戦争を巡る歴史認識について、今なおさまざまな意見が交わされている我が国。こと「謝罪」に関しては大きな議論となっているのが現状でもあります。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では作家で米国在住の冷泉彰彦さんが、日本が第2次世界大戦と向き合う上で「押さえておくべき論点」を多角的に分析。さらに靖国神社、サンフランシスコ講和、東京裁判などを取り上げ、「終戦」を巡るさまざまな論点を検証しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:終戦を巡る論点を再確認する
戦後日本は「平和国家」になったのか?終戦を巡る論点を再確認する
今年も8月15日が来て、去っていきました。日本のポツダム宣言受諾と武装解除から81年という年月が過ぎたことになります。大戦の経験者は残り少なくなり、戦没者慰霊式への参加者も配偶者や子ではなく、もっと下の世代が中心になって来ました。その結果として、軍民における巨大な人命の喪失だとか、国家を挙げての名誉の喪失といった直接的な感覚は薄れています。
その結果として、先の大戦を話題にしたり、例えば靖国の話題で論争をしたりというのは、今となってはイデオロギーの力比べの材料になっているとしか言いようがありません。非常に残念なことですが、先の大戦の評価ということ、そして81年にわたる戦後の時間を評価することがイデオロギーを表現する話題になってしまっています。
これは非常に危険なことだと思います。危険というと、この言葉そのものがイデオロギーの攻撃に使われる常套句ですが、ここで申し上げたいのは言葉のそのものの意味です。現在の傾向が危険であるのは、文字通りそこに危険があるからです。主調や表現の動機がイデオロギーに立脚することで、ファクトベースによる説得力や合意形成が難しくなるからです。
今回は終戦を巡る論議の前提として、9点ほどファクトおよび解釈についての問題提起をしておきたいと思います。
(1)戦争に関する「謝罪」は必要なのか
2015年に安倍首相が「戦後70周年談話」を出すにあたって、そこに「謝罪」を入れるかどうかが議論になったという歴史があります。この問題ですが、既に戦中世代の多くが去った中で、現在のところは、とりあえずはこの「謝罪」という言葉を入れるか、入れないかといった「言葉のゲーム」になっているような印象があります。
例えば、今回、2026年の戦没者慰霊式では、高市総理は「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」という表現を選択しました。「繰り返さない」ではなく、「繰り返させない」とすることで、過去の謝罪を否定し、将来の加害への懸念も否定し、その代わりに将来の被害への反対を口にした、そういうことです。
このテクニックはかなり高等戦術ですので、左派勢力の多くは気づかなかったようです。ですが、このような微妙な表現を使って「謝罪」を回避するどころか、全否定して見せたわけです。では、これはこれでいいのかというと、そうは簡単には行きません。
日本国内では「謝罪」という言葉を入れることに明らかに反対する勢力があったわけですし、また賛成する勢力もまた同じように非妥協的でしたから、社会全体としての合意形成は難しい時期が続きました。ですが、世代が入れ替わることで国内にはそのような対立エネルギーは少なくなっています。では、それこそ高市発言のような扱い良いのかというと、そうは簡単には行きません。
まず日本国内の世論としては、戦争や植民地支配とは関係のない世代の一部には、基本的には「自分の国が謝罪を強いられる」ことへの直感的な反発があると思います。自分たちには何ら責任がないにも関わらず「生まれながらにして悪い国の一員」と言われるのは、受け入れがたいという感情です。
また、そもそも自分の非を認めて謝罪をするという行為、あるいは姿勢というのは「心の余裕」があって始めて可能となるものです。ですから、そのためには物心両面での安定が前提となるということも、また、高度成長世代にはできても、貧困化した現役世代には難しいというのも、相当な部分は真実だと思います。
