「終電」で感じる日本
NYになくて、東京にあるもの。個人的に真っ先に思い浮かべるものは(非常にお聞き苦しい話になりますが)、終電間際のホームに散乱する吐瀉物です。(本当にスミマセン…)
至る所にバーと酔っぱらいが存在するニューヨークに住んで16年。
酔って嘔吐している人間を見たのは1度か2度。
先日の2週間の東京出張では4人目撃しました。
これって、ただ単に「モンゴロイドは欧米人に比べてアルコールに耐性を持っていない」という体質的な理由だけなのでしょうか。
小田急線の最終に乗った時のこと。ガラガラな車内の真向かいに女性が座っていました。
女性というより「AKB」だかにいそうな、まだリクルートスーツに身を包んだ、可愛らしい20歳そこそこの女の子です。
すでに酔っている目で焦点が定まっていません。
フラフラしつつ絶妙なバランスでなんとか座っていたものの、僕と目が合った瞬間、体内のすべてを、くらいの勢いで、その場に大量にリバースされました。(え? そんなに気持ち悪かった? オレ)
瞬間、思わず「サイアクっ!」と叫びつつ、僕は席を立ってしまいました。
直後、ここは日本だと思い出し、少しマズかったかなと反省します。
(NYだと周囲が日本語をわからないのをいいことに、思ったことを普通のボリュームで口に出してしまう、そんな“在米日本人あるある”)
その時、もちろん、周囲にそんなことを口走る人は皆無です。
彼女の電車に乗る前の行動を、頭の中で勝手に巻き戻して想像してみます。
おそらくは、会社の飲み会。
「新人歓迎会」かもしれない。
あるいはただの「合コン」かもしれない。
どちらにしろ「許容量を超えてアルコールを飲まなきゃいけない空気の場」だったのではないか。
「上司に勧められて」、「その場のノリで」、「一気飲みの掛け声とともに」―。
もちろん無理矢理、というわけではないだろうけれど、好きで、好きで、飲んだお酒とは少し違う気がします。ただの勝手な想像だけど。
ひとり当たりのビールの消費量がニューヨーカーの方が多いというデータがあるにも関わらず、どうして道端で吐いてる彼らを見ることが極端に少ないのでしょうか。(電車内での嘔吐は聞いたこともありません)
思うにニューヨーカーはあまりにワガママで、自分の許容量を超えてまでアルコールを摂取することが滅多にないから、ではないでしょうか。
つまりは「本業以外であれば、勧められても意志に反することは、断れる社会」だからだと、個人的には思っています。(その前にこの街には「上司に勧められた酒が飲めないのか!」っていう上司が存在しない・笑)
彼女の隣に座っていた、柔道家の井上康生ソックリな体格のいいお兄さん。
ジム帰りなのか、持っていたスポーツバッグに吐瀉物がかかり、でも何も言えず、泣きそうな顔してティッシュで箇所を拭いています。
小型犬の入ったバスケットを持った、水商売系のお姉さんが、彼女に駆け寄り、必要以上の大きさな声で「大丈夫? 大丈夫?」と背中をさすり始めます。
周囲にそんな自分を見せたいのか「大丈夫?」のボリュームはとどまることを知りません。
さっきまで僕が座っていた席に、ひとりのサラリーマンがわざわざ移動してきて座ります。
酔いつぶれて、両足を開いている彼女のスカートの中を瞬きもせず(吐瀉物越し)凝視しています。
そして、何事もなかったような、そのほか大勢の乗客。座ったまま。
終電―。
ゴトンゴトンと揺れる音だけが響く車内―。
吐瀉物―。
泣きそうな井上康生―。
強烈な香水臭の「大丈夫? 大丈夫?」―。
ハァハァ、息づかいの荒くなる変態―。
ゴトンゴトンー。
その他大勢の他人顔―。
こっちと目が合うバスケットの中のチワワ―。
流れる景色―。
ゴトンゴトンー。
なにか、日本に帰ってきたなぁ。
これ以上なく実感。
(終点到着してホームに出たら、至る所に吐瀉物散乱)
image by: Shutterstock
記事提供:ニューヨークビズ
『NEW YORK 摩天楼便り-マンハッタンの最前線から-by 高橋克明』
著者/高橋克明
全米No.1邦字紙「WEEKLY Biz」「ニューヨーク ビズ」CEO 兼発行人。同時にプロインタビュアーとしてハリウッドスターをはじめ400人のインタビュー記事「ガチ!」を世に出す。メルマガでは毎週エキサイティングなNY生活やインタビューのウラ話などほかでは記事にできないイシューを届けてくれる
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