停戦合意の光明が見えたと思いきや、わずか5日間で崩れ去ったアメリカとイラン間の「休戦」。その背景には、複雑に絡み合った互いの思惑や交渉戦略が存在していると見るのが妥当なようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の「無敵の交渉・コミュニケーション術」』では元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、米・イラン双方の駆け引きやホルムズ海峡を巡る攻防、さらに湾岸諸国を巻き込む危機の連鎖について国際交渉人の視点で分析。その上で、停戦が崩れる本当の理由と、世界が新たな戦争の連鎖へ向かう危険性について考察しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:戦争が“休戦”から“再燃”へ─世界は今、何を選び直そうとしているのか
戦争が“休戦”から“再燃”へ─世界は今、何を選び直そうとしているのか
1.米・イラン戦争、休戦の5日間はなぜ終わったのか
まず、時系列を整理しておきましょう。
7月24日以降、米国とイランの間で軍事的な衝突は止んでいました。イラン政府は「アメリカが空爆を停止している限り、イランも攻撃を行わない」と表明していましたが、その言葉には常に「アメリカが再び大規模攻撃を仕掛ければ、イランも大規模な攻撃で応じる」という条件付きでした。
要するに、双方とも「相手が先に動いたのだ」と後から主張できる(相手のせいにする)余地を残しておきたかった、というのが本音でしょう。だからこの均衡は、最初から脆いものと言わざるを得ません。
私はこれまで同じ構図を、紛争地でも企業交渉でも何度も見てきました。「自分も相手も全面衝突は望んでいない。しかし、こちらから一歩引けば相手に弱腰と見られて負けてしまうようなことも避けたい。その結果、互いに引けなくなる」という典型的なチキンゲームです。
そういう綱引きの中では、些細な一手が全体のバランスを崩すことが往々にしてあります。
今回そのきっかけになったのが、7月28日、米国とサウジアラビアが合同でイラク国内の親イラン武装組織 ─ 人民動員隊(PMF)系の勢力 ─ を空爆したことでした。戦闘員少なくとも20名が死亡し、その中にはイラン人の軍事顧問6名が含まれていたと、イラク側の関係者が証言しています。米側の説明では、この攻撃は過去72時間で30件を超えるドローン攻撃を仕掛けてきたイラン革命防衛隊への対応だったとのことです。
そして29日未明、イランはヨルダンの米軍拠点に向けて弾道ミサイルを発射しました。ヨルダン軍はそのうち5発を迎撃したと発表しています。米中央軍(CENTCOM)はこれを「イランによる奇襲攻撃の試み」と表現しました。ここでまた米・イラン間の報復合戦が再開されています。
この一連の動きは、これまでとは少し様子が違って見えます。
これまでイランは、米軍への報復攻撃を「米国が自国領土を攻撃したことへの反応」として位置づけてきました。ところが今回は、イラン側が自ら先制的に攻撃を仕掛けたとも取れる展開です。これは、戦争のエスカレーションが一段階進んだと見るべきでしょう。
同じ29日の夜(米東部時間で午後8時)、米軍はイラン本土への大規模攻撃を開始します。トランプ大統領は前日のヨルダンへの攻撃への報復であることを強調しつつ、強い言葉で攻撃継続を宣言しました。5日間の小康状態は、こうして完全に崩れ去ったわけです。
私は「休戦」という言葉をあまり楽観的には受け止めません。停戦や休戦は「戦闘の終結」であるかのように語られがちですが、当事者間に明確な合意文書や検証メカニズムが存在しない限り、それは単なる「一時的な自制」に過ぎません。
今回のケースでも、拘束力のある停戦合意は存在せず、口頭での牽制と報復の応酬が繰り返されてきただけでした。こういう「言葉だけの休戦」がいかに脆いか、調停の現場では何度も見てきました。
ユーゴスラビア紛争でもコソボ紛争でも、停戦は何度も破られ、そのたびに信頼はさらに損なわれていくのを目の当たりにしてきましたが、今回の5日間の静寂も、私には同じ構図に見えます。
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2.海峡封鎖という切り札─イランが握る経済的レバレッジ
この戦争の帰趨を占う上で、避けて通れないのがホルムズ海峡です。
イランは、この海峡を通航する商船からの通航料徴収という構えを崩していません。これが実行に移されるようなことになれば、イランは数十億ドル規模の収入を手にするだけでなく、世界のエネルギー供給を事実上左右する力を握ることになります。
これこそ、イランが持つ最大のレバレッジだと私は見ています。
交渉学でいうレバレッジとは、「相手に対して行使しうる影響力」を意味しますが、その中でも一番強力なのは、相手にとって代替不可能な資源やルートを支配することです。
イランにとってホルムズ海峡は、まさに「相手にとって代替不可能な資源」です。世界のエネルギー供給の相当割合がここを通過する以上、イランがこの海峡を掌握し続ける限り、米国がどれだけ軍事的圧力をかけても根本的な解決には至りません。
