4月15日、衆院補選の候補者応援のため和歌山市に入った岸田首相を狙った、現職総理暗殺未遂事件。改めて警備の難しさが浮き彫りになりましたが、そもそも事件が発生した現場に、首相が訪れるべき理由はあったのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、日本の政治家が選挙期間中、危険を冒してでも有権者と至近距離で触れ合わなければならない事情を解説。さらに統一地方選や補選を通じて浮かび上がってきた「2つの課題」を指摘しています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年4月25日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
またも襲撃された現職総理。それでも政治家が有権者と触れ合わなければならない理由
和歌山県を遊説中であった岸田総理に対する、爆弾テロ未遂事件は結果的に大事に至ることはなく済んだのは良かったと思います。ただ、この事件は、昨年の安倍元総理暗殺事件に続く重大なテロ事件であり、今後は模倣犯の徹底的な抑止に務める必要があるのは間違いありません。演説会場における参加者へのチェック強化、SPの人材育成、そしてSPと地方警察の連携向上など、具体的な対策は待ったなしだと思います。
その一方で、今回の事件が根本から問いかけているのは、政治と選挙全体の問題ではないでしょうか。
まず、どうして今回、和歌山1区の衆議院補欠選挙において、岸田総理が漁協を訪問してエビを試食する等のパフォーマンスを行わなくてはならなかったのかということには疑問が残ります。ちょっと考えれば、総理総裁として国政選挙の応援に行くのは当たり前かもしれません。ですが、よく考えれば、本当に必要な行動だったのかという、疑問が湧いて来るのです。
例えばですが、衆院が与野党伯仲であって、1議席の動向が法案や予算の審議に大きな影響を与えるのなら話は違います。正に、この補選の行く末が内閣の命運を握ることになるからです。更にその議席数の差が数議席ということになれば、補選は直ちに政権選択選挙になりうるわけです。けれども今回はそうではありません。現在の与党は安定多数を確保しているからです。勿論、公明党との連立に依存するかどうかという点では、自民党は議席を上積みすれば自由度が高まるし、改憲発議を行うのであれば、余計に議席数は必要という事情はあるでしょう。けれども、連立の組み換えや憲法論議は、そもそも今回の補選の争点ではありませんでした。
にもかかわらず、補選の勝敗が内閣の命運を左右するということは言われていたわけですし、総理周辺は必死で選挙戦に取り組んだのは事実です。これは、補選に連敗すると総理の求心力が揺らぐからであり、反対に補選に勝って更に意外と早いと言われている解散総選挙に勝利すれば、長期政権が視野に入って来るからという事情があります。
これは岸田氏周辺の心理を考えてみたわけですが、一方で、自民党内の議員心理とすれば、特に自分が選挙に通るか落ちるかが再優先課題であるのは間違いありません。そこで、現在の総理総裁が選挙に勝てる「旗印」であるかどうかは、議員たちにとって死活問題となります。だからこそ、補選であっても岸田総理は与党として勝利しなくてはならないということになるわけです。
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現政権に「お灸を据える」ことしかできない有権者
これも、何となく当たり前のようにも思えますが、よく考えるとこの構図にまず問題があります。そこには政策論議が徹底的に欠落しているということが、まずあります。この場合の総理(とその派閥)の真の敵は総理候補を擁する他の派閥です。ですが、選挙を争っているのは与野党であって、他派閥ではありません。その上で、選挙に負ければ総理総裁は不人気が明らかとなり、次の選挙の「旗印」として不適格という烙印を押されるので、党内のライバルに総理の座を奪われるというメカニズムが、現在「政局」と呼ばれているメカニズムです。
では、野党に政権が行く、つまりダイレクトな政権交代が民意によって可能かというと、現在はその可能性は著しく少なくなっています。まず、左派系の野党と、保守系の野党に分裂している現在では、細川政権や鳩山政権のような受け皿は考えにくいわけです。今回の和歌山1区で勝利した維新は、あくまで都市の納税者の現状不満の受け皿であって、衰退する地方に対しては関心のない地域政党ということもあります。更に、民主党政権が瓦解した経験から、野党の統治能力には全く信用がない中では、政権交代が起こりにくい状況があるのは間違いありません。
そんな中で、自民党としては総選挙や参院選だけでなく、地方選であろうと、補選であろうと、負ければ総理総裁の求心力に傷が付き、決定的な敗北を喫すれば、党内抗争に敗北して政権が崩壊するという構図となっています。この構図そのものに、大きな問題があると思うのです。
まず、政策に選択肢がありません。政策に関して与野党では異なった選択肢があり、有権者はこれを選択することで、民意が主権者の主権行使となるわけですが、そのような選択肢が選挙の前面に出てこないのです。例えば今回の和歌山県1区の場合、当選した維新は保守系野党であり自民党との間に大きな政策上の争点はなかったのです。
確かに現政権の統治能力への信任投票という面はあります。けれども、政策の担当能力がなく、政策としても現実味のない野党に投票することで、現政権を崩壊させても、結局は自民党の他派閥の人材が新しい総理総裁になるわけです。つまり、民意が政策として反映する仕組みにはなっていないのです。これでは、まるで国政選挙が、最高裁判事の国民審査になっているようなものです。有権者は現政権に「お灸を据える」ことはできます。ですが、新政権を選ぶことはできないのです。