一方で、戦後長い間は「先の大戦における日本の行動を全否定」するとともに「謝罪者として恭順姿勢を取る」ことが、日本人の「危険回避本能」に適合していたわけです。ところが、戦争の記憶が遠ざかるに連れて「国家に依拠して、その国家の名誉を確保する」方が「危険回避本能に適う」という感覚との拮抗が出てきたということもあるでしょう。
以上はあくまで国内的な議論であり、また思想以前の感覚や感情の問題です。
一方で、国際社会の観点から考えると、日本および日本人が、特にこの「戦後81年」が経過したとは言え、「何らかの謝罪なり恭順姿勢」を「取らない」ということは考えにくいのです。そこには以下の理由があります。
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■「自分の国が謝罪を強いられる」ことへの直感的な反発
まず、戦争が開始された際に大きな3つの問題があります。まず1つ目は、日本は第一次世界大戦における悲惨な総力戦の経験を経た国際社会が締結した「国際連盟規約」を批准したばかりか、この国際連盟においては原加盟国であり、また常任理事国の地位を獲得していました。
勿論、この国際連盟については、共和党の反対によりアメリカは加盟に失敗していましたが、少なくとも欧州とアジアに関しては、第一次世界大戦後の平和の基本的な枠組みとなった機構です。ですが、日本は自らこの国際連盟を脱退して、平和維持の機構を崩壊に導いたのです。
2つ目は日独伊三国同盟です。この同盟に関しては、日本国内にも反対論があり、海軍の一部にはヒトラーの著書には日本人への侮蔑の表現があるとして、同盟に対して強硬に反対する部分もあったわけです。また同盟への参加は、そのまま米英との対決を意味するということもありました。にも関わらず国策として三国同盟に参加したのは日本の自主的な判断です。
3つ目は、参戦のタイミングです。1941年12月という時点では、ナチスドイツはパリを陥落させて欧州を席巻し、更にソ連に攻め込んでもいたわけです。ですから、戦争のスケールは完全に世界戦争のレベルに達していました。そのような地球規模の状況の中で、対米英参戦をするというのは、「この戦争が人類にとって二回目の世界大戦であることを理解した上で、その衝突をアジアと西太平洋・南太平洋に拡大するもの」であったのです。
更に結果論からすれば、当時の日本はヒトラーの世界征服に乗じて、その「勝ち組」に加わろうとした、そうした指摘を受けても否定は難しいのです。
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■いずれにせよ「謝罪」と「恭順」が求められる日本
戦争が終結した際の問題としても3点が挙げられます。
1点目は、日本の降伏(8月15日全軍無条件降伏、9月2日降伏文書調印)というタイミングは、ムッソリーニ政権が崩壊してイタリアが連合国に列した43年9月よりも、ナチスドイツが降伏した45年5月よりも更に後となります。つまり、地球規模の大戦争の最終局面においては、日本はただ一カ国の「降伏していない敵国」として約3ヶ月間を空費したばかりか、この期間には「世界中を敵に回していた」わけです。
2点目は、降伏に際して「国体護持」が実現してしまったということです。国体護持というのは、当時の政府は天皇制を中心にその維持に固執したわけですが、それだけではありません。日本の場合は、クーデターを起こしたり、国外に亡命していた政権が正当性を奪取したりという方式を取らずに、戦争を遂行した「国のかたち」が自分自身で降伏したのです。
またその「古い国のかたち」の一部であった終身雇用の官僚機構は温存され、憲法改正の手続きは旧憲法の規定に従って行われています。総理大臣の代数は、伊藤博文を1とするカウントが戦後も続きました。つまり、戦前戦後の「国のかたち」には連続性があるわけです。
3点目は、戦況の悪化する中で、例えば対米英戦に兵力を集中するために蒋介石と和平をするとか、あるいはソ連が参戦して満州国境を越えた時点で韓国に独立を与えて撤退するといった「先のことを考えた機転」が全く出来なかったということがあります。
このために、韓国や中国に取っては、第二次大戦の終結がイコール自分たちの「独立の回復=光複」だという「国のかたちの出発点」が設定されてしまう事になったわけです。つまり、近隣諸国に対して「自身の独立や平和を実現した際の敵」として永遠に日本が設定されてしまうということとなりました。日本の敗戦プロセスにおける絶望的なミスだと思います。
