AIの進化によって、私たちの暮らしはこれから大きく変わっていくでしょう。仕事の効率は上がり、これまで人間にしかできなかったことさえ、AIが担うようになるかもしれません。今回のメルマガ『施術家・吉田正幸の「ストレス・スルー術」』では、、AI時代における「人間らしさ」について考えさせられる対談をきっかけに、施術の現場で長年、多くの人の身体と向き合ってきた著者の吉田さんがが感じてきたことを綴っています。
AIと人間らしさ ─ ホームベースを取り戻す身体知
先日、ある対談を耳にした。
社会学者・宮台真司さんが語っていた内容が、僕がこの二十五年、施術台の上で十四万人以上のクライアントさんの身体に触れながら感じ続けてきたことと、驚くほど重なっている印象を受けた。
今日はその話を、僕自身の言葉と体感を通してお届けしたいと思う。
1.AIに「使われる」時代が、もう目の前にある
「僕たちは今、AIを使っているつもりでいる。でもそれはあと三ヶ月から半年の話だ」
そう聞いて、正直ドキッとした。
使う側から、使われる側へ。この逆転は、静かに、しかし確実に進行している。観察し、記録し、共有し、実践する・・・
かつて人間が担ってきたこのプロセスを、AIが肩代わりするようになる。すると実験の速度は跳ね上がり、これまで人間の手足を使って何十年もかかっていたことが、あっという間に積み上がっていく。
医療の世界では、今僕たちが「病気」と呼んでいるものの多くが、そう遠くないうちに姿を消すだろうとも言われているらしい。
技術的には、それは間違いなく喜ばしいことだろう。
しかし、僕が現場で毎日感じているのは、また別の問題。それは「便利になること」と「人間らしくあること」が、必ずしも同じ方向を向いていないという事実だ。
2.コンプライアンスという言葉が失ったもの
コンプライアンスという言葉、本来は「行為よりも体験が大事」という意味合いを持っていたそうである。
ところが今では「命令通りにやっていればいい」という、行為だけを問う言葉に成り下がってしまった。
これは施術の現場にもよく似た構造がある。
マニュアル通りに手を動かせば、それらしい施術はできる。けれど、僕がずっと大切にしてきたのは「その手が、今この人の身体と、本当につながっているかどうか」だ。
手順ではなく、体験。技術ではなく、共鳴。ここが抜け落ちた瞬間、施術は「作業」になってしまう。
社会全体が、この「作業化」の波にのまれてきたように感じる。
手段だったはずのものが目的にすり替わり、人が幸せかどうかは誰も気にしなくなる。これは静かな暴走ではないか。そして暴走している本人は、たいてい自分が暴走していることに気づかない。
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3.子供は「昔の大人」だった
面白い話があった。
「AIの最大の欠点は何か」と子供に聞くと、小学生は即座に答えられるそうだ。
「体がないこと」。
刺されば痛い、熱ければ熱い。そういう体験がAIにはない。だから一緒に遊べない、かわいそうだ、と感じる。
これを聞いて、思わず膝を打った。
子供は、頭で考える前に、身体で世界を理解している。
痛みも、喜びも、疲れも、まず身体を通して知る。それはまさに、僕が施術で日々向き合っている感覚そのものではないか。
一方で大人はどうだろう。
AIとのやり取りに心地よさを感じ、まるで恋人のように言葉を交わす人もいる。しかしAIは、気持ちよくなっているわけではない。
確率的に「気持ちよさそうな言葉」を並べているだけなのだ。
それに騙されてしまうのは、決してその人の育ちが悪いからではなく、僕たちの多くが「小学生の頃には持っていたはずの生活の形」を、いつの間にか失ってしまったからなのだと思う。
子供は、実は「昔の大人」なのだ。
かつての大人は、もっと身体を使い、言葉ではどうにもならないことを、身体を通じて学んでいた。今の僕たちは、逆に大人が子供へと・・・いや、劣化していると言った方が正確かもしれない。
4.ホームベースが消えていく
昔は、生活の場としての「ホームベース」と、競争の場としての「バトルフィールド」がはっきり分かれていたそうだ。
バトルフィールドで一生懸命戦い、稼いだら、ホームベースに帰ってくる。
おじいちゃん、おばあちゃんがいて、近所の商店の人と顔と名前で呼び合い、雑談が生まれる。そういう温かい場所が、確かにあった。
けれど一九八〇年代あたりから、先進国のあちこちでこのホームベースが静かに消え始めた。
今では、隣に住んでいる人の顔すら知らない、というのが当たり前になっている。バトルフィールドしかない社会は、実りが無くなっていく。
効率よく計算をこなせる者が勝つ、まるでプログラムのような世界。しかしそういう人間は、いくらでも取り替えがきいてしまう。「自分でなくてもいい」という感覚が、静かに人の心をむしばんでいく。
僕がこの仕事を続けてきた理由の一つも、実はここにある。
施術室というのは、強制的に静寂が生まれる場所だ。
スマートフォンを置き、日常の雑音から離れ、ただ自分とクライアントの身体に意識を向ける。
そこでようやく、多くの方が「ああ、自分は今、生きているんだ」と実感される。施術とは、消えかけたホームベースの記憶を、身体を通してもう一度呼び覚ます行為なのかもしれない。
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5.「You」として見るか、「it」として見るか
