MAG2 NEWS MENU

死ぬ権利の決定権は「自分」にある。オランダの安楽死事情

2014年、末期の脳腫瘍を患う米国人女性が「安楽死」したというニュースが世界を駆け巡り、多くの人々に衝撃を与えました。自らの生死を自らが決める安楽死、合法化となっているオランダではどのように受け取られ、そして行われているのでしょうか。無料メルマガ『出たっきり邦人【欧州編】』で当地の情報を発信し続けるあめでおさんがレポートしてくださいました。

ミナミも、ええよ。オランダ安楽死事情

オランダと聞いて思い浮かべるのは?とたずねたら、定番の答えは、風車、チューリップ、木靴、チーズ、ミッフィーといったところでしょうか。また、日本では違法なものが合法な国としても知られています。例えば、売春、マリファナ、そして安楽死。

今日はその中から、安楽死にまつわるお話です。

本誌でも2年ほど前に、オランダで起こった自殺ほう助事件をご紹介し、昨夏にはその二審判決の結果もお伝えしましたが、この事例を通じて見えてくるのは、安楽死の合法化と実施普及には大きな隔たりがあるということです。

どれほど本人の強い要望があろうと、まず認定基準や実施規定をクリアしなくては安楽死の実施は認められず、仮に条件を満たしていたとしても、家庭医が自ら手を下すことを敬遠して「協力が得られない場合もあります。つまり合法化されていても、そうそう簡単に安楽死ができるわけではないのです。

では、具体的にどれだけの数のオランダ人が安楽死でこの世を去るのでしょうか? オランダ中央統計局のウェブサイトには、最新で2010年のデータしか見当たりませんでしたが、3,800人余りで、この年の全死亡者数の2.8%相当でした。

安楽死法案が制定された2001年は2.5%、2005年は1.7%ですので、この10年間に関して見ると、特に増加傾向にあるとは言えないようです。変な比較ではありますが、2010年に自殺した日本人は少なくとも3万1,690人で、全死亡者数119万7,012人の2.65%に相当します(ちなみに日本の人口はオランダの約7.5倍)。

なお、上記データの「安楽死」とは「患者の死期を早めることを明確な目的とした薬剤の処方や提供、投与」のうち、自殺ほう助、ならびに本人の明確な要望なく実施された事例を除いたものです。また、以下の場合も含まれません。

・患者の死期が早まる可能性を認識した上での、治療の見送り/中止
・患者の死期が早まる可能性を認識した上での、疼痛緩和や対症療法の強化
・患者の死期を早めることが目的のひとつである、疼痛緩和や対症療法の強化
・患者の死期を早めることを明確な目的とした、治療の見送り/中止

しかしオランダの安楽死問題は、実施件数の多寡ではなく、より人間らしく尊厳を持って人生を終えたいと望む人たちが、必ずしもその願いをかなえられないところにあります。

認められないのであれば自分たちでなんとかするしかない、ということで、自殺ほう助という選択肢を余儀なくされる人たちがいつの時代も存在しますが、オランダでは安楽死法が制定される30年近く前の1973年に、自殺ほう助支援団体が設立され、その活動は現在も続いています。自殺ほう助支持者は「最も重要なのは、自分の最期について、医師でも他の誰でもなく、自分が決定権を持つこと」だと言います。

また、オランダのヒューマニスト協会(人道主義者、自由思想家、無神論者、不可知論者、リベラル派といった人たちで構成される団体)も、医師の医学的専門知識が重要になるのは、自殺ほう助を実施するときだけであり、人生の幕引きそのものは医学的な問題ではないと主張します。

しかし、安楽死を実施する大前提として、本人が明確に希望していることはもちろん、本人が絶望的かつ耐えがたい身体的苦痛に苛まれていることを、独立した立場の医師2名が認定しなくてはいけません。つまり現行の法制下では、本人が自ら選ぶ死でありながら、真の主役を演じるのは医師であり医療なのです。