その一方で、戦後の日本は官民挙げての努力により、正に70年の平和を実現して来たわけであり、それによって国際社会における地位も名誉も回復されています。ですから、日本の現在の「国のかたち」には世界に向かって恥じることは全くないと思います。
一部には、国連には未だに敵国条項があるという指摘があります。これも60年代末の佐藤政権の努力によって、条項自体の削除まではできませんでしたが、国連としては「条項の無効化」は事実上実現しているという理解です。また、日本の国連代表部もそのように振る舞っています。更に、再三にわたって日本は安保理の非常任理事国に選出されて、安保理の運営に貢献しています。こうした事実を持って、日本の「国のかたち」はほぼ完全に「浄化」されたということは否定し得ないと思うのです。
ですが、第二次世界大戦に関しての日本の行動に関しては、こうした「始まり方における3つの特異性」そして「終わり方における3つの特異性」があるために、やはり「謝罪」と「恭順」が求められるという状況があります。
一言で言えば、国際連合というのは「第二次世界大戦を最後の世界大戦とする」という人類共通の目的で設立された機関です。現在の国際社会というのは、その国際連合規約を国際法の基本法として、運営されているわけであり、ここにおいて「二度と世界大戦を起こさない」ということは、国際社会の基本法の中の基本であるわけです。
一方で、日本の戦前戦後の「国のかたち」に連続性があるということは、仮にその「国のかたち」が浄化されたと自他共に認められるにしても、日本は「最後の世界大戦の敗戦国」として、「永遠の敗戦国」というステイタスにあるのです。ということは、「実質的な意味はなくても、象徴的な意味として」これからの国際社会でもほぼ不変のものとして続いていくのではないかと思います。
(2)宿命としての二重性
とにかく「永遠の敗戦国」というのは日本という国の宿命であり、ドイツ降伏後も孤独な戦いを続け、自身がクーデターも亡命政権の正当化もせずに、「護持されてしまった国体」を主体として降伏した以上は仕方がありません。占領と間接支配という時期を経て再独立する中で、その「国体の連続性」を維持してしまったということは、そのような宿命を受け入れる覚悟あってのことと思います。
その覚悟というのが、終戦の詔勅にある「耐ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ブ」という姿勢、また「大道ヲ誤リ、信義ヲ世界ニ失フガ如キハ、朕モツトモコレヲ戒ム」という価値観にあったのだと思います。昭和天皇はその死に至るまでその価値観を体現していましたし、上皇さまも今上の陛下も、この価値観から微動だにしない姿勢を保っていると思います。
勿論、現行憲法下の天皇は憲法の定めるところにより、民主主義の手続きを経て成立した内閣の助言下にあるわけであり、その内閣は世論の支持によって政治を遂行しているわけです。ですから、この価値観というのは文字通り、世論の多数の支持を象徴するものとして、戦後の「国のかたちの浄化」を反映したものと言えます。
ですが、冒頭申し上げたように、「そうではあっても、生まれながらにして敗戦国民であるという出生主義的な負のステイタス」は承服できないという、世代的な異議はあります。またその異議を政治的な求心力に使おうという「発想」は政治の現実として無視は出来ないわけです。
ここに大きな問題があります。国際社会における象徴的意味として「日本は永遠の敗戦国としての恭順国家」だという現実と、「それでも生まれながらにして敗戦国民というのは嫌だ」という国内の感情の問題をどう折り合いをつけるのか、それは難しい問題です。
その難しさを更に難しくしている点が2つあります。1つは、「恭順国家だから軽武装でいい」という姿勢が、例えばアメリカからは「安保タダ乗り論」として嫌悪されるということがあります。一方で、「心の奥には枢軸国の名誉回復を企図」していても、それは「人畜無害な範囲」だから、そうした「反米かもしれない親米保守」をパートナーにして集団的自衛権も認めさせたいというアメリカの長年の「苦渋の判断」があるわけです。
もう1つは、「生まれながらにして敗戦国民というのは嫌だ」という感情論に対して、この拙稿のような説明、つまり「恭順国家というのは象徴的な意味であり、日本の国体が浄化されているのは自他共に明白」というような説明は少ないということです。つまり「生まれながらの敗戦国民」ということを否定するロジックとしては、そこで大きな飛躍をして「枢軸国として戦ったことの名誉を回復したい」という政治的な姿勢に飛びついてしまう、そのような傾向が顕著であることです。
