削減してきたもののお話でした。
過去数年、数十年の間、家事はどんどん省力化されてきした。それは、家事がきわめて重労働で、専属の人を配置しておかないと回らないくらいだったからです。なので、どんどん省力化効率化外注化されていったことは、
・とても良い
ことだったと思います。
ところが!ですよ。どうもそれが行きすぎた気がするんです。新型コロナの感染拡大で、StayHomeが叫ばれた今年の春先。
自力で家事を回す必要がないくらいまで、削減されていた都会の家事力は、文字通り
・回らなくなった
んですよ。ドコにも行けなくなり、物流が滞り、サービスの提供が受けられなくなったからです。
これね、ホントに思うんですが、省力化や効率化が
・家事力を低減させた
んですよ。そう、ここ数年、数十年で削ってきたものは、ホントは
・家事能力自体
だったんじゃないでしょうか。繰り返しますが、過重すぎる家事労働は削減されるべきでした。ところが、必要な家事能力まで削減されてしまったのではないかというお話なんです。
効率化は、そもそもグランドデザインというか、大きな計画みたいなものがあって、それに沿った形で行われてこそ意味があるものです。そうしたものがない場面で効率化を行うと
・一手間でも5分でも
削る方向性になってしまいます。まあ、目標額を決めない節約みたいなモンですよ。1円10円の安さを求めて遠いスーパーに出かけるみたいな。
で、結果として、
・手間ヒマは削減すべし
ってことになって、がんがん外注化効率化されてしまったんです。それが、今回の新型コロナみたいな極限状況では家事能力のなさが生活自体を脅かす形で出現したんです。
これは、自分の人生の中で家事をどう位置づけているのかみたいな、ちょっと抽象的で分かりにくいことを
・考えずに目の前のものだけを変えようとするから
だろうと思います。こういうメルマガを書いているものとして反省しましたね。
2020年ももう終わり。来年は、家事やモノと適切な距離でつきあいたいですね♪
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