日本ほどではないにせよ高齢化の進むオランダで、認知症は、重要な死因として注目されるようになっています。2015年に認知症(の影響や合併症)で死亡したのは、肺がんや心臓発作での死亡よりも数千人多い1万2,500人で、1996年から3倍に増えています。増加原因の半分が人口の高齢化によるため(いずれも中央統計局調べ)、今後もしばらくは増加することが予想されます。

そしてこれまで、認知症に安楽死は認定できないという考えが一般的でした。2012年にオランダ医師会が作成した手引書に「患者本人が安楽死の希望を表明できなくてはいけない」と書かれており、これが医師たちの 「足かせ」になっていたからです。

そこで、保健省と法務省が安楽死に関する手引書を改定しました。「重度の認知症患者は、自分で意思表明ができなくても安楽死の対象になるべきである。ただし本人の意識が鮮明であるうちに、安楽死要望書を作成しておかなくてはいけない」という文言が盛り込まれ、安楽死要望書の作成の仕方についても書かれています。

認知症においては、患者さんの耐え難い苦しみが認知症そのものではなく、重篤な呼吸困難や疼痛など、副次的な身体疾患である場合も多いですが、そういった状況であっても、そして患者が言葉やしぐさで明確に意思表明できなくても、要望書があれば、医師は安楽死を適用できるようになります。

ただし、本人が意思表明できなくなった時点で安楽死の要望がまだ有効であるのかが曖昧だと、医師が安楽死を実行しない可能性が高いため、患者さんには、安楽死について主治医と継続的に話し合うことが推奨されます。

オランダ医師会の会長も、「医師が患者とコミュニケートできなくなった場合にどうするべきかが曖昧だった」と述べて、手引書が明確化されたことを歓迎しています。しかし、あくまでもケースバイケースですから、安楽死を実施できない事例がなくなるわけではありません。

「認知症の患者さんは混乱していますからね。本人が死にたくないと言うのに『以前、安楽死要望書をお書きになりましたから、やりますよ』というわけにはいきません」。認知症での安楽死をめぐる議論は、医師界の中よりもむしろ、医師と社会の間で起こっていることだそうです。

医師の役目は、患者さん本人の意思に反した安楽死や、他人の権限で実行される安楽死が起きないように見張ることなのです」

自主的安楽死の会(NVVE)も刷新された手引書を支持しています。同会長は「安楽死要望書を作成し、安楽死について度々医師と話をしていた認知症患者であれば、ひどく苦しむようになった場合に安楽死を適用できることが確認できました。これで医師も、認知症患者における安楽死の実施を避けることはできなくなります」。

それぞれの立場に、それぞれの見方や思惑、期待があるようですが、従来は無理だと諦められていた認知症の患者さんに、安楽死という新しい選択肢が提供されたのは大きな前進です。

安楽死という制度には賛否両論あるでしょう。しかし、命は尊いという御旗のもとに、ひたすら延命させるだけが人を救う道ではないでしょうし、幸せな最期を約束する唯一の方法でもないでしょう。ともすれば、本人や家族、介護者たちを疲弊させるだけかもしれません。自分が自分を失ってしまったときのことを考えて、自分の人生にある程度の線引きをしておけること。きっとそれは、想像以上に多くの人の肩の荷を軽くしてくれるだろうと思います。

合法化とは、あくまでも選択肢の提供にすぎず、当然ながら、国民全員にその制度の実施を強制・強要するものではありません。異なる価値観やニーズを認識し、それらを満たす機会を提供するための手段にすぎないのです。

 

著者/あめでお(「ミナミも、ええよ。」連載。オランダ・アイントホーフェン郊外在住)
かれこれ10ンンン年。この国に住みはじめてから変わっていないのは、出た邦での連載だけになりました。いまだにオランダの奥座敷を目指して、ほふく前進中。完全なる地域離脱型につき、お届けする話は、ほぼすべて全国レベルの話題です。

image by: Shutterstock

 

出たっきり邦人【欧州編】
スペイン・ドイツ・ルーマニア・イギリス・フランス・オランダ・スイス・イタリアからのリレーエッセイ。姉妹誌のアジア・北米オセアニア・中南米アフリカ3編と、姉妹誌「出たっきり邦人Extra」もよろしく!
<<最新号はこちら>>

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け