これは大変な問題であり、まず国連憲章の精神に真っ向から挑戦するものでありますし、近隣諸国の、特に中国とロシアが「勝手に戦勝国の正当性を横取り」するという詐術に対して援護射撃をしているような効果が現実のものとなってしまっているわけです。
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■深刻化した問題を解くため日本が見せるべき2つの姿勢
そうした状況の中で、どうして中国や韓国が「謝罪」にこだわるのかというと、そこには2つの効果があるということになります。1つは、現在の日本が「謝罪する」場合は、「現在の日本が悪しき国家」だということを確認して、倫理的な優位性を国民に訴える事ができるわけです。その一方で、「謝罪しない」という場合は、それこそ「悪いのに謝らない」ということで、これまた自国の倫理的な優位性を政治的求心力に変えるような手品のタネになってしまうわけです。
それもこれも、現在の日本の「国のかたち」が枢軸国と一貫しており不変だという理解を前提としているわけです。更に、先ほど申し上げたように、中国も韓国も「日本の敗戦」が国の原点だという史観を採用してしまっていることが、この問題に拍車をかけています。ちなみに、中国建国の原点は自由経済を停止して再分配を行うことでしたし、韓国の原点は冷戦下の反共の砦になることでしたが、どういうわけか、この2カ国はそうした原点も忘れてしまっているのです。
そのように問題が深刻化した中で、具体的にはどうしたらいいのでしょうか?
1つは、今後とも「謝罪」の意味合いは必要だということです。ただし、過去の村山談話や、昭和天皇、上皇さま、今上天皇の「お言葉」がそうであったように、現在の日本の「国のかたち」が何か「悪なるもの」を継承しているとか、「物的な戦後補償を永遠に続ける」といったものではありません。
あくまで象徴的な意味で「最後の世界大戦における永遠の敗戦国」という「役割」を理解しているし、そのような戦後の国際秩序において「信義ヲ世界ニ失フ」ことはしないという理念的な意味合いであり、それ以上でも以下でもないということを明確にすることです。
もっと言えば、戦前戦後の「国体=国のかたち」が連続性を持っている一方で、戦後の努力として「国体が浄化された」日本としては、「現在から過去を否定する視線」と「それでもコミュニティや文化圏として過去とのつながりを持った視線」が交錯することになると思います。つまり「今の日本を肯定することは、過去を否定することである」と同時に「今につづく歴史の流れの連続性を確認するのであれば象徴的な謝罪の姿勢は自然と出てくる」という事になります。
そう申し上げると、そうかもしれないが、それでも「生まれながらにしてそんな面倒な国に生まれたこと」は承服しがたいという世代的な問題は残ると思います。そこは教育の問題であり、国のかたちの「根幹」の部分であるわけですから、狭義の教育だけでなく、世論における広範な議論などを通じて継承して行くべきであると思います。
もう1つは、例えば靖国神社参拝の問題や、歴史認識の問題で「枢軸国の名誉を回復し、戦後の国際社会の前提を否定する」というような印象を、国際世論に与えているのであれば、その誤解を解く努力をするということです。
例えばですが、「人畜無害だとナメられているかもしれないが、例えばアメリカなどからは許されている」から「いいじゃないか」というような「甘え」の姿勢では、やはり中国や韓国だけでなく、例えば欧州諸国や豪州などからも場合によっては外交カードとして切られてしまう「隙を見せる」事になります。日本の国益にとってマイナスは測り知れないのです。
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(3)自虐や反日、未来志向という表現が侮りを引き寄せる
例えば第二次大戦における枢軸国としての振る舞いに関して否定的な意見のことを「自虐」だという言い方、「反日」だという言い方は非常に危険であると思います。戦後の官民挙げての努力で国体が浄化された以上、その平和国家日本の観点からは、枢軸国としての振る舞いに関しては否定的であるのが「現在の国のかたち」に適っているのです。