実際、米国はイラン産原油輸送を狙った港湾封鎖 ─ いわゆる「鋼鉄の壁」作戦 ─ を継続・強化しています。CENTCOMによれば、7月29日時点で商船20隻の航路変更、2隻の航行不能化、2隻の臨検を実施したとのことですが、ただ、これはあくまで対症療法に過ぎないと言わざるを得ません。
正直なところ、海峡そのものの安全な通航を回復できなければ、原油市場の不安は解消されず、世界のサプライチェーンの不安も解決されないことは明らかです。
では米国は具体的に何をしなくてはならないのでしょうか。
米国の退役軍人であるバリー・マキャフリー元陸軍大将は、SNS上で「ホルムズ海峡封鎖を解くための地上戦には、少なくとも何万人もの兵力が必要となり、終結には1年以上を要する可能性がある」との見解を示しています。
トランプ政権は今のところ地上部隊の投入には慎重ですが、空爆だけでは解決できないという現実が、政権内でもじわじわ共有されつつあるようです。簡単な答えは、実はどこにもないのです。
さらに気になるのは、イランの軍事力そのものが進化するスピードです。
米国の戦略立案者たちは、ロシアや中国からの技術支援も相まって、イランが数年以内により高精度で長射程の兵器を保有する可能性が高いと分析しています。そうなれば、イスラエル南部ディモナの原子炉や、イランから4,000キロメートル離れたディエゴガルシア島の米軍基地までもが射程圏内に入ることになります。遠く離れた「アメリカの権益」もイランの攻撃対象になり得るということで、パワーバランスが大きく変わることを意味します。
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3.トランプ大統領の逡巡 ─ なぜ「大規模攻撃」を見送ったのか
実は7月25日、トランプ大統領は一度、イランへの大規模攻撃を当面見送る方針を明らかにしていました。その背景には、防空ミサイルの枯渇や中東全域への戦火拡大への懸念が側近の間で共有されたことがあると言われています。
それに加え、原油価格の高騰をはじめとする世界的なエネルギー危機のリスク、同盟国との関係悪化への配慮もあったようです。
マイク・ウォルツ米国連大使はこの決定について、「交渉に一定の余地を与えるためのものだ。ただ、米軍は作戦遂行に必要なすべてを備えている」と説明しました。
報道によれば、この協議に参加した側近の中で、大規模攻撃の計画に積極的な賛意を示した者はほとんどいなかったそうで、ジャレッド・クシュナー氏をはじめとする複数の側近は、イランとの交渉を続けながら経済的な圧力をかけ続けるべきだと提案していたと伝えられています。
しかし、この逡巡を「弱さの表れ」と見るのは早計だと思います。私は、交渉論の観点からは、むしろ極めて合理的な判断だったと評価しています。
大規模な地上戦や全面攻撃は米国側にとっても甚大なリスクを伴います。
原油価格のさらなる高騰、米兵の人的被害、そして11月に控える連邦議会中間選挙を前にした国内世論の反発 ─ どれもトランプ大統領にとって避けたい事態です。
中東の戦争にアメリカが介入することへの世論の反対は根強く、大統領自身も一刻も早く戦闘から手を退きたいというのが本音でしょう。
ただ、こうした「引き際を探る姿勢」こそが、皮肉にもイラン側に足元を見られる結果を招いているのも事実です。戦闘の激化はイランにとってもリスクですが、トランプ大統領が大規模戦闘に踏み出せずにいる状況を見透かすように、強硬な姿勢は崩していません。
イラン外務省のバガイ報道官は、国営イラン通信を通じて「米国が戦闘終結の覚書に違反し、対話の土台を破壊した」と米国を批判しつつも、パキスタンやオマーン、カタールといった仲介国を介した米国とのやり取り自体は続けていることを認めています。強硬な言葉と、水面下での対話継続 ─ この二重の戦略を、イランはかなり巧みに使い分けています。
こういう二重戦略は、調停の現場でもよく見かけるパターンです。実は、この光景を私は何度も見てきました。
「会議室では激しく相手を非難していたにも関わらず、休憩時間になると、別室で静かに話し合っている」
交渉とは、案外そういうものです。
国内世論や支持基盤向けのメッセージと、実際の交渉戦略を切り離すための、極めて意図的な手法です。
イランの指導部がこの二正面戦略をどこまで計算ずくで設計しているのかは分かりませんが、少なくとも結果としては交渉の主導権を握る形になっています。
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4.核の影 ─ モジタバ・ハメネイ師という新たな不確定要素
ここで注視しておきたいのが、イランの最高指導者モジタバ・ハメネイ師を巡る分析です。
米情報機関の分析によれば、モジタバ・ハメネイ師は父である故アリー・ハメネイ師よりも核兵器開発に強い関心を示しているとされています。米・イラン戦闘開始前の発言や傍受された会話をもとに、モジタバ師が将来的に小型化し長距離ミサイルに搭載可能な核兵器の開発に関心を持っているという米情報機関による分析を、「The New York Times」が報じました。
私は、これはかなり重い情報だと受け止めています。
前指導者のアリー・ハメネイ師は生前、ファトワ(宗教見解)によって核兵器の保有と開発を明確に禁じていました。この宗教的な禁忌は、イランの核政策における一つの歯止めとして機能してきたわけです。
