少子化が進む現代。これをなんとか食い止めようと、さまざまな政策が世界中で行われていますが、メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』の著者で生物学者、CX系「ホンマでっか!?TV」でおなじみの池田教授は「少子化は本当に悪なのだろうか」と疑問を呈しています。その理由とは?
少子化の現在と未来
大統領の非常威厳宣言と、それに対する議会の弾劾議案の可決で揺れている韓国は、少子化の速度が世界一の国でもある。2024年の合計特殊出生率は0.71だ。合計特殊出産率とは一人の女性が一生の間に産む子供の平均人数で、これが2.07以下になると移民などがなければ、人口は現状を維持できないとされる。日本の2024年のそれは1.15である。以下に記すのは2022年のデータであるが、台湾0.87、中国1.18、北朝鮮1.79で、東アジアの各国は軒並み人口減に曝されている。合計特殊出生率が高いのは、ニジェール、チャド、ソマリア,コンゴ民主共和国などのアフリカの諸国で、6.0を超えている。
G7の諸国は軒並み1.8を切っていて、将来の人口減は不可避であるが、この人口減を埋めて余りあるのは途上国の人口増で、世界的には人口は増加し続けている。2024年度時点で、最も人口が多い国はインド14.42億、中国14.25億、アメリカ3.42億と続き、日本は12位で、1.23億である。2024年度の世界人口は81.2億で、2080年代半ば頃にピークの103億に達し、その後徐々に減少すると予測されている。
生態学的に言えば、人口を決定するのはcarrying capacity (環境収容力)で、これはある地域に棲める生物の個体数の上限である。気候条件と棲息場所の構造、食物の量で規定されるが、通常、捕食者や伝染病、同じ生態的地位を持つ他種との競争などによって、具現している個体数はcarrying capacity の遥か下方に抑えられている。約30万年前に出現した現生人類(Homo sapiens)も狩猟採集生活をしていた頃は野生動物と同じで、様々な制限要因によって、carrying capacity に達するほどは人口が増えなかったに違いないが、道具や火の利用によって、捕食者や競合する動物に打ち勝ち、徐々にcarrying capacity 近くまで人口を増加させてきたと思われる。
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状況が激変したのは、約1万年前に農耕を発明してからである。人類は自ら食料を生産することにより、carrying capacity を自力で押し上げたのである。食料が増えれば人口が増える。人口が増えれば増えた人口を養うために開墾して食料を増産する。あるいは新たな土地を求めて移住する。するとさらに人口が増える。この繰り返しで、人類の総人口は急激に増えてきた。1万年前は500万人、西暦元年頃2億、11世紀初頭3億、16世紀初頭5億、18世紀初頭6.5億、19世紀初頭10億、20世紀初頭16億、現在は先に述べたように81.2億である。
20世紀になって、人口が爆発的に増えたのは、作物の生産量が増大して、多くの人を養えるようになったからである。農業技術が格段に進歩して、耕地面積はほとんど増えていないにもかかわらず、穀物生産量は20世紀初頭に比べ6倍になっている。人口は約5倍に増えているので、穀物生産量の増え方の方が大きい。現在世界全体の穀物の生産量は年間26~27億トンである。穀物の他にも野菜は11億トン、魚は2.1億トンなので、肉を除外しても、食物生産量は年間40億トンくらいある。この食料を世界の人に均等に分けると、日本人が1人当たり1年間で摂取するカロリーの2倍以上になる。つまり、計算上は世界の人が誰も飢えないで生きられる十分な食料があることになる。
したがって、carrying capacity が増えれば人口が増えるという生態学の原理にしたがえば、人口はもっと増えてよいはずだ。そうならないのは人間社会に固有の非生態学的な原因があるからだ。先進国では、女性の地位が向上して、自分なりの生活をエンジョイしたいと考える女性が増えてきたことが原因の一つであることは間違いない。女性が賢くなれば、女性だけが出産と子育ての労働を押し付けられるのは理不尽だと考える人が増えるのは当然で、女性の幸福は家庭を守ることといったイデオロギーは、先進国ではもはや超マイナーな思想になってしまったわけだ。
太平洋戦争前までの日本の女性は、子育てに多大な時間を使ってきた。5~6人くらいの子供数は当たり前、中には10人以上の子供を産み育てた女性もいた。国家権力が労働力と兵隊を必要としたので、子供を産み育てる女性を称賛し、それに反対する人たちを非国民と罵ったのである。単純に言えば、軍国主義を推進するために人口増が必要だったわけだ。
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現在も、国家権力とそのフォロワーたちが少子化を目の敵にしているのは、国家の指導層にとって、人口が減るのは歓迎できないからである。戦後の日本では、国家権力のメインイデオロギーは軍国主義からグローバルキャピタリズムに変わったが、グローバルキャピタリズムは人口増とエネルギー増を前提として成り立っているので、人口減は忌避すべきことなのである。
短期的な経済的利益を追求する企業は、低賃金で働く労働者を必要とすると同時に、消費者に沢山製品を売りたい。少子化は労働者と消費者の減少をもたらすので、少子化が止まらなければ、グローバルキャピタリズムはクラッシュを起こすのである。そこで、日本ではあの手この手で少子化を止めようとしているけれど、ほとんどは精神論か、雀の涙程度の補助政策であるため、賢い女性たちは笛吹けど一向に踊らぬ状態になっている。一人の子を育てるには相当なコストがかかり、それを上回るメリットはあるのだろうかと考えれば、少なくとも金銭的なメリットは全くないと考えざるを得ない。
2024年の11月に刊行した内田樹との対談『国家は葛藤する』(ビジネス社)でも述べたように、すべての日本国民に月8万円のベーシックインカムを支給すれば、子を産むとその時から毎月8万円の収入があるので、少子化はあっという間に解消するに違いない。今の日本のように、国民から税金を搾り取って、共稼ぎでやっと生活ができるような給与水準では、少子化の解消は夢のまた夢である。
多くの論者は、少子化を悪の権化のように言いつのっているが、生態学的に見れば、人口が少なければ、一人頭の資源量が増えるので、素朴に考えれば、個人の幸福度は増加するはずだ。日本の人口は100年後に3000万人くらいまで減少して、様々なインフラを維持できなくなると心配する人がいるが、それは現行のシステムを保持しようと思うからで、人口減に合わせたシステムに変えた方が賢いのは言うまでもない。
3000万人というのは江戸時代の人口で、この人口ならば現在の食料自給率38%(カロリーベース)は100%以上に跳ね上がり、輸入に頼らなくても国民が飢餓に陥る危険はなくなる。人口減少社会で、右肩上がりの経済を維持しようというのはそもそも無理難題で、もがけばもがくほど、ドツボに嵌るのは目に見えている。賃金を上げずに労働をさせて、さらに消費量も増やそうとすれば、比較的低賃金で働く外国からのーーー(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』2024年12月27日号より一部抜粋。続きはご登録の上、2024年12月号のバックナンバーをお求めください。ご登録は初月無料です)
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