それにしても、この和歌山1区の選挙戦は奇妙なものでした。元来は、立憲民主党の岸本周平氏が盤石の強みを持っていた選挙区です。そうなのですが、岸本氏は知事選への転身を図り議席を捨てました。その後継として立憲は人材難から有力な候補を立てることができず、現状に不満を抱く都市型の票は、大阪、兵庫、奈良と同様に維新に流れてしまいました。そんな中で、自民の立てた候補も強くはなく、維新の優勢は明らかでした。
にもかかわらず、岸田総理は自ら乗り込んで危険と遭遇したばかりか、容疑者逮捕に功績のあった漁協員を讃えるとして、再度の現地入りもしているわけです。そればかりか、都市型票を呼び込むために、党籍のないはずの小池百合子東京都知事を応援に引っ張ったりもしています。
結果はそれでも、自民の敗北に終わりました。ですが、岸田氏の印象は危険に遭遇し、その危険を省みずに選挙戦を続けたことで好感度が増したとされています。新聞は「維新が勝って自民敗北」とか「和歌山1区で与党は手痛い敗北」などと書き立てていますが、岸田氏の本音としては「まあまあの戦績」ということだと思います。
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小池百合子を「維新候補への対抗」として呼んだ自民の計算
例えば小池百合子氏の場合はどうでしょうか。小池氏を弁士として引っ張ってきた二階俊博氏への評価はともかく、小池氏はここで自民党に「恩を売る」ことで、復党による国政復帰の目を残したと言えなくもありません。都民ファーストは所詮は、都市の「納税者の現状不満」の受け皿であり、有権者はそこに国政を託そうとは思っていないことは「希望の党構想の失敗」で証明済です。ですが、小池氏にはウルトラCとして自民への復党という可能性を模索している可能性があり、二階俊博氏としては、その小池人気を派閥の衰退を救うために利用しようとしているかもしれません。
更に見方を変えれば、ここで小池氏を「維新候補への対抗」のために弁士として引っ張ったことで、小池氏が維新と合流することを防止するという効果を、自民党サイドが計算したという可能性もあると思います。
それはともかく、どう考えても、他の補選は全て勝ったこともあり、岸田氏の党内基盤は高まったと考えられます。肝心の和歌山での敗北は、岸田氏がテロに遭遇し、それでも「ひるむことがなかった」ということで、ほぼ帳消しになっているようです。ということは、解散風はやや加速したと考えられます。
問題は、こうしたエピソードのほとんどは、地方自治とも間接民主制とも無関係な、一種の印象論だということです。小選挙区制度は動いていても、政権担当可能な政治勢力を2セット持たないことで、二大政党制は成立していません。ですが、一党独裁を嫌い、権力には「お灸を据える」ことを好む有権者、特に都市型の有権者の票は与党には取りづらいわけです。そこで、選挙に負ければ党内で「看板を変える」というプロセスにおいて、ほとんどの判断は印象論で左右されるわけです。
政策でもイデオロギーでもなく、そこでは印象が大きくモノを言います。だからこそ、岸田総理は「負けるかもしれない和歌山1区を見捨てない」ために、和歌山入りし、そこで「自民党の強い農林水産票」を固めるために漁協に行き、そこで「印象を高めるため」にパフォーマンスをしたり握手をしたりしたわけです。その全てにおいて政策の選択は余り重要ではなかったのです。そうしたメカニズムの結果として、選挙期間中だけはどうしても政治家は「危険を冒して」でも「印象アップのため」には握手などをしなくてはならないし、演説会参加者へのセキュリティチェックは難しいとされているのです。
その結果として、危険な人物が凶悪犯罪を完遂するスレスレまで迫るという機会を与えてしまった一方で、岸田氏は被害者の正義を獲得して、和歌山1区は落としたものの人気上昇に成功しました。岸田氏の感じたであろう恐怖や、それを乗り越えた統治への意欲には敬意を表しますが、とにかく一連のプロセスの全てが政策判断ではなく、民意における印象を獲得するゲームとして戦われているのは間違いないと思います。
この全体は、自由という価値観、そして民主主義という制度のあり方として、決して強靭とは言えないと思います。そこを暴力に付け込まれたという側面も厳しく考えていかねばならないと考えます。
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自民と維新が蛮勇さだけを競った先に待つ暗い未来
その一方で、今回の地方選や補選を通じて、2つの課題が浮かび上がったということも指摘しておきたいと思います。それは、
「保守票に信用されていないと本人が思うことで、元来は中道の岸田政権が、安倍政権よりも保守的な政策(例えば防衛費倍増)に踏み込む流れができていること」
「都市の納税者の反乱に過ぎない維新が、地方活性化の政策も、国全体の先進国経済維持の政策も持たない中で、どんどん国政における存在感を増していること」
という2つです。仮にこの2つの軸が二大政党的な対立になるのであれば、その上で、健全な形での「大きな政府論」と「小さな政府論」の拮抗という形になれば恐らく日本の将来にはプラスになると思います。
ですが、そのような軸がウヤムヤのまま対立だけが進み、やがて「軍事も絡めた勇敢さ(蛮勇)だけを競う」ようになれば、日本の安全の保障は壊れてしまうかもしれません。
では、立憲などの「持てる階層や世代であるがゆえの理想主義」というのは、勢力を挽回する可能性があるかと言うと、これは難しそうです。となれば、現在の自民と維新の対立の中から、丁寧に「意味のある政策の選択肢」を「選り分けて」有権者に選択しやすくする作業が何としても必要です。
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