モジタバ師は、3月に最高指導者に就任して以来、核兵器開発を目指すと公の場で宣言したことは一度もないものの、この禁忌がどこまで継承されるのかは、彼がまだ表舞台に姿を現して民衆に直に語り掛けたことがない状況下では、依然として不透明です。
米情報機関によれば、現時点でイランが核開発を再開する具体的な動きは確認されていないとのことですが、トランプ政権は地下施設に隠されていると言われている濃縮ウランの動向や、ロシアからの核技術供与の有無、弾道ミサイルへの核弾頭搭載の可否など、かなり神経を尖らせている様子です。
そうした中、アメリカ政府はイランの脅威が高まる中で、体制転換構想を再び議論のテーブルに戻しているとも報じられています。2月28日の攻撃開始当初は、軍事攻撃をきっかけに民衆が蜂起することが期待されていましたが、実際には反米感情の高まりの方が目立ちました。外部からの軍事的圧力が、必ずしも体制の脆弱化に直結しない ─ 歴史が繰り返し示してきた教訓そのものです。
体制転換の手段として今有力視されているのは、対イラン経済制裁の強化です。数か月以内にイランの石油収入の大半を絶ち、深刻な経済危機を引き起こして民衆蜂起を誘発するというシナリオや、かつてイスラエルが試みたように国内のクルド人勢力に武器を供与して国内反乱を起こさせるという案も浮上しています。
ただ、どちらも成功の確証はありません。むしろ戦争がこのまま泥沼化していく可能性の方が高いというのが、私の率直な見立てです。
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5.湾岸諸国を巻き込む連鎖 ─ ドミノは止まるのか
この戦争の恐ろしさは、当事者である米・イラン両国だけでなく、周辺の湾岸諸国を次々と巻き込んでいる点にあります。
7月24日、米紙「The Wall Street Journal」は、バーレーンとクウェートが今月、イランの無人機やミサイル貯蔵庫といった軍事施設を標的に空爆を実施していたと報じました。両国による直接攻撃が明らかになったのはこれが初めてです。
ただし、この報道にクウェート側は強く反発しています。クウェートの国営通信は7月25日、クウェートの駐米大使が「クウェートがイラン空爆を行ったとする『The Wall Street Journal』の報道内容は全くの虚偽であり、クウェートは対イラン軍事作戦に一切参加していない」と主張し、自国の領土・領空・領海の作戦使用も許可していないとして、同紙に訂正を求める書簡を送ったと伝えています。
私は、この「食い違い」自体が、実は重要な意味を持っていると見ています。
仮にクウェートの否定が事実だとしても、「クウェートが攻撃に加担した」という情報が流布すること自体、イランにとっての報復対象を広げるリスクになります。逆に報道が事実に近いのだとすれば、クウェートが公式に否定せざるを得ないほど、この戦争への直接関与が地域内でセンシティブな問題だという証拠でしょう。
真相がどちらであれ、湾岸地域全体が疑心暗鬼に陥りつつあることは間違いありません。
実際、これまでにサウジアラビアが3月に、UAEが4月に、それぞれイランへの報復攻撃を実施しており、今回のバーレーン・クウェートの件を含めると、中東地域全体・湾岸諸国アラブ社会への紛争のドミノ現象への懸念は現実味を帯びてきています。
「The Wall Street Journal」によれば、UAEはバーレーンとクウェートに対し、イラン国内の標的情報やイランからの報復攻撃に対する防空支援を提供したとも報じられており、確実に緊張は高まっています。
イラン側も黙って攻撃を受け続けているわけではありません。
イランのファルス通信によれば、オマーン湾周辺を航行中のタンカーが7月24日、米軍のミサイル攻撃を受け、乗組員2名が死亡したとのこと。このタンカーはイラン産のLNGを積載していたそうです。
イラン革命防衛隊は同日、中東にある米軍拠点の半径500メートル以内に近づかないよう湾岸諸国の市民に求める声明を発表しました。軍事当局の高官は「イランの市民一人が殉教するごとに、米兵一人が命を落とすことになる」という、かなり挑発的な警告を発しています。
こうした相互の威嚇の連鎖は、当事者双方が「エスカレーション・ドミナンス(段階的拡大における優位性)」を握ろうとする典型的な行動です。
しかし歴史が繰り返し証明してきたように、威嚇の応酬はしばしば当事者の意図を超えて暴走します。第一次世界大戦の開戦過程を思い起こせば、局地的な事件が同盟関係を通じて瞬く間に大戦争へと拡大していった経緯は、決して他人事ではありません。
さて、今回のケースはどうなるでしょうか。
6.紅海の封鎖─フーシー派という「もう一つの当事者」
中東情勢を語る上で、もう一つ見過ごせないのが親イラン武装組織フーシー派の動向です――(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』2026年7月31日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録の上、7月分のバックナンバーをお求め下さい)
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
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