日常的にやっていることをやり終えた時「やった!」と感じるのは間違いなんだそうです。今回のメルマガ『セクシー心理学! ★ 相手の心を7秒でつかむ心理術』では、著者で現役精神科医のゆうきゆう先生が、ご自身も驚いたその理由について明かしています。
「やり遂げた!」と喜んではいけない!?プロから学ぶ行動の秘訣
こんにちは、ゆうきゆうです。
元気で過ごされていますでしょうか?
さて、皆さんは日常生活の中で行動するとき、どのような心境でやっていますか?
「自分はがんばってる!」と感じながらやっていますか?
はたしてその思考は正しいのか、今回お話していきましょう。
■ 「やり遂げた」で人はツラくなる!
僕は瞑想や悟りについての本も、勉強のために読んでいます。
その中で見つけた、ある面白い内容についてご紹介します。
瞑想は一般的に、座って静かに深呼吸をしながら行います。
自分の心境について、まったりゆったりと思いを巡らせていく。
これが瞑想であり、マインドフルネスという行動です。
その瞑想のプロである先生に、あるとき瞑想初心者が次のような質問をしました。
「自分は瞑想が終わったときに『やった、瞑想をやり遂げたぞ』と毎回言っていますが、これは大丈夫でしょうか」
するとその瞑想の先生は、「それは良くない」と答えました。
なぜなら「やった、やり遂げた」というのは、それだけ大変でツラいことをやり遂げた、という意味になります。
そしてそれは、瞑想を「ツラいこと、大変なことだ」と思っていることに他なりません。
「やり遂げた、やった」と言い続ければ、「ツラい」という思いもセットで感じ続けてしまいます。
すると瞑想そのものに対してイヤな気持ちを引きずってしまい、いつまでたってもそこから抜け出せません。
そしてツラいという気持ちが続いていると、いつか瞑想を辞めてしまうかもしれません。
そうではなく
「終わったということを何ら誇らず、『やり遂げた』という感情を持たずに単純に『終わった』、もしくは終わったとすら思わなくても良い」
と先生は回答しました。
これは、非常に面白いストーリーではないでしょうか。
「やった、やり遂げた」というのは一見前向きに聞こえます。
しかしそれは、やり遂げるまでがツラく、大変だったという証明になってしまうのです。
■ 行動したいなら「やった!」を使うな!
たとえば受験勉強を必死にやった後
「やった、合格した!」
と言うなら良いでしょう。
受験勉強は一生エンドレスでやるものではなく、一回終わったら二度としないという方も多いもの。
長くやってきて、完全に終わったことについて「やり遂げた、やった」というのは問題ないです。
しかしながら、日常的に習慣化したいことについて
「やった!」
と言ってしまうと、やり遂げるのが大変だという意味合いが出てしまいます。
そして大変さを毎日感じ続けることにより、習慣にしたくても、どこかで辞めてしまう可能性があります。
日常生活において習慣化したいことは、「毎日まったりと楽しむ」のが一番です。
たとえば歯磨きをして「やり遂げた!」という人はいないでしょう。
トイレに行くときも、行くたびに「やった!」とは誰も言わないはずです。
勉強や仕事でも同じです。
毎日取り組むときは、あえて「やった!」を封印しましょう。
「当然のようにやりました」
「終わったから、次は何をやろうか」
という落ち着いた気持ちでいると、ツラさや大変さも感じにくくなり、長続きしやすくなります。
そして結果的に成長も大きくなるはずです。
少しでも参考になることがあれば幸いです。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
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