これはまさに戦後の「国体=国のかたち」であって、そうした言動のことを「自虐」だとか「反日」だというのは、正に「枢軸国の国体から変化していない」という誤解、そしてそれ故の「侮り」を受ける「スキ」となるからです。
この点に関連して、歴史認識の問題に関して「未来志向」という言葉があります。これは、日本の漠然とした感覚、つまり「いつまでも過去の謝罪を強いられては、相手への悪感情ばかりが充満するので、過去の歴史問題ではなく、未来の協調関係に関して語りたい」というホンネをそのまま口にしたものだと思います。
ですが、これを言うことと同時に「過去を謝罪することへの疲れ」から「枢軸国の名誉を回復すれば、謝罪者をイヤイヤ演ずることから逃れられる」というもう一つのホンネが合わさってしまうと、これは危険です。
もうこれは「謝罪や恭順から逃げたい」という消極姿勢、加えて「謝罪強要には応じない」という拒否の姿勢になってしまうわけです。そんな構図になれば、関係悪化の回路は更に高速でグルグル回ることになるわけで、もうこの「未来志向」という言い方は事態を改善する効果はなくなっているように思うのです。
その意味としては「国体を連続的に継承したことから来る象徴的な恭順国家論」という「かたち」の確認、と「明らかに浄化された国体から見て枢軸国の時代は否定の対象となる」という価値観の確認という意味です。間違っても、現在の日本が悪しき存在であり、したがって謝罪をするべき存在という意味ではないのです。
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(4)謝罪がイヤなら批判すべき
そうは申し上げても、とにかく戦後81年も経過しているのですから、戦中派からカウントすると2代も3代も、いや4代も下の世代からすれば、生まれながらに「謝罪を強制される」のはイヤだ、という感情は理解できないわけではありません。これに対しては、ここまで延々と「護持されてしまった国体」であるが、同時に「浄化された国体」という「二重国体論」のようなものをお話しました。
しかしながら、さすがに21世紀になって生まれたような世代からすれば、自分が生まれる半世紀以上前の話です。それを生まれながらにして「謝罪」せよというのは、かなり無理な話です。無理を押し付けては反発心だけが生まれてしまうことになります。そうすると歴史修正イデオロギーだとか、日韓、日中、日米の離反工作、などに簡単に引っかかってしまうことになります。
これを避けるには、謝罪の主体であることは、ある世代より以下には求めない、その代わりに批判を求めていくということに、姿勢を変えるということを考えたいと思います。
- 日清戦争は朝鮮解放戦争であり、清朝への覚醒を促すものかもしれないが、そのような方法論は、遠い将来に中国のナショナリズムが全開になった場合にはブーメランになる。威厳ある皇国としてやはり道義的瑕疵があった
- 日露戦争は祖国防衛戦争であった。けれども勝ってしまえば朝鮮半島への統治責任が生じる。これを成功させねば、国家百年の大計として対馬海峡の向こう側に反日感情という遺恨を残す。この点に関してあまりにも稚拙であった
- 祖国防衛のラインは国境であるべきであり、この点において山縣有朋が利益線という権益ラインを引いたことは、今、2つの列島線としてブーメランになっている。山縣理論に遡って徹底批判が加えられるべき
- ダークサイド転落への決定的な事件は、21カ条要求なのか、その前なのか、何らかの公式見解を決めておくべき
- 比国防衛の捷一号作戦の敗北以降は、戦争継続が民族への敵対行為であった
- 沖縄を決戦地と設定して敗北したのは、沖縄県民への裏切りだった
- 被爆国として被害者の正義マウントを取る前に、日本も原子爆弾の研究をしていたことを理解すべき。その上で、核の平和利用について積極的な合意形成をする必要
- いくら研究結果を米軍に提供してチャラにしてもらい、周恩来ドクトリンでも免罪されたとしても、731部隊をはじめとした人道無視の医学実験の歴史は解明して断罪しておくべき
などなど、現在から過去への批判、断罪ということは必要だと思います。その際に、決定に関与した政治家や将官と、戦没者は切り分けて考える必要があります。作戦全体は道義的に否定すべきだが、個々の戦闘での戦没者はリスペクトするという姿勢は現代人であれば理解すると思うのです。
とにかく、謝罪の主体になるのが全く不自然になる、そのような世代であれば、過去への批判者になってもらえば良いのです。そうでなくて、過去の誤った判断で国が進んでいた時代についても、名誉回復を求めるというのは、非常に危険な態度であり、日本を孤立に追い込む陰謀の餌食になってしまいます。
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(5)サンフランシスコ体制の再確認
さて、話題を変えて、戦後の原点について考えてみたいと思います。第二次大戦はその末期においては、日本だけが枢軸国として残っていました。従って、大戦の終結は対日講和を意味しました。すなわち、サンフランシスコ講和条約(1951年9月8日署名、1952年4月28日発効)にほかなりません。このサンフランシスコ講和については、まるで主権国の日本が米国などと結んだ単独の条約のように理解されています。
これは全くの間違いです。このサンフランシスコ講和というのは、単独では成立せず、次の3つとセットになっています。それは「日本の再独立」「日米安保条約」「連合国という戦時体制を国際連合へ改組」という3点です。この3つがセットとして合意されて発効したこと、これが戦後という時期のスタートを定義しています。
(6)サンフランシスコ講和の当事者
これは49カ国で、ソ連と中華人民共和国は参加していません。ですが、ソ連は1956年の日ソ共同宣言で事実上の講和と国交正常化を果たしています。ソ連はその関係をロシア連邦に継承したという理解がされています。また、中華人民共和国は1972年の日中共同声明により国交を回復しています。
そうではあるのですが、ロシア連邦並びに中華人民共和国は、サンフランシスコ講和の元の署名国ではありません。また両国は国連の安保理常任理事国ではありますが、国連の設立時の加盟国でもありません。したがって、サンフランシスコ講和の効力の継承者ではあっても、講和の当事者ではありません。
従って、8月15日(ポツダム宣言受諾日)ないし、9月2日(降伏文書署名日)などの歴史的記念日にあたって、この両国が戦勝側を代表して祝賀行事を行うことには法的な正当性はありません。
(7)日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民」
日本国憲法は日本が独立を実現する以前に起草されて1946年に公布、1947年に施行されています。従って、サンフランシスコ講和とは一体として考えるべき性格のものです。改憲論議において良く議論されている、前文にある「平和を愛する諸国民」という箇所も、この文脈から理解すべきものです。
例えば小泉純一郎元総理などが始めたことですが、
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
の部分を「お花畑」だと嘲笑するという習慣がありますが、誤解です。この「平和を愛する諸国民」というのは、1946年時点の連合国という意味合いです。ですから、中華人民共和国、ロシア連邦、そして南北韓国は入っていません。ちなみに引用した部分の本当の意味は、「連合国に屈服して二度と反抗しない」という意味です。
したがって、仮にこの部分を書き換えるのであれば、そのような厳粛でかつ選択の余地のない内容だということを、前提にするべきです。「お花畑」だからと嘲笑しながら抹消できる話ではありません。
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(8)東京裁判とA級戦犯処刑について
多くの若い世代の政治家は、戦犯合祀は問題ではなく、戦没者への追悼のために靖国神社に参拝するとしていますが、それでも参拝をすることは日本の孤立化陰謀に加担することになるという点ではネガティブな効果は消せません。
この問題に関しては、改めて昭和天皇と戦犯とその家族との間に交わされたであろう、黙契の問題を問いたいと思います。A級戦犯として絞首刑となった人々については、昭和天皇は自身の身代わりに犠牲になったという意識を持っていたと思います。また戦犯個々人は(獄死した白鳥、松岡というナチ内通者を除く)自分たちの死が平和の礎(いしずえ)となることを密かな自負として去っていったのです。
更に遺族は戦犯個々人の名誉回復を公的には求めないことで、連合国と日本の「停戦の手打ち」とすること、その責任、つまり沈黙を貫く責任を意識したのだと思います。
この部分だけを切り取られると困るのですが、A級戦犯については、日米和平における清水宗治だという理解が必要です。事後法がどうとかいうのではなく、とにかく巨大な殺戮を相互に止めるためには、敗者の側における流血が必要とされたのであり、絞首刑になった方々はその犠牲になったのです。そして、犠牲になった方々は、自分の、そして家族の名誉を求めず無言のまま去っていくという決意をしたのでした。
黙契というのは、この全体を指します。つまり昭和天皇は自分の身代わりにA級戦犯が処刑されたという事実を背負う、戦犯は平和の礎として無言の死を受け入れ、遺族もその名誉回復を求めない、という沈黙の契(ちぎ)りがあった、そのように拝察がされます。さらに、昭和天皇の弔意については感じつつ一切口にしない、ということも含まれるでしょう。
戦前の国のかたちは否定されるべきものですが、その中で昭和天皇が体現されていた帝王学、また武官文官の高位にあった人物において、自身の生死にかかわる出処進退はそうしたクオリティのものであったことは疑い得ないからです。戦犯の一人ひとりは何も言わずに去ったのは事実ですが、自身の死が政治利用されることで他ならぬ日本国が孤立と危険へと追いやられることは、全くもって潔しとはしないと思います。
それどころか、靖国というのは、そもそも長州が竹橋事件を受けて犠牲者追悼のために建立した「招魂社」のときからそうですが、「さまよえる戦没者の霊」を鎮魂する目的のものでした。少なくとも従容として死に就いた東條、松井以下の将官は「平和の礎」となる覚悟の死であり、「鎮魂を必要とする」ということ自体が著しく非礼であると思います。
会津の生き残りであり、会津戦争の死者が合祀されておらず、合祀できないことを知っていた松平宮司による戦犯合祀というのも、かなり悪質な行為であり、その有効性を再確認する必要があります。それも含めて、戦後日本の国体=国のかたちにおける、この「黙契」の問題は、国家の深いところで意識していかねばならないと考えています。
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(9)直近の動向について
この8月15日前後には、様々な動向がありました。まず、プーチンによる択捉訪問は、何とも腹立たしい行動ですが、ウクライナの戦況が困難になる中での世論対策という理解がされているようです。それ以下でも以上でもないという受け止めで良いのかは、もう少し考えてみたいと思います。
プーチンと言えば、歯舞群島の無人島の一つに、リヒャルト・ゾルゲの名前を付けると発表したそうです。その名を刻んだ銘板を島に設置。命名は「ロシア極東国境の揺るぎなさを法的に確立することに役立つ」と主張しているそうです。
いずれ詳しくお話する機会があるかと思いますが、ゾルゲという人は、ソ連のKGBであって、ドイツ外交官を偽装していた二重スパイだということになっています。ですが、実際のゾルゲはロシア人ではなく、アゼルバイジャン人でありバクーの出身です。そしてイデオロギーとしては西側であったという証言もあります。
ですから、KGBは偽装であり、実際は米英のエージェントで本心はアゼルバイジャンへの忠誠心を持っていた人物と考えるのが自然です。ですので、このエピソードはそれ自体が笑止千万なのですが、とりあえず推移を見たいと思います。
韓国では、この間はストップしていた「日帝協力者の資産没収」が再開になったそうですが、直接的にはトランプ政権の「北朝鮮敵視の軽減」が背景にあると考えられます。韓国の左派政権が高市総理に接近していたのは、ロシアと北朝鮮の軍事同盟を恐れてのことですが、トランプ側が宥和に出るのなら、無理に親日に振る動機も薄れることになります。
これはゾルゲや択捉より切迫した問題であり、仮にここで日本の「保守」が以前のような「嫌韓」を復活させると、かなり危険なことになるような懸念を感じます。一方で、高市氏が靖国に「行かなかった」ことで、中国はやや軟化の気配を感じます。人事問題でそれどころではないのかもしれませんが、「行かなかった」効果はあったということなのでしょう。
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