生成AIの進化によって「ホワイトカラーの仕事はAIに代替される」「AIを使いこなせる人だけが生き残る」といった議論が盛んになる一方で、AIの普及そのものが新たな矛盾を生み出し、やがて社会の価値観を大きく変えていく可能性も指摘されています。メルマガ『j-fashion journal』の著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんは、AIの進化がもたらすホワイトカラーの変化やブルーカラーの価値の再評価、そしてAIブームの行方について考察しています。
AI進化の終着点:ホワイトカラーの消滅と、我々が「AIに飽きる」日
1.AI(人工知能)の進化が速過ぎる
AI(人工知能)の進化スピードが、もはや人間の適応能力を超えようとしています。
昨日までの最新技術が今日には陳腐化し、次々と塗り替えられていく日常。その奔流の中で、私たちは漠然とした不安を抱えています。
「AIは企業に利益をもたらすが、個人の生活を豊かにするのだろうか?」
「私たちの仕事は、このまま奪い尽くされるのを待つだけなのか?」
現在、世の中では「ホワイトカラーの危機」が叫ばれる一方で、現場を支える「ブルーカラー」の人手不足が深刻化しています。
この歪んだ構造の先に何があるのか。そして、なぜ私は「AIは一過性のブームに終わる可能性がある」と考えているのか。その理由を紐解いていきたいと思います。
2. ホワイトカラーの仕事は「組織のための空転」ではないか
まず、ホワイトカラーの仕事の本質を疑ってみる必要があります。
私たちは日々、膨大な時間を費やしてプレゼン資料を作り、会議を重ね、社内調整に奔走しています。しかし、冷静に考えてみてください。その資料は、誰のために、何のために存在しているのでしょうか。
職人同士、技術者同士、あるいはクリエイター同士の現場を想像してください。そこには、過剰に装飾されたパワーポイントも、一字一句を調整した議事録も必要ありません。「現物」や「技術」という共通言語があるからです。
一方で、ホワイトカラーの仕事の多くは、組織内の摩擦を減らすため、あるいは上層部を納得させるための「説明」に偏っています。つまり、ホワイトカラーの仕事は、ホワイトカラー同士のコミュニケーションのために存在しているという側面が強いのです。
AIは、こうした「もっともらしい言葉の生成」や「論理的な資料作成」を最も得意としています。言い換えれば、ホワイトカラーがこれまで「仕事」と呼んでいたものの多くは、AIによって最も代替されやすい「空務(くうむ)」だったのかもしれません。
この記事の著者・坂口昌章さんのメルマガ
3. 給与体系の歪みと「学歴社会」の終焉
ここで、経済の基本である需給バランスに目を向けてみましょう。
現在、知的労働とされるホワイトカラーの領域ではAIによる自動化が進み、労働力の価値が相対的に低下しています。反対に、建設、物流、介護、製造といった現場を支えるブルーカラーの領域では、深刻な人手不足が続いています。
本来、経済原理に従えば、供給過多になるホワイトカラーの給与は下がり、人手が足りないブルーカラーの給与は劇的に上がるべきです。しかし、現実にはそうなっていません。ここには、長年日本社会を縛り続けてきた「学歴社会」の歪みがあります。
「机に向かう仕事の方が価値が高い」という根拠なき序列が、需給バランスによる適正な賃金移行を阻害しているのです。しかし、AIの進化はこの虚飾を剥ぎ取ります。
「AIに代替可能な100枚のプレゼン資料」を作る人間よりも、「AIには不可能な、現場で一つの不具合を直す手」を持つ人間の方が高い報酬を得る。そんな「価値の逆転」は、すぐそこまで来ています。
4. 「AIのニーズ」自体が消滅するパラドックス
さらに重要な視点があります。それは、AIの需要そのものが減退する可能性です。
前述の通り、高度なAIの主なユーザーは、情報の整理や調整を業務とするホワイトカラーです。しかし、もしAIによってホワイトカラーの仕事が代替され、その職域自体が縮小していけばどうなるでしょうか。
「調整すべき人間」がいなくなれば、「調整を助けるAI」のニーズもまた、同時に消滅していくのです。
一方で、ブルーカラーの現場では、AIはあくまで「便利な道具」の一つに過ぎません。道具は人間を補助しますが、現場の仕事そのものを奪うことはありません。配管を修理するのも、繊細な素材を縫い合わせるのも、最後は物理的な「手」が必要だからです。
ブルーカラーが主役の社会になれば、現在のような「人間を凌駕しようとする高度な汎用AI」への熱狂的なニーズは、自然と落ち着いていくはずです。
この記事の著者・坂口昌章さんのメルマガ
5. 人間はAIに「飽きる」のではないか
私は、AIが今のまま進化を続けたとしても、いずれ人々はAIに「飽きる」のではないかと考えています。
初期の驚きは、やがて日常の景色になります。AIが生成した完璧な文章、完璧な画像、完璧なプレゼン。それらが溢れかえったとき、私たちの心に浮かぶのは「だから何だ?」という虚無感ではないでしょうか。
ホワイトカラー自身も、自分の首を絞めるだけのAI活用に、いつまでも積極的であるはずがありません。自らの職域を守るために、AIを否定し、距離を置く動きが出てくるのは自然な防衛本能です。
テクノロジーが進化しても、それが「自分の生活」や「幸福」に直結していないことがあることに、多くの人が気づき始めています。
画面の中のデジタルな進化よりも、今日食べる食事の質、住まいの心地よさ、そして信頼できる人との手触りのある関係。そうした「肉体性を伴う現実」に、価値の重きが戻っていくでしょう。
6. 結びに:手触りのある未来へ
AIは一過性のブームとして、やがて「背景のインフラ」へと退いていくかもしれません。それは、AIが敗北するということではなく、人間が「デジタルな虚業」の限界を悟り、現実の世界へと回帰することを意味します。
これからの時代に必要なのは、AIを使いこなすスキル以上に、AIには真似できない「現場の感覚」や「身体的な技術」、そして「説明不要の信頼関係」を築く力です。
ホワイトカラーという概念が溶けてなくなり、誰もが自分の「手」や「感性」で価値を生み出す時代。
そこには、今よりもずっと健全で、血の通った経済が待っているはずです。AIの進化に怯えるのではなく、AIが突きつけてくれた「人間にとって本当に大切な仕事とは何か」という問いに、今こそ私たちは向き合うべきなのです。
■編集後記「締めの都々逸」
「AI普及で 仕事が消える 皆一緒に ボイコット」
AIの急激な進化は、ファッションに似ています。そして、ファッションでもこれほど急激に成長すれば、必ず反動が起きて、人気が暴落します。ファッション屋の本能は、そう告げているのです。
でも、AIがブームで終わるはずがない。これは産業革命に匹敵する大変化なんだから、と自分に言い聞かせていました。
でもね、僕にとってAIの書く文章は気障ったらしくて、気持ち悪い。でも、これは好き嫌いの問題だから正解はない。僕が好きな文章をそっけなくて面白くないという人もいるはずです。それでいいんです。
でも、AIが書く文章に囲まれたら飽きるよな、と思うし、実際、ちょっと飽きてきてるんです。
これ、ファッションのピークの感じに似ている。これから暴落が始まるぞ、という警戒音が鳴っています。さて、どうなるかな?(坂口昌章)
この記事の著者・坂口昌章さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com