今では人々にとって欠かせないものとなった地下鉄。その誕生について、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。今回のメルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、東京の地下鉄の生みの親である早川徳次氏の志について語っています。
日本初の地下鉄誕生秘話
大都市東京の地下に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下鉄。
計13路線304キロ、一日に約690万人が利用するこの鉄道網を現実のものとしたのが、ある青年実業家の志だったことは、あまり知られていません。
地下鉄の父・早川徳次(のりつぐ)。日本、また東洋初となった大事業を成し遂げたその「挑戦と創造」の歩みとは。
『致知』2022年5月号にご登場いただいた、地下鉄博物館学芸課長の玉川信子さんのお話をご紹介します。
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必要は不可能も可能に変えていく
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明治時代後期の東京の状況に目を移すと、交通手段は路面電車が中心でした。
ただ、増え続ける人口に対して路面電車は既に限界に達しており、「満員電車」が東京の名物として流行歌にもなっていました。
そんな中、徳次は鉄道院の嘱託として欧州視察へ出発。
最初に訪れたロンドンで、市街地を縦横に結ぶ世界最古の地下鉄を見て感動します。
日本の近代化のためにも地下鉄が絶対に必要だと痛感した徳次は、さらにイギリス各地、パリやニューヨークで研究を続け、一九一六(大正五)年に帰国します。三十五歳の時でした。
ところが志を熱く語る徳次への、学者や技術者の視線は冷ややかなもので、ペテン師と揶揄する人もいました。
「東京は昔海だったのだから、地盤が軟弱で無理だろう」と。
それでも徳次は、果たして本当に無理なのか、と考えます。
「必要の事は、何時か必ず実現する。必要は不可能のことすら可能に変へて行く」
これが徳次の信念でした。
最初の関門は敷設免許の申請でしたが、まず反対意見を破るため、徳次は次のような調査を行いました。
一つは地質調査です。
地盤の強さを確かめる方法を考えていた徳次は、東京には日本橋など橋が多いことにヒントを得ます。
市の橋梁課に掛け合って建設時の地質図を手に入れ、地下深くには頑丈な地層があると確認するのです。
二つ目は湧水調査でした。
掘削に伴う湧水があるか調べるため、徳次が着目したのが道端に点在した撒水用の井戸です。
その構造を調べると、井戸の底からさらに鉄管を打ち込んでようやく水を確保している。これなら過剰な心配は要らないと確信したのでした。
三つ目は交通量調査です。
莫大な建設費のかかる地下鉄を認めてもらうには、ここに地下鉄を通せば地上の渋滞が緩和され、採算が取れるという根拠が必要です。
徳次は上着のポケットに白色と黒色の豆を入れて交通量の多い街頭に立ち、人が通れば白い豆を、電車や馬車、自動車が通れば黒い豆をズボンのポケットにそれぞれ移し、地道な努力を重ねていきました。
分かったのは、浅草~上野~銀座~新橋を結ぶ道が最も交通量が多いということでした。
こうして、専門家たちの意見を覆す資料を自らの手で示していきました。
人を動かすには、相応の根拠が要る。それを重々分かっていたのでしょう。
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