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なぜ人は「子供の頃に言われて嫌だった言葉」を、いま子供に向けてしまうのか?

自分が子どもの頃に言われて嫌だったはずの言葉を、ついつい子どもに言ってしまう。そんな経験はありませんか? メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』の著者で現役小学校教師の松尾英明さんは、その誤りは教育全般で起きているとして今一度、考える機会をと訴えています。

偉い人とは

読書会での学び。テキストは例の如く、次のもの。

修身教授録』森信三 著 致知出版社

テーマは第2部 第14講「人生の深さ」。

それぞれが最も印象に残った文章について語るのだが、ほぼ全員が次の部分であった。

P.367 13行目より一文を引用する。

(引用開始)
言い換えれば、自分がこれまでにたどって来た、
あらゆる段階で経験した事柄を、
少しも忘れずに、現在それぞれの段階にある人々に対して、
十分な察しと思いやりのできるということが、
すなわちその人の人生内容の深さと、豊かさとを語るわけであって、
すなわちまたその人の偉さを示すわけでしょう。
(引用終了 ただしメルマガの読みやすさを考えて途中改行)

要は、自分がしてきた失敗、してもらってきた恩や赦しを忘れるなということである。そして、多くはそれを忘れて、人に厳しくあたったり、尊大になったりしてしまうということへの戒めでもある。

教育の全般でこの誤りは見える。

「宿題やったの」

「またこんなに散らかして」

「続けること、努力が大切」

「もっと本を読みなさい。勉強しなさい」

「ごろごろしてないで、外で遊んで運動しなさい」

「何でこんなことができないの」

「きちんとやりなさい」

「これぐらい当たり前でしょ」

「何で優しくできないの」

「もっと思いやりをもって」

・・・・

無限に挙げられるが、どれも自分が子どもの頃を正確に思い出せるのならば、ぐっと言葉に詰まるはずである。いや、今の自分ですら、どうであろうか。

子どもは勿論、年下の同僚に接する時も同じである。

たとえば初任者が「常識がない」「指導技術が低い」のは、当たり前である。自分自身のありし日を思い出せば、批判なぞできようもない。きちんと丁寧に教えてあげればいい話である。

年長者に偉い人が多くなるのは、当然である。経験者だからである。ただ、それを忘れている人も多くいるのが古今東西の当たり前なので、そこへの見極めは大切である。

批判したくなったら、いつでも自分自身に帰することである。先人の教えは、素晴らしい智慧として有難く素直に受け取りたい。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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