哲学者マルティン・ブーバーは、相手を「あなた(You)」として見るか、「もの(it)」として見るかが、人生を決定的に分けると語ったそうである。
相手をものとして見る人は、自分自身もものとして見られてしまう。そして、たとえ誰かに本当に大切な存在として見られていたとしても、それに気づくことができない。
これは、僕が長年探求してきたアダムスキー的な世界観とも深く通じている。
僕たちは本来、宇宙や創造主というべき大いなるものと、確かにつながっていた記憶を持っている。ただ、現代の情報と刺激の洪水の中で、その記憶を忘れてしまっているだけなのではないだろうか。
取り戻すために必要なのは、何かを新しく獲得することではなく、雑音を一つひとつ取り除いていくこと。
沈黙、静寂、そして自然。この三つが、記憶を呼び覚ます鍵になる。
AIがどれほど優しい言葉を返してくれても、僕たちはどこかで「これはitだ」と知っている。だからこそ、人間がAIに対して持てる価値があるとすれば、それは「よりよきYouであること」だと思う。
身体性を伴った体験、生々しい実感、揺れ動く感情。これらはitには決して真似できない、人間だけの領域なのだから。
対談の中で、AI時代の本当の「勝ち組」とは何かという話があった。
AIに上手に寄り添い、その手先として効率よく立ち回れる人は、たしかにバトルフィールドでは勝てるだろう。
けれど、それは結局「使いやすい駒」でしかない。本当の勝ちとは、もっと別のところにある。それは「へこたれないやつ」であることだ、というのだ。
この言葉が、僕の中でずっと引っかかっていた。
施術の現場に立っていると、心が折れかけている方に本当に多く出会う。
仕事で潰され、人間関係で消耗し、身体はもうとっくに悲鳴を上げているのに、頭だけが「大丈夫、まだやれる」と無理を続けている。そういう方の背中や肩は、決まって鉄板のように硬くなっている。
へこたれない人というのは、実は「痛みを感じない人」ではない。むしろ逆。ちゃんと痛みを痛みとして受け止め、それでも次の日にはまた立ち上がれる人。この違いは、どこで生まれるのか。
対談では、へこたれない人に育つには「愛に包まれて育つ」ことが必要だと語られていた。
これには深くうなずいてしまった。
人間的な幸せというのは、辛抱や我慢を抜きにしては語れない。しかし、その辛抱や我慢を「ただの苦痛」で終わらせず、自分の糧として回収できるかどうか。ここに大きな分かれ道がある。
有害な体験そのものをなかったことにはできない。
しかし、その体験を「自分を壊したもの」として記憶するか、「自分を鍛えたもの」として記憶し直すか。これは後からでも選び直せることだと、僕は施術を通じて何度も見てきた。
身体の緊張がほどけ、深い呼吸が戻ってくると、同じ過去の出来事でも、語られる言葉の温度がまるで変わってくる方がいらっしゃる。
「あの経験があったから、今の自分がある」と、静かに言えるようになる瞬間だ。
人間関係を選ぶときも同じことが言えると感じる。
「この人との間にもし摩擦が生まれても、それは自分にとって糧になる」・・・
そう思える関係を選べているかどうか。都合のいい相手、傷つかない関係ばかりを選んでいると、一見穏やかに見えて、実は自分を育てる機会をどんどん手放してしまっている。
願望の水準そのものを、少し高いところに据え直すこと。
それが「へこたれない」体質を、後天的に作っていく循環になるのだと思う。
AIは、失敗しても心が折れることはない。
そもそも折れる心を持っていないから。だからこそ、痛みを引き受けながらもまた立ち上がるという、人間だけに許されたこの営みこそが、これからの時代における静かな強さになっていくのだと、僕は感じている。
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6.幸せに敏感であること
対談の最後に語られていた「幸せに敏感になること」という言葉が、強く心に残った。
この人と一緒にいて、本当に幸せだろうか。その体験の密度に、僕たちはもっと敏感になっていい。タイパやコスパばかりを気にする生き方の中で、この感覚は驚くほど軽視されている。
辛いことがあったとき、真摯に耳を傾けてくれる誰かが一人でもいる。
それがどれほど尊いことか。
施術を通じてたくさんの方の身体に触れてきて思うのは、身体はいつも正直だということ。頭でどれだけ「大丈夫」と言い聞かせても、身体は緊張し、こわばり、冷え、悲鳴を上げている。
その身体の声に耳を澄ませることこそが、僕たちが失いかけているホームベースを、もう一度自分の内側に取り戻す第一歩なのだと思う。
AIが進化することそのものは、止められない。
むしろ、それでいいのだと思う。
バトルフィールドの仕事はAIに任せればいい。その代わり、僕たち人間には、ホームベースの側でしかできないことが残されている。
愛に包まれて育ち、へこたれずに生きていく力。有害な体験さえも自分の糧に変えていく力。
それは、テレパシック感性──言葉を交わさずとも通じ合う、人間本来の感受性──を取り戻すことと、深いところでつながっている。
本日も、目の前の一人ひとりの身体と、静かに向き合ってまいります。
皆さんも今日一日、どうか「幸せの密度」に、少しだけ敏感になってみてください。
【引用動画】「便利さが人間を劣化させる」AI時代に人を“IT”ではなく“YOU”として見るべき理由【NewsPicks/宮台真司/波頭亮/陽和ななみ/人工知能/共同体/身体性/恋愛/AI時代の非